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6-16 円満な取引き

  ◇




『……娘、おまえの名は?』


『……、……』


『〝コトハ〟?』


『……、』


『……そうか。覚えといてやる』





 ――それは、夢だったのか、あるいは記憶の断片だったのか。


 判然とはしなかったけれど、でも。


 いつか、どこかで見た、懐かしい光景だった気がして必死に記憶の糸を辿る――。


 手探りで一本一本手繰り寄せようとも、絡まったそれらがほどけることはない。


 そんな途方もない作業を延々と繰り返しながら微睡んでいた私は、不意に何かが頬に触れた感覚にハッとして、目を覚ます。


「……っ」


 真っ先に視界に映ったのは、行燈に灯されてぼんやりと浮かび上がる白い天井と、周囲を覆う柔らかなレースカーテン。


 頬に残る微かな温もりに戸惑いながらも、ここはどこだろうと目線だけで辺りを確認しようとしたところで、見知った顔が私を覗き込んだ。


「……やぁ。お目覚めかい?」


 未踏の雪原のごとく繊細な銀に染まる髪に、孤高の気高さを秘めたような琥珀色の瞳。


「九我……さん?」


 普段着の上に校章入りの外套を纏い、どこか隙のない笑みをにっこり浮かべた九我さんの姿がそこにあった。


「おはよう。よく眠れたみたいだね」


 囁くような声でそう告げてくる彼の顔色は非常によく、唇の血色も良い。


 寝ぼけ眼で真っ先にそれを確認して、妙に安堵した気持ちになったのはなぜだろう。


 首を捻ってももはや条件反射だとしか言いようがなく、半分眠ったままの脳みそでは到底めぼしい答えなど見つけられそうにもなかった。


「おかげさまで……よく寝たような気がします……」


「そう。それはよかった」


「……あの」


「うん?」


「それはそうと……ここはどこでしょうか?」


「ここ? ここは十三番街の學園内にある医学部専用の医務室だよ。といっても、特別室だから一般の生徒が気軽に立ち入れるような場所じゃないんだけど」


「いむしつ……」


 答えを聞いてスッキリするはずなのに、余計に困惑する自分がいる。


(いむしつ……?)


(しかもトクベツシツ……?)


(……⁇)


(あれ……)


(私は一体、どこで何をしていたんだっけ)


 考えれば考えるほど頭の中に靄がかかったよう、何も思い出せなくなって顔を顰める。


 ひどく頭が重たい。でも、だからといって体調不良を感じるほどの頭痛かと言われればそうでもないし、これといって怪我をしているわけでもないのに、なぜ今、医務室で寝てるんだっけ――と真剣に頭を捻りかけて、目の前にいる九我さんが怪訝そうにこちらを見ているのに気づいた。


「花染さん?」


「あ、えっと。すみません……まだちょっと寝ぼけてるみたいで……」


「そう。まあ、ここに運ばれる前はずいぶんひどい顔色をしていたし、その後もかなりぐっすり眠っていたようだから無理もないじゃないかな」


「そう……ですか……って、ここに運ばれる前……?」


「覚えてない? 零番街でのこと」


「零…………あっ!」


 小首を傾げるように問われ、そこでようやく眠りに落ちる前の記憶を取り戻し、慌てて飛び起きる。


「そうだ、零番街……! ゆ、幽霊とか悪霊はっ⁉︎ いや、それよりも小雪ちゃんや玉己くん、霊華さんは無事ですかっ⁉︎」


「……っと。落ち着いて、花染さん。大丈夫、悪霊達と張り合ってくれていた女性陣には傷一つついてなかったし、君のおかげで化け猫くんも僕も、今はすこぶる元気に過ごせているから」


「そ、そうなんですか?」


「ああ。むしろ気を失うまで体を酷使した君の容態の方が気掛かりだよ。今はまだ無理して起き上がらない方がいい」


 くすくす笑う九我さんに宥めすかされるよう優しく上半身を突き返され、ふかふかなベッドに再び横たわる。

 

「……す、すみません……」


 ぐっと近づいた距離にどきりとして慌てて視線を逸らしたけれど、むしろ九我さんはそんな私の挙動を愉しむよう、口元に薄らと笑みを刻みながらこちらをじっと見つめてきた。


 まるで……私の観察でもしているかのようだ。


「あの、でも……」


 居た堪れない気持ちになりつつも、でも、どうしても気になることが他にもあったため、めげずにもごもご口を動かすと、九我さんは私の耳元に唇を寄せ、勿体ぶったように呟いた。


「気になっているのは、天堂センセイのこと?」


「……っ」


「図星、か……。ふふ、妬けるなあ」


「(や、妬ける⁉︎)あ、いや……その。記憶が確かなら、助けに来てくれた気がしたんですが……忠告を無視しての零番街行きだったんで、相当怒らせてしまったんじゃないかなって……」


 なんだか今日の九我さんは妙に好戦的だなあ、なんて、心臓を無駄にドキドキさせながらも正直にそう告げると、彼は飄々とその問いに答えた。


「怒ってる、っていうより……心配してた、って感じかな」


「え、天堂さ……ゴホン、天堂先生が、ですか?」


「ああ。まぁ、内心では怒ってたのかもしれないけどね。少なくとも表面上は私情を匂わせることなくセンセイらしく振る舞っていたし、十三番街(こっち)に戻ってきてからも、担任教師として淡々と後処理をしてくれていたよ」


「後処理……?」


「そう、後処理。『揉み消し』って言った方が的確かな。僕らが學園に無断で零番街に立ち入った件や、悪霊達と派手にやり合った事が表沙汰になっていたら、僕らは確実に學園側からなんらかの処罰を食らっていたはずだからね」


「え⁉︎ も、揉み消し⁉︎ ほ……本当に天堂先生が、そんな風に立ち回ってくれたんですか⁉︎」


「意外?」


「意外です……。天堂先生のことだから、逆にことを荒立てるに荒立てて退学処分も免れないくらいの大事にされるかと思っていたんですが……」


 今までの経験から正直にそうこぼすと、九我さんはくすくすと笑ってから、すっと長い腕をこちらへ伸ばす。


 びく、と警戒する間もなく、その手は私の髪に優しく触れて、複雑に絡まっていた毛先を丁寧に解きほぐした。


「僕が、取引きを持ちかけたんだ」


「とり……ひき?」


「ああ。確かに彼はまとめて僕らを処分したがっていたけど、僕も一族の後嗣として入学早々學園を追い出されるのは困るからね。彼にとって不利益な情報を口外しない代わりに、今回の件は不問に付してもらうことで合意を得たんだ」


 含みのある口調でそう教えてくれる九我さん。


 ――『彼にとって不利益な情報』?


 当然のごとく浮かんだ疑問にごくりと喉を鳴らしていると、彼はそれを見透かしたように目を細めてから、囁くように呟いた。


「たとえば……君が持っている、不思議な力について、とか」


「……!」


 ビクッとして彼を見やると、九我さんはそれまで醸し出していたクラスメイトとしての親密な空気から一変、『妖狐族頭領の後嗣』らしさをたっぷりと孕んだ鋭い眼で、こちらを嬲るように見つめてきた。


 この、何を考えているかわからない、捉えどころのない瞳には、時折射竦められそうになる。


「大丈夫。君に危害を与えるつもりはないし、むしろ、把握したからには今まで以上に丁重に扱わせてもらうつもりだから」


「な、なんで……」


「知ってる? その力、上級あやかしの間では〝呪われた陰陽の血〟とか〝天女(てんにょ)の恩恵〟なんて呼ばれていて、とても希少価値の高い血筋だとされているんだ。天堂センセイにとって僕に知られたことも痛恨だっただろうけど、天狗族(カラス)の奴らに情報が渡るのも致命的だろうからね。そこを利用させてもらって、円満に取引を結んだって感じかな」


 とても『円満』とは思えないような、狡猾な口ぶりでそう言って、九我さんはくすりと微笑んだ。


 ゾッとするほど甘く麗しい笑顔。気を許せばこの美しさに呑まれてしまいそうになるため、慌てて視線を逸らしてざわつく胸の中を宥めることに徹する。


 やはり彼は策士だ。そういえば玉己くんも、『妖狐族は腹黒だ』と言っていたっけ。なんとなくその片鱗が見えたような気がした。


 いずれにしても――。


「あ、あの、九我さん」


「うん?」


「〝呪われた陰陽の血〟とか〝天女の恩恵〟だとか。きっと、それは何かの誤解だと思います。零番街でお話しした通り、私、孤児なんですけど、そんな希少価値の高い血筋ならそもそも施設に預けられたりはしなかったでしょうし、ただ人よりちょっと不思議な力が備わってるってだけで……」


 どうしよう。私のせいで天堂先生に迷惑をかけてしまったかも……という思いが悶々と頭の中に渦巻いて、なんとか誤魔化さなきゃって必死に言い訳を探して取り繕おうとしたけれど、九我さんは許してくれなかった。


「嘘。君はもう、薄々勘づいてるはず。自分の力が僕たち〝上級あやかし〟にとってこれ以上にない魅力を持ち、それは、ともすれば最高の争いの火種にもなり得てしまうことを」


「……っ」


 図星を指摘され、返事に窮してしまった。


 背筋に冷や汗が滲み、ぐっと唇を噛み締めて言葉を模索していると、


「……っと、ごめんごめん。君を見ているとつい意地悪なことを言いたくなってしまうんだけど、別に脅す気はないんだ。ただ、いずれにしても君のその血筋は貴重なものだということを充分に理解してもらって、今まで通り他のあやかし達の前では隠していた方が賢明だということだけは、真摯に忠告させてもらうよ」


 ひりついた空気を和ごますよう、和やかな声色でそう提案してくる九我さん。


 変に逆らったり、余計なことは言わない方が身のためかもしれない。瞬時にそう判断して勢いよくコクコクと頷くと、彼はいつもの友好的な笑顔に戻った。


「君は理解が早くて助かるよ。……それからまぁ、天堂センセイを強請ったネタは他にも色々あるんだけどね。その辺は取引の内容に関わるから詳細は伏せるとして……」


 ――と、やや穏やかな空気に変わりつつあったところで、急に部屋の扉がバタン、と派手な音を立てて開いた。


「おい花染っっ! 起きたか⁉︎」


 廊下から顔を出したのは玉己くんだ。いつもペタンと垂れているクリーム色の猫耳は彼の慌てぶりを象徴するようピンと聳り立ち、ふわふわの尻尾も忙しなく揺れていて、見た感じはいつもの五倍ぐらいは元気そうでホッとする。


「玉己くん!」


「あんだよ、起きてんじゃねえか。心配させんじゃ……」


「ノックくらいしたらどうだい、化け猫くん」


「げっ、九我白影! にゃんでおめーまでいんだよ⁉︎ まさか花染(ソイツ)に変なちょっかい出しに来たんじゃねぇだろうな⁉︎ っつかおまえ……専門の機関ですぐにでも検査するって約束したはずじゃ…… 」


「相変わらず騒がしい猫だな君は。僕は君のようにガサツじゃないし、十三番街の医療機関はどこも検査の予約がいっぱいで、今すぐに診てもらうってわけにはいかないんだ。心配しないでもちゃんと受診するつもりだから、僕の個人情報をあちこちでペラペラ喋るのは勘弁してくれないか」


「あーん⁉︎ 個人情報っつうか、念のため病院行って検査しろっつってんのに、行く気配が全くねーから周囲の奴らを巻き込んで病院送りにしてやろうとしてただけだっての!」


「それはそれは親切にありがとう。でも、その気持ちだけで充分だ。花染さんのおかげで頗る調子がいいし、以降、病のことは他言無用で頼む」


「ちっ。わーったわーった、わかりましたよーっと。ったく、命の恩人に向かって不義理な野郎だぜ。……って、今はそんなこと言ってる場合じゃねえ! おい、花染、あのキミコっていう元家政婦の女幽霊からもらった首輪と日記帳、どこやった?」


 ふと、思い出したように身を乗り出してくる玉己くん。


「えっ? あ、えっと、田所さんから託された物だよね。確か……鞄にしまってたはずだけど、どうかしたの?」


 目を瞬き、ベッド脇にあるサイドテーブル上に放置されていた自分の鞄に手を伸ばしつつそう答えると、玉己くんは「それが……」と、口早に説明する。


「犬飼が寮からいなくなったんだよ。それも、部屋の中を綺麗さっぱり整理して」


「えっ」


「最後にアイツを見た寮生の話じゃ、相当思い詰めた顔してターミナル行きバス乗り場にいたって話だから、アイツ、現世に向かったんじゃねーかなって」


「なんで……」


 戸惑うように尋ねると、玉己くんはぎゅう、と拳を握りしめて、その結論に至った理由を解き明かす。


「ふざけて話してた『例の計画』――人間どもに報復してやろうってヤツ、予定では現世が満月の晩にやるって話しだったんだ。元いたあやかしの学校で、現世の満月は妖力を倍増させるって噂が流れてたから。……んで、調べてみたら、それが今晩でさ」


「!」


「だから、なんかすげー嫌な予感がするっていうか……。早いところ、あの元家政婦の女に託されたことを犬飼に伝えてやらないとって」


「私も一緒に行く」


 顔を上げた私は間髪入れずにそう伝え、ベッドから降りる。


 すると玉己くんは「でもお前、体調は?」と、心配そうにこちらを見てきたけれど、そばにいた九我さんが「きっと止めても、彼女は行くって言うんじゃないかな」と、悟ったような面持ちで私の決意を代弁してくれた。


「逆にここまで来て最後のケジメにだけ立ち会えないってのも酷だろうから、この場は僕が引き受けるよ。気にせず行っておいで」


 快く送り出してくれた九我さんに改めて深々と頭を下げ、感謝を述べる。


「ちっ。無理してぶっ倒れるようなことになったら、遠慮なく病院ぶち込んでやっから覚悟しろよ」


「大丈夫だよ、お陰様でもうだいぶ休ませてもらったし」


「ああそうかい。……うし、んじゃ、とっとと行くぞ!」


「うん!」


 玉己くんと顔を見合わせると強く頷き合い、託された品々の入った鞄を握りしめて特別室を飛び出す。


 そして、犬飼くんが向かったであろうターミナルステーションに向けて、来たばかりのバスに飛び乗ったのだった。



 

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