6-13 涙の理由
◇
「⁉︎」
「う、うぐああああッ」
「みっ、みなさんこちらです、早くっ」
ミストを浴びてのたうち回る悪霊たち。その傍らに立っていたのは……。
「え⁉︎ れ……霊華さん⁉︎」
間違いない。手に『悪霊撃退スプレー』と書かれたスプレー缶を持ち、こちらに弱々しげな眼差しを送っているメガネをかけた三つ編みの女子――同じ基礎クラスの霊華さんだ。
「え? え⁉︎ え⁉︎⁉︎ なっ、なんで⁉︎ どうして⁉︎ 霊華さん、あなた、あれだけ同行は無理って……」
これには私や玉己くん、九我さん以上に、小雪ちゃんが目を大きく見開いて驚きの表情を浮かべている。
そういえば確か、オバケ嫌いな小雪ちゃんが自分の代わりに零番街へ同行してほしいと願い出ていたものの、やんわり断られていたんだっけ。
「そ、それは、その、えっと……とっ、とりあえず、あの、このスプレー、いつ効果切れるかわからないので、ひ、ひとまず外へ出てもよろしいでしょうか……」
「! そ、それもそうね! 花染さん、タマ、九我くん、お言葉に甘えて彼女について行きましょっ」
「うん!」
小雪ちゃんの一言に賛同し、先を急ぐ霊華さんの背中を追いかける。
どうやら彼女は表の入り口ではなく裏にある非常用玄関から外に出るつもりのようで、行く先々で目の前に立ちはだかってくる悪霊たちに霊華さんはスプレー缶で、九我さんは妖術で生み出した蒼白い炎で、玉己くんは鋭い爪と牙で、小雪ちゃんは絶叫しながらもミニ雪だるまと冷気で、そして私は小雪ちゃんから借りた除霊グッズで(あまり効果はないようだけど……)、応戦しながら前に進む。
そうして人気の少ない裏口からやっとの思いで外に出ると、霊華さんは船乗り場に向かう大通りとは反対方向の裏路地を進み、十字路の手前でサッと物陰に身を隠した。
「ぜ、前方に人の影が……。去るまでここで待ちましょう……」
「って、おい。それはいいけど一体どこ行く気にゃ⁉︎ 船乗り場はあっち方面じゃ……」
霊華さんに倣って身を隠しつつ、疑問を呈する玉己くん。
「う、えっと……その、公共の船じゃ暴徒化した悪霊たちにすぐに追いつかれてしまうと思います……。それに生者のその格好で、人気の多い大通りや船乗り場付近をうろつくのも危険かなと。確か二十三番地区は、この路地の先に街管理局の出張所があったはずなので、そちらに駆け込んでしまった方が安全だと思うのですが……」
「なるほど……! さすがは地元民ね」
「あ〜、そういうことか……」
霊華さんが丁寧に答えると、小雪ちゃんはうんうんと頷いてみせ、傍らにいた玉己くんも納得したように相槌をうったが、彼はすぐさま霊華さんに対してさらなる疑問をぶつけた。
「ならまあソコはいいとして……そもそもなんでお前がここにいるんだよ? おまえ、たしか學園の同じ基礎組のヤツだよにゃ?」
その問いに、霊華さんは怯えるような眼差しで玉己くんを(ついでに九我さんの方もだ)チラ見しながら、ひどく怯えた様子でボソボソ呟いた。
「は、はい……て、天堂先生組の霊華です……。その、先ほど、小雪さんに同行してほしいと声をかけられたんですが……そ、その時は勇気が出なくて断ってしまって……。で、でも、その後も……やっぱり、どうしても気になって……」
「気になったっつったって、いくら幽霊でも、気分ひとつであちこち瞬間移動できるワケでもねーだろ? よく俺らの居場所わかったにゃ?」
「そ、それは、その、もちろん瞬間移動はできません……ので、えと、じ、じつは……声、かけようかどうしようか迷ったまま……結局何もできずに、こっそり小雪さんの後をついてきてしまったというか……」
「え⁉︎ じゃあもしかして、十三番街からずっと、私の後についてきてたの⁉︎」
「ひっ、ごごごごごごめんなさいっ。わ、悪気はなかったんですけど、どうしてもその、声をかける勇気が出なくて……す、ストーカーみたいな真似して、本当にごめんなさいっっ」
「い、いやいやいや、そもそもお願いしたのは私だし、謝ることはないわよ! ただ、ゼンッゼン気づかなかったからすごくびっくりしただけで……」
「僕もだよ。多少変だなぐらいには思ってたけど、悪意のある匂いには感じられなかったし、あまりにも影が薄すぎてすっかりそのまま忘れていたというか……」
涙目で謝罪を繰り返す霊華さんに、小雪ちゃんだけでなく、九我さんまでもが驚きの表情を浮かべている。
「か、影が薄いとは……よく言われます……」
「影が薄くない幽霊なんていねぇだろ……。まぁでも、それでよくわかったにゃ。っつか、声かけたいならかけりゃーいいだけの話なのに、変なヤツだにゃおまえ」
「ひぇっ。ごごごごめんなさいっ」
「ちょっとタマ。もうちょっと優しくオブラートに包んで言えないの〜? 彼女、あきらかにアンタのその偉そうな態度に怖がってんじゃないの」
「あん⁉︎ 偉そうだと⁉︎ 俺のどこが……」
「僕も雪女君の意見に同意するよ。君は態度も見た目も見るからにチンピラのソレだしな。元は猫なんだし、猫の皮でもかぶって少しは大人しくしといたらどうだい」
「ニャンだとー⁉︎ おい九我白影、誰がチンピラにゃっ」
「ま、まあまあま三人とも、仲良く……! って、はは、大丈夫ですよ、霊華さん。たしかに見た目はヤンチャな感じで怖いかもしれませんが、玉己くん、中身は単なる可愛い猫ちゃんなので。ミルクとかあげるとブツブツ文句いいながらも尻尾をこうピーンと立てて、ゴロゴロ言ったり紙パックにはぐはぐしたりするので、今度是非一度、試してみるといいですよ〜!」
「そ……そうなんですか……?」
「ってオイコラ花染、誰が可愛い猫ちゃんだっての、余計なことベラベラ喋んじゃねよ! っつかお前も、なに地味に期待した目でこっち見てんだよ⁉︎ ミセモンじゃねーぞ!」
「あは。ごめんごめんつい」
「ひえっ。ごごごごごごごめんなさいついっっ」
顔を真っ赤にして抗議する玉己くんに、声をハモらせる私と霊華さん。
霊華さんは恐々と顔を伏せつつも、どこか嬉しそうにこちらをチラ見していて、心なしか口元も綻んでいるように見える。
(……?)
怖がって見えたり、嬉しそうに見えたり。いつもは避けられているイメージしかないのに、なんだか今日の霊華さんの反応は妙に新鮮だなあなんて。
「あの……霊華さん」
「は、はいっ」
「とにもかくにも、助けてくださってありがとうございます。どんな形であれ、一緒にきてくれて嬉しかったです」
「花染さん……」
「霊華さんがいてくれて、本当によかった」
「……」
いずれにせよ素直な気持ちでそう述べると、彼女は驚いたように目を瞠り、やがて、唇をかみしめて静かに俯いた。
ふるふると震える彼女の肩。霊華さんは必死に何かを堪えているように見える。
「……? れ、霊華さん?」
どうしたんだろうと思い首を傾げてその名を呼ぶと、霊華さんは急にだばだばと涙を流し始めたではないか。
「⁉︎」
ぎょっとして顔を見合わせる私たち。
「ちょ、にゃ、にゃんだよおまえ⁉︎ にゃんでいきなり泣いてんだよ⁉︎ つか花染、なに泣かしてんだよ⁉︎」
「あ、あわわわ。ごっ、ごめんなさい霊華さんっ。なにか気に触りました⁉︎」
「お、落ち着いて、落ち着いてよ二人とも⁉︎ っていうか大丈夫⁉︎ なに、一体どうしたの⁉︎」
「い、いえ、あの、ちがっ……違うんですっ。その、う、嬉しくて……」
「へ……?」
慌てる私たちを見て、さらに慌てたように口を挟む霊華さん。彼女は静かに呼吸を整えると、腕で目頭を拭いながらその涙の理由を打ち明けた。
「生きていた頃のわたし……ずっと病気がちで、心も体も、とにかく弱かったんです……。そのせいで学校にもあまり通えなかったし、時々学校に顔を出してもこの暗い性格のせいで友達もできなくて……あ、いや。正直、どちらかというと、面倒くさがられてみんなから避けられていたと思います……いつも一人でした」
「霊華さん……」
「病死してこちら側の世界にきた時も、今度こそ友達をたくさん作るんだと思って学び舎へ入学したのに……結局、この性格のせいで全然友達はできないし、うまく學園生活にも馴染めなくて……。だから、一緒に来てくれて嬉しいって言ってもらえて……はじめて誰かに存在を認めてもらえた気がして、こっちこそすごく嬉しくて……勇気出してここまできて本当によかったなって……」
想いを吐露しながらも、霊華さんは本当に嬉しそうな顔で微笑んだ。
(ああ、なるほど。そういうことだったのか……)
その表情を見てようやく腑に落ちた気がする。
思えば確かに、以前食堂で話していた際、『人間の味方をしたら村八分にしてやる』と犬飼くんに凄まれ、彼女は血相を変えてその場を立ち去っていたっけ。
背景にそういった事情があったなら彼女が私を避けていた理由にも、また、彼女が玉己くんに対して妙に怖がっていたことにも、ついでにいえば、クラスメイトと会話できて嬉しそうな顔をしていたことにも、全て納得がいった。
「そんな背景があったんですね……。てっきり私、霊華さんに嫌われているのかと思ってました……」
彼女の境遇に理解を示しつつ、いずれにしてもなにか不愉快な思いをさせたわけではなかったようなので、その点についてはほっと胸を撫で下ろしていると、
「嫌うだなんて、そんな! 花染さんは本当にすごいと思います。『人間』というだけでみんなから一線置かれたり避けられたりしていても全く怯むことなく堂々としてるし、それに……あの天堂家の……天堂先生の『番』だっていうのに、ちっとも偉ぶらずに私みたいなのとも普通に会話してくれるんだもの!」
「へっ⁉︎ あ、いやっ、そっ、それはその、ちょっと誤解があるというか……えっと、わ、私、まだ、天堂先生の『番』になったわけでは……!」
嬉々とした表情かつ前のめりになって力説してくる霊華さんに、慌てて弁解する。
というのも、『天堂家』の名前が出た途端に、私の隣にいた九我家の九我さんがぴくりと眉をつり上げてじっとこちらを見てくるし、今ここでその話題に触れるのは非常に問題がある気がしたからだ。
「えっ、そ、そうなんですか……?」
「は、はいっ、ですので……」
「ふふ……それについては色々事情あるみたいなのよね〜。まあ、見た感じ、天堂先生が花染さんを追っかけてるってだけで、勉学&世話焼きの花染さんにはまだその気がなさそうっていうのが私的な見立てなんだけど。いずれにしたってあの天堂家の堅物を振り回すだなんて、罪な女よね〜」
「ちょっ、こ、小雪ちゃんっ!」
慌てふためく私を見て、小雪ちゃんが場を取りなそうと助け舟を出してくれたけれど、完全に逆効果だった。なぜならば、
「けっ、なーにが罪な女にゃ。少女漫画の世界かっつーの……」
玉己くんにはこれ以上になく白けた目を向けられるし、特に警戒していた九我さんには、
「へえ、やっぱり……。二人はまだ〝契り〟を交わすまでには至ってなかったんだね」
……だなんて、意味深な笑み付きで、興味津々といった感じに呟かれてしまった。
「え、えーっと、いやぁ、その……はは……」
これ以上突っ込まれると何かと危険な香りがするので、冷や汗を垂らしながら全力の愛想笑いで誤魔化そうとしていたところ、ふいに九我さんがスッと身を屈め、
「……なら、合意さえあれば、獲物を横取りしてもなんら問題ないってことかな」
――と。
そんな含みのある言葉を、私の耳元で――それも私にしか聞こえないような声量で――そっと囁いた。




