2-2 鬼に見初められた娘
「な、なんだよ今の。おい、大丈夫か?」
「ん、んん? い、痛みが……消えてる……」
「え⁉︎ ど、どういうことだよ?」
どうやら無事に癒えたようだ。
乱れた息を整えながら自分の両手を見つめるが、あらためて考えてみてもどうして自分にこんな力が宿っているのかわからない。
――生まれつき私には、『対あやかし』限定の治癒能力がある。
人間に対してはなんの効力もない。なぜかあやかしにだけ通用する力だ。
今のように原因のある箇所に手を添え、母親が子どもに『痛いの飛んでけ』をするように強く念じると、大抵の傷や不調は治癒できるが、この『ちょっとだけ不思議な力』を使用すると、どうしても傷の大きさに見合った疲労感や倦怠感が襲ってきて、ひどく眠たくなる。
リスクが高いし、長い目で見た時に他にどんな副作用が起こるかもわからないので、できる限り使用しないようにとじいちゃんに固く禁じられてきたのだが、今回のような緊急事態や特別なケースなら、事情を話せばきっと許してくれるだろう。
「お、おい。お前、今のは一体どうやった?」
「ごめ、んなさい……自分でもよく、わからな……」
怪訝そうに顔を顰めて尋ねてくるリーダー格の鬼に答えを返そうと思った時、大きな睡魔の波がきて、がくんと足元がふらつく。
「……っ!」
一瞬、倒れる、と思ったのだが、大きく揺れた視界は辛うじて水平を保っており、背後から誰かに体を支えられたおかげで転倒は免れたようだった。
「す、すみません。足元がふらついてしまって……」
「あ、あ……」
慌てて体勢を整えようと思ったのだが、そのまま腕を掴まれ抜け出すことができない。
そればかりか、私の周りにいた三人組の鬼たちが血相を変えてこちらを見ていた。
「あの? えっと……」
戸惑いながら背後を振り返ると、一人の男性が私の体を支えるように立っている。
やや伸びた漆黒の髪に、冷たく光る紫銀色の瞳。眉目秀麗という言葉がふさわしい相貌に、固く引き締まったすらりと高い身長。黒い着物に格式が高そうな家紋入りの羽織を纏っている。
人間……だろうか? という疑念はすぐに打ち消された。
彼の持つ独特な空気が高貴なあやかしの持つそれそのもので、妙な貫禄さえ感じたからだ。
「て、天堂家の……」
「わっ、若っ! こ、こ、ここここれはこれはご機嫌麗しゅう……っ」
男の顔を見た途端、周りにいた鬼たちは慌てて後退りし、しおらしく振る舞い始めた。しかし男は他三人の姿や声などまるで目にも耳にも入っていないといった調子で無下にすると、眉一つ動かさず私に向かって問うた。
「女。今の力は?」
「え? えっと。自分でもよくわからないです」
「……。親は陰陽師か?」
「いえ。親はいません」
「いない?」
「はい。生まれてすぐ施設に預けられて、妖医をしている御仁に引き取られて育てられたので、実の親は今どこにいるかわからないんです」
「ほう」
出し抜けに飛んできた質問にしどろもどろに答える。個人情報をだだ漏れにするだなんてあまりいい気持ちはしないけれど、黙秘など到底通用しないような厳粛な空気が漂っているため、素直に答える他なかった。
男は冷徹な表情のまま小さく頷くと、低い声でつぶやく。
「呪われた陰陽の血――だな」
「……え?」
呪われた陰陽の血……?
馴染みのない言葉に首を傾げたものの男はそれ以上語らず、自分本位な質問をさらに続けた。
「女、名を申せ」
「花染琴羽ですけど」
「ハナゾメ……コトハ」
致し方なく名乗ると男はほんのわずかにだけ口角をつりあげて、ふっと笑ったようだった。
「……?」
「来い」
「えっ。ちょっ」
でもそれも一瞬の出来事で、すぐさま冷ややかな表情に戻った男は私の腕を引いて歩き出そうとするので、慌てて足に力を入れて抵抗の意を示す。
「ちょっと待ってください。どこに行くんですか?」
「屋敷だ」
「屋敷?」
「お前を俺の『番』にする」
「どういう意味ですか?」
「えっ!」
「!」
再び聞こえた『つがい』という言葉に首を捻る私。そんな私とは対照的に、蔑ろにされていた三人組の鬼がひどく驚いたような顔で男を見た。
「わ、若様。ちょ、ちょっと待ってくだせえ。その娘はそのぉ、俺たちが先に見つけた娘でして……」
すでに傷は完全に癒えたのか、先程のリーダー格の鬼が弱々しく口を挟もうとしたのだが、男は『まだいたのか』とでも言いたげな表情でひと睨みし、すげなく答える。
「人喰いの罪で幽世放逐か、今ここで腑抉られたいか。好きな方を選ばせてやる」
「ひっ。めめめめめ滅相もございやせん! あは、あはは。よ、よかったなあ嬢ちゃん! 若の番に見初められるだなんてあんたツイてるよ! 天下の『天堂家』だぜ。一生安泰じゃねえかあ。いやあよかったよかっ……」
「さっさと去ね! 一族の恥晒しめ」
「ひいぃっ」
場を取りなすよう軽口を叩く鬼を鋭く睨むよう一喝する男。
鬼たちは持っていた『入學許可証』をひらりと取り落としながら、血相を変えてその場から逃げていった。
(よかった。助かった……)
安堵しつつも、若と呼ばれる男に腕を掴まれたままなのでどうしようかと眉を顰めていると、ふと、足元に飛んできた紙に目が留まった。
(あ、これ……)
『幽世大學』の入學許可証だと思いながら拾い上げる。書かれている主名は『河太郎』だ。
先程の翠色の瞳をした少年のものだろうけれど、返そうにも彼は橋から飛び降りて清流に呑まれてしまった。果たして無事だろうかなんて危惧していると、
「行くぞ」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
再び男に手を引かれたため慌てて声を張ると、彼は足を止め、こちらを見た。
先程矢継ぎ早に質問された時は全く自分本位な人だなと思ったけれど、きちんと態度に示せば一応はちゃんとこちらの話を聞いてくれるらしい。
「あの。助けていただいてありがとうございました。でも、よくわかりませんがお屋敷? へは一緒にいけません」
きっぱりと断りを入れると、男は形の良い眉をぴくりとつり上げた。
冷酷な瞳が静かにこちらを捕らえ、怒らせたのだろうかと背筋がひやりとするけれど、そもそも強引に話が進められている理不尽な状況下、こちらが気を使うのも妙な話しだ。
「私、これから行かなければならないところがあるんです。おかげで眠気もどこかに行きましたし、手、離してもらっても良いでしょうか」
毅然とした態度でそう告げると、男は相変わらず憮然としたまま手は離さずに尋ねてきた。
「行先……幽世庵か」
「なんで知ってるんですか」
「手を見ればわかる」
「學生証……? 今は光ってないですし何も見えないはずですけど」
「妖力が高いあやかしには光らずとも見える」
「見た目は人間なのに、やっぱりあやかしだったんですね……」
「十三番街で鬼の姿は肩が凝るからな」
「鬼、だったんですか」
「河童にでも見えたか」
「いえ、まさか」
「学び舎の門人ならこの先に用があるのは下宿先の『幽世庵』ぐらいだろう。そもそも『番』として我が一族に認められれば学び舎に通う必要もなくなる」
「ちょ、ちょっと待ってください。どういうことですか」
学び舎とは、私たちの世界でいう『幽世大學』のことだ。
そもそも『幽世大学』とはあくまで便宜上の名称で、こちらの世界では『学び舎』とか『學園』と呼ばれているらしい。
学び舎はあやかしから死霊に神々まで、幅広い門人を受け入れて現世と幽世の共生と泰平を目指し創設されたものなのだと、じいちゃんが言っていた。無事に卒業ができれば、現世でじいちゃんのような妖医になることや、陰陽師、または怪奇現象を担う特殊捜査班などそういった特殊分野で活躍ができるし、幽世内なら高待遇で職に就くことができるという。
それなのに、その必要すらもなくなるとは一体どういうことなのか。
「屋敷に入れば使用人付きの暮らしだ。生涯食うものにも困らん」
「いえ、あの、そういうことじゃなくて……。そもそも『番』ってなんなんですか?」
「時期にわかる」
「今知りたいのですが……」
「知ったところで鬼に見初められた娘に逃げ場はない。特に幽世ではな」
「えっ」
「大人しく輿入れの心積りでもしておけ」
「こっ、輿……」
ふん、と鼻で嗤われ、一瞬にして頭の中が真っ白になった。
輿入れって……つまり、結婚相手か何かに選ばれたってこと?
いやでも出会ったばっかりでそう簡単に人生の伴侶として相応しいかどうかなんてわかるものなんだろうか? そもそもなぜ私が? 私の持つ不思議な力のせい?
ああ、だめだ。考えたところでわかるはずもない。
とにもかくにも変な人に目をつけられてしまったことには変わりがないし、じいちゃんの『鬼に気をつけろ』という言葉にはきっとこういう意味も含まれていたのだろうと、今さらながらに愕然とした。