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6-12 口にしていない事実

  ◇


  ・

  ・

  ・

 

「そんなことがあったなんて……」


 田所公子さんの口から語られた、犬飼健太郎さんと狗神化する前の犬飼くん・リュウの過去――。


 彼女の話を一通り聞き終えた私たちは、何とも言い難い暗鬱な空気に呑まれていた。


「今お話ししたことは全て、そちらの日記帳にも記されています。託された思いを繋げるのには欠かせない物だと思い、首輪と共に副葬品にして現世から持ち出してきたものなんですが……きっと健太郎様ご本人も、リュウ様の手に渡ることを望まれると思いますので、どうぞお持ちください」


 彼女の言葉に促されるよう、託されたばかりの分厚い日記帳に視線を落とす。


 ずっしりと重みのあるその古めかしい筆録には、健太郎さんの過去そのものがそこに詰まっているかのようだった。


「ありがとうございます。健太郎さんや田所さんのお気持ちは必ず、〝リュウ〟と呼ばれていた彼にお伝えしておきますので……」


 視線をあげて今一度丁寧に礼を述べると、田所さんは静かに頷き、最後の務めを果たすよう「よろしくお願い致します」と、深々頭を下げた。


 お辞儀を返しつつ、それにしても――と、手の中の品々を指でソッとなぞる。


(姦悪な宮司……か)


 その言葉が、私の心をキュウと締め付けた。


 今の話を犬飼くんに伝えたら、彼は何を思い、どんな言葉を紡ぐのだろうか。


(信じてくれるかはわからない。でも、少しでも彼の心の闇が晴れればいいんだけど……)


 当てどころのない不安とほんの僅かな望みを抱きつつ、託された首輪と日記帳を大切に鞄の中に仕舞う。


(こうしちゃいられない……)


 早いところ十三番街に戻って、これを犬飼くんに渡さなければ……と、奮起するよう前を向き、そばで固唾を呑んで見守っていた九我さんと小雪ちゃんにアイコンタクトを送る。


「……」


 同じく玉己くんにも目線を送ったのだけれど、彼は唇を噛み締めてうつむき、直面した親友の過去に思いを馳せているようだった。


「玉己くん……大丈夫?」


「ん? あ、お、おう。なんでもねえ。ちょっと考え事してただけにゃ」


 窺うように声をかければ、すぐさまハッとしたように返事をしてくれる玉己くん。


 だれよりも近い距離で犬飼くんの感情に触れてきた彼だから、すぐには気持ちの整理がつかないのかもしれない。


「では取り急ぎ、私たちはこのまま十三番街に戻りますね」


 いずれにしても今ここで感傷に浸っている余裕はないため、速やかに引き上げる姿勢に入ると、


「はい。先ほども申し上げましたがそのお姿では不都合なことも多いかと思いますので、せめて途中まででもお見送りに……」


 と、気を遣ってそう申し出てくれた田所さんだったのだが――。


「――ッ‼︎ 伏せろ!」


 突然、空気を切り裂くように放たれた九我さんの号令。


「へ?」


「ほえ?」


「……っ!」


 一体何事か、考えているような暇はなかった。次の瞬間には私は九我さんに、私の隣にいた小雪ちゃんは素早く事態を察知した玉己くんに背を押されて飛ぶように横へ転がる。


 その直後、ガガガガッと派手な音がして、それまで私たちが立っていた場所に『無数の黒い影』が矢の如く突き刺さった。


「なっ……」


「は、はわわわ」


「ひ、ひっ」


 地に刺さった黒い影は、やがて地面を溶かすようジュッと音を立てて空に溶けていく。


 唖然とその様を見つめる私と、目を白黒させて顔を青ざめさせる小雪ちゃん、そして己の体を貫通したソレ――といっても彼女は幽霊なのですり抜けただけだけど――を凝視する田所さんは、束の間、口をぱくぱくさせて声なき声を漏らしていたが、


「ボサっとしてんじゃねえ! 囲まれてんぞ!」


 玉己くんから飛んできたその厳しい一言で、我に返ったように身構えた。


 驚いたことに、あたりにはまるでホラー映画にでも出てくるような禍々しいオーラを纏った幽霊達――いや、悪霊達というべきか――が群がっており、何やらブツブツ呻きながら一歩、また一歩とこちらに詰め寄ってきているではないか。


「う、うそ、なんで……」


「こ、これは一体……⁉︎」


 じりじり後退る私と、目を白黒させて戸惑いの表情を浮かべる田所さん、そして、


「ひ、ひいいいいいいいっ。おおおおおおおおおばけっ!」


 自分の置かれた状況を把握するや否や、取り乱したように鞄から除霊グッズを取り出して念仏を唱える小雪ちゃん。しかし、彼女の持つそれらは全く効果が発揮されていないようで、黒い影が彼女の背後に忍び寄ると、小雪ちゃんは発狂したような悲鳴をあげて指の先から氷の塊を乱打していた。


「いやああっ来ないで来ないで来ないで来ないで! なに、なんなの、私今オバケ、オバケの姿ですからっっって、アレ⁉︎ いつの間にか元に戻ってるし‼︎‼︎‼︎ いやああッこっちこないでよッうわあああんちょっともう怖すぎるんですけどおおおおッッッ!」


「お、落ち着けにゃガキンチョ! 必死こいてるおめえの顔の方が怖いっつうの!」


 得体の知れない除霊グッズよりも、彼女が生み出した冷気の方が遥かに効果があるらしい。黒い影たちはやや尻込みするように、慌てて一定の距離をとっている。


 ――と、ここで。


「おやおや、残念。奇襲は失敗か。やはり君たちからはただならぬ気配と生気を感じるよ。羨ましい限りだねェ」


 くつくつと乾いた嗤い声が、黒い影の中から隙間を縫うように聞こえてくる。

 

 聞き覚えのある声にハッとして、辺りに視線を彷徨わせる私たち。


「……。変だなとは思っていたけど、やっぱり原因はアンタか」


 ある一点に視線をとどめた九我さんが冷ややかな声を投げると、その群れの中から大粒の数珠を手にした僧衣姿の男性――間違いない、先ほどの案内所にいた住職の男性だ――が、姿を現した。


「なっ」


「お、お前はさっきの住職……!」


「えっ、ちょっ、どどどどどどどういうことなのよっ⁉︎」


 困惑するように顔を見合わせる私、玉己くん、小雪ちゃん。唯一、九我さんだけは冷静さを保った表情でポツリと呟く。


「おそらく……彼が『外的要因』を生み出した張本人だろうね。一応確認しておこうか。僕たちの姿を元に戻したのは君かい?」


 九我さんが投げた問いに、男性はさも愉快そうな笑みを浮かべて答える。


「くくく、相変わらず君は頭が切れるねェ。……ああそうさ。死者の状態じゃ上手く体を乗っ取れないからね、私の霊力で君達の姿を元の通りに改めさせてもらったんだよ」


「!」


「やっぱりか……」


「おまけに言えば、ここにいる悪霊(ナカマ)たちも皆、君たちのような健康で丈夫な体を欲しがっている。相互利益だと思ってね、私の力を分けてあげる提案をしたら喜んで手を組んでくれたよ」


「ふん。生者を見抜いたり、周囲の霊魂を操ったり。霊力のある元住職だったってのは間違いなさそうだな。ことのついでにもう一つだけ聞かせてもらいたいんだが、君は確か、『姦悪な宮司』に脅かされていた人々を救おうと立ち回っていた側の人間だったと記憶しているが、なぜこのようなことを?」


 九我さんの疑問は最もだ。案内所で聞いた話に嘘偽りがなければ、彼は健太郎さんに苦しめられていた村の人々を救おうとした矢先に目をつけられ、呪い殺されてしまっていたはずだ。


 男は『ああ、そんなことか』とでもいうような乾き切った瞳で九我さんを見つめてから、さもあっさりとその理由をさらけ出す。


「なぜ、ねェ? さっきの話、嘘は何一つないんだが……あえて口にしていない事実が一つだけあってね」


「……」


「実は私も、救いを求めにやってきた善良な人々に、追い打ちをかけるよう高額な値段をふっかけて荒稼ぎしていたクチなんだよ。まあ、除霊自体は嘘ではなく本物だったし、ほどなくして健太郎氏に殺されてしまったからねェ……。消化不良というか。比較的罪も軽く、辛うじて零番街に上がれたはいいものの、せっかく手に入れた大金で遊蕩できなかった未練やら執着やらが日に日に募っちまってねェ。再生を夢見て、日夜、手頃な器探しに精を出していたってわけさ」


「なるほど。姦悪な宮司よりも性根が腐った住職だったってわけか」


「お褒めにあずかり光栄だよ。……さあ、お喋りはこの辺までにしようか。私も周囲の仲間達も、その健全な体で一刻も早く現世の空気が吸いたいと思っていたところなんだ。手荒な真似をしてせっかく見つけた器に傷をつけるのもなんだし、大人しく明け渡してくれるとありがたいんだが……」


「ずいぶん身勝手な要求だね。あいにくだけど、僕らは君たちに恭順する気は毛頭ない」


 九我さんは吐き捨てるようにそう言って、両手の指を絡めた。


 するとすぐさまボフンと妖気が舞って彼が元の姿に戻る。美しく輝く銀髪の隙間から飛び出したふさふさの耳と尻尾が、臨戦態勢を示すよう強張り、逆立っている。


「おやおやこれは……ずいぶん上質な容れ物が出てきたじゃないか! その美しい容姿なら世の女が放っておかんだろうし放蕩三昧も間違いない。ますます気に入ったよ! かくなるうえは死なない程度に苦しんでもらって、無理矢理にでも奪取するしかないかな。無論、そこにいる女子供と男前な化け猫も。貴重な資源として仲間達に配分させてもらうよ」


 歪な笑みを浮かべながら、じりじりと距離を詰めてくる男性。ゾッとするようなその禍々しい気配に、私も小雪ちゃんも、また、巻き込んでしまった田所さんまでもがおろおろしながら後退る。


「じじじじじ冗談じゃないわよっっ、こっち来ないでよっっ!」


「誰があなた達なんかに……」


「ど、どうしましょう……ま、街管理局に通報を……きゃっ」


「おっと。そこの元家政婦はもう用済みだし、お呼びでないんだよねェ。余計な真似はしないでくれるかなァ」


 懐から取り出した通信機器で管理局に通報しようとした田所さんだったが、男性がなにやら念仏のようなものを唱えると、彼女の体はあれよあれよという間に闇の塊ですっぽりと包み込まれてしまった。


「……あぐ、う……」


 身動きが取れなくなった彼女が、必死に「に、げ、て……!」と、掠れた声を発している。


「た、田所さんっっ!」


「花染さん、君は下がっていた方がいい」


「で、でも……」


「心配しないでも彼女は死霊だからこれ以上死ぬことはないし、動きが封じられているだけでいずれ術も解けるはず。助けようなんて思わず、今は自衛に集中するんだ」


「……! そ、そうか、そうですよね」


「それから、そこの貴重な資源の化け猫君」


「あん⁉︎ なんだよ上質な容れ物野郎!」


「君に頼むのも癪だけど数も数だしやむを得ない。ビルの外まで強行突破だ。花染さんは僕が引き受けるから、雪女君のお守りは君に任せる」


「けっ。言われなくたってわかってるっつーの! おらガキンチョ! いつまでもションベンちびってねえでとっととこっち来いにゃ!」


「しっ、失礼ねっ! べべべべ別にちびってなんかっっ……き、きゃああああああおおおおオバケこっちきたぁっっ! たったたたた助けてタマッッ!」


 男が数珠を揺らして何かを唱えると、一斉に襲いかかってくる周囲の悪霊たち。


 小雪ちゃんの悲鳴が上がるや否や、玉己くんはものすごい速さで駆け出し、迫り来る悪霊達の魔の手を片っ端から鋭い爪で引き裂いていく。彼もまた九我さん同様、フードの下から飛び出したクリーム色の猫耳が激しく熱り立っており、完全なる臨戦モードに至っていることがよくわかる。


「ゔにゃーーーーーッ!」


「ひいいいッ。ナンマンダブナンマンダブ……!」


「あっちは化け猫君に任せよう。花染さん、君はこっちだ!」


「は、はいっ」


 九我さんに促され、私たちも慌てて出口を目指す。けれど行手を阻むように、目の前に僧衣の男性が立ちはだかった。


「おっと、逃さないよぉ。さあ、まずはお嬢ちゃんからだ。その体を大人しく私の仲間達に引き渡してくれるかい」


 目下の狙いはもちろん、動きの鈍い私からだ。這うような視線が投げられたと同時に、人間のそれとは思えぬほど黒くて長い腕がぬうっと伸びてきて、がしりと肩を掴まれた。


 思わず背筋が凍り、「きゃあッ」と短い悲鳴をこぼす。


「は、放し……っ」


「目障りだよ君。その薄汚い手を離せ」


「く、九我さん!」


 男に掴まれた部分を振り解こうとしたところ、九我さんが素早くその手をむんずと掴み上げる。彼はそのままゆらりと沸き立つような蒼白い炎を生み出して、男の腕を燃え上がらせた。


「‼︎ ふぐァァァァっ」


「!(ひ、ひええ)」


 奇声をあげて飛び退く男性。私自身、攻撃的な妖術を使う九我さんをはじめて見たけれど、彼の瞳には今、恐ろしく冷徹で非情な色が浮かんでいて、密かに冷や汗が滲む。


「あ、ありがとうございます……っ」


 いずれにしても彼のお陰で窮地を脱したことには変わりがないため慌てて礼を述べると、九我さんはチラリとだけこちらに視線を寄越し、「心配しないでも、医学部の君の前で殺しはしないから」と、ほんのわずかに口角をつりあげた。


 ほっとするやら、思っていたことを言い当てられてドキリとするやら、にこやかな表情の割に飛び出した言葉が生々しすぎてヒヤリとするやら。

 

「き、貴様……よくも……!」


 とはいえ雑念を挟んでいる暇などはなかった。男性が黒焦げになった腕を抑えながら再びぶつぶつ念仏を唱えると、またしても鋭い矢の形をした黒い影がバシバシ飛んでくる。


「わっ」


「……っと、行こう。こっちだ」


「は、はいッ」


 考える間もなく、九我さんに手を取られて走り出す。私と九我さんが目指す方向には同じく出口を目指す小雪ちゃんと玉己くんの姿もあり、彼らもまた、行手を阻むよう立ちはだかる複数の悪霊に囲まれて苦戦しているようだった。


「いやああっ! オバケ来ないでええええええ!」


「ちょ、暴れんじゃねえガキン……うおっ⁉︎」


 小雪ちゃんを庇いつつも、目の前の悪霊を爪で引き裂いて退路を切り開こうとしていた玉己くんだった、が――。


 彼は運悪く小雪ちゃんが生み出した氷の塊に足を滑らせ、ツルンと横に滑っている。


 その一瞬の隙を狙ったかのように、周囲にいた悪霊達が玉己くんと小雪ちゃんの体目掛けて一直線に飛んでいった。


「たっ、玉己くん、小雪ちゃんっ!」


「くっ」


 思わず悲鳴を上げる私と、ぎりと歯を食いしばる玉己くん。小雪ちゃんは「ひっ」と鼻から抜けるような声をあげ、彼らの窮地に気がついた九我さんも短い舌打ちを落としつつ素早く彼らの援護に回ろうとしたのだが、当然、我々の間にある距離がそれを許さず――。


 〝絶体絶命〟


 その四文字が頭を掠めた……その時、急に悪霊たちの頭上にミスト状の何かがブシャーッと、勢いよく降り注いだ。



  

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