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6-10 ごめんください、あの

 ◇


 二十三番地区の片隅にひっそりと佇む、ひときわ陰鬱な空気を纏った大廈。すれ違う居住者は誰もかれも目が虚ろで、明らかにここまでに見てきた幻想的な街の雰囲気とは異なる。


 得体のしれない不穏な空気を肌で感じながらも、今にも崩れ落ちそうな外階段を上り続けた十七階の一番東側に、旧狗神村出身の元家政婦『田所公子』さんの住む部屋はあった。


「ごめんください、あの」


「……」


 ――チャイムを押した後、中から警戒気味に顔をのぞかせたのは色白で髪の長い二十代ぐらいのひどく疲れた表情をした女性。折り入って犬飼一族の話、もしくは犬飼健太郎さんの話を伺いたい旨を伝えると、


「わ、私は何も知りません、帰ってください……」


 怯える彼女の口から真っ先に飛び出した言葉はそれだ。慌てて身を乗り出し、「ま、待って下さい!」と必死に食い下がらなければ、危うく訪問わずか十秒足らずで扉を閉められるところだった。


「……っ」


「こんなところまで押しかけてしまって本当にごめんなさい。ご迷惑なのは百も承知なんですが、でももう田所さん以外に頼れる方がいなくて……。どんな小さなことでも構わないんです。田所さんから見た犬飼健太郎さんについて、なにかお話しを聞かせてもらえないでしょうか」


「なぜ今さら彼らの事を……? そもそもあなたたちだってもう死んでるんですよね? だとすればどんな真実が明らかになったとしたって、もうこの零番街では何の意味もないし誰も報われないじゃないですか。今さら蒸し返したって……」


「それが、その……お話し次第では報われるかもしれない方がいるんです」


「だ、誰だっていうんです……? 件の騒動があったのははるか昔の話ですし、関係者はみんな死んでしまっているはずです。もし、狗神様に呪いをかけられた被害者の子孫の方、あるいはそれに近しいご遺族の方だとすれば、残念ながら()()()()()方たちが報われるような事実は何一つありませんから……」


 怯えるような瞳で私たちを見つめ、か細い声で震えるように呟く田所さん。


(あれ……?)


 ――()()()()の?


 ということは、逆側である犬飼家側のことであれば、やはり彼女は何かを知っているのかもしれない。


「ですからもう、私からお話しすることは……」


「あの」


 私の声にびくと肩を跳ね上げさせる女性。視線が合うたびひどく怯えたように目を伏せる彼女に、できる限り恐怖心を与えないよう穏やかな声で丁寧に説明する。


「黙っていてごめんなさい。実は私たち、死者ではなく、黄泉の庭の食物を食べて一時的に幽霊化しているだけの生者なんです」


「えっ」


「ちょ、花染さん⁉」


「おいっ。言っちゃっていいのかよ⁉」


「……」


 相手の不安や不信感を取り払うにはもうこれしかないため、自分たちの正体を包み隠さず暴露すると、田所さんは心底驚いたように私たちを二度見した。


「う、嘘、そんな……」


「嘘ではありません。私は人間ですがこちらにいる三人はあやかしで、私たちは皆、十三番街にある学び舎に通う門人なんです」


「! ま、学び舎……噂には聞いていたけど、本当に存在していたんですね……。でも、そんなリスクを冒してまで一体どうして……?」


「その学び舎に、犬飼健太郎さんの式神だった狗神様がいるんです」


「なっ……!」


 意を決してそう伝えると、田所さんは絶句したように私を見た。


「彼は犬飼家一族を惨殺してしまった罪をきちんと償って、今ではかつてのような禍々しい呪術を乱用することなく、一介の門人として学び舎にいるんですが……健太郎さんに裏切られていた事実が大きな心の傷となっていて、いまでもひどく人間を憎んでしまっているんです。このままじゃ彼の心は報われないまま、怒りの矛先が何の罪もない現世の人間に向いて、同じ過ちが繰り返されてしまいそうで……」


「……」


「だから、もしなにか、少しでも彼が報われるような事実をご存知であれば……っ、」


 ――と、そこまで言いかけて、ふいに体の中にじんわりと熱が灯ったような感覚が走る。


 なんだろう、この感じ。


 一瞬眩暈がして、視界がぐらりと揺れたと同時に、自分の体がじわじわと塊を帯びてくるような、そんな錯覚に襲われた。


「ちょ、花染さん⁉ あなた、姿が戻りかけてる!」


「へ?」


「……!」


 小雪ちゃんに言われ、自分の身体に視線を落としてハッとした。


 驚いたことに、今まで半透明だった自分の体がくっきりと輪郭を帯びはじめ、もとの状態に戻りつつあるようだった。


「う、うそ! まだ一時間程度しかたってないはずなのに、どうして……⁉」


「体質の差、かな……。こういうトラブルも想定はしていたけど、まさか君が先陣を切ることになるとは」


 錯乱しかける私に、冷静な答えをもたらしてくれる九我さん。


「おいおい、マジかよー。いるんだよにゃー。やたら薬が効きにくい謎にタフなDNA持ってるヤツ」


 玉己くんが眉間に皺を寄せてぼやくと、すかさず九我さんは「僕たちが口にしたのは薬じゃなくて食物だけどな」とツッコミを入れていた。


「まあ、いずれにしてもここで生者の姿に戻るのは頂けない。このビルの通路や入口には嫌な匂いのする輩がゴロゴロしてたからね。変な奴らに絡まれる前に、一旦どこかへ身を隠そう」


「そ、そうね。それがいいと思うわ!」


 九我さんの提案に、すぐさま相槌を打ったのは小雪ちゃんだ。


 彼の言葉に異論はない。顔を見合わせて頷き合った私たちは、取り急ぎ、一旦この場を離れることにする。


「すみません、田所さん。押しかけておいて本当に申し訳ないですが、ご覧の通り体が元に戻りそうで……。一旦改めさせて頂きますね」


「……」


 唇を噛みしめたまま俯く田所さんに口早に告げてから深々と頭を下げると、踵を返して早急にその場から退散する。


 ――……と、いっても。


 身体に異変が現れてから実際に効果が切れるまでかなり短い時間らしく、あっという間に元の姿に戻ってしまったから、退散できたのはビル一階の共用部分までだったけれど。



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