6-8 お気の毒な住職
◇
『該当者ナシ。正シイ情報ヲ入力シテクダサイ』
冥界案内所一階――。
近未来的な機器が整然と並ぶホールの中央に浮かんだ、透明パネル式住民台帳管理システム。画面の上に手のひらを差し出し、調べたい住民の名前を語りかけるだけで検索結果が表示されるという、なんとも優れたその機械に犬飼くんの飼い主名を呼びかけてすぐ、弾き出された結果はそれだった。
「!」
「えっ」
「うそ、どうして……」
戸惑いながら顔を見合わせる玉己くん、小雪ちゃん、私。
まさかこんなところで躓くなんて思いもしていなかったので、繰り返し端末に向かってその名を呼びかけてみたものの、いずれも表示される検索結果に変化はなかった。
「ちょ、ちょっとタマ。本当にポチをコキ使ってたっていう犬神使いの名前、『犬飼ケンタロウ』であってるの⁉︎ っていうかそもそも、本当に死んでるのよね?」
「間違うわけないし、ちゃんと死んでるはずにゃ! 犬飼のヤツ、いつもことあるごとに『ケンタロウのせいで~』って口癖のように言ってたし、被害者の死亡だって幽世警察が間違いなく確認したうえで刑罰を決めてるはずだから。実は生きてました、なんてオチは絶対にないはずにゃ」
「そ、そう……。じゃあこれは一体どういうことなのかしら……」
顰めっ面をして端末を睨む小雪ちゃん。入れた情報に間違いがないのだとすれば、すぐに『とある嫌な予感』が脳裏によぎったものの、それを口に出すことは躊躇われた。
きっと、冷静な分析力を持っている九我さんなら忌憚なき意見を聞かせてくれるだろうと思い、別の端末で調べ物をしている彼の姿を探そうと顔を上げた……のだが。
「おやおやお嬢さんたち。まさか『犬飼一族』について調べておいでかな?」
「……!」
ふいに背後から声をかけられ、心臓を飛び出しかける。
驚いて振り返るとそこには、僧衣を着た五十代くらいの男性が穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「(お、お坊さん……?)えっと、あの」
「ああ、驚かせてしまったかな。私は元住職でね、生前住んでいた村でよく『狗神』についての相談ごとを請け負っていたんだ。通りすがりに『犬飼家』の名が聞こえてきたもんで、これも何かの因果かと思って声をかけさせてもらったんだが……」
「! そうだったんですか」
元住職と名乗った男性は短く相槌を打ち、切長の瞳で私たちの顔を吟味するようジッと見つめてきた。
なんだろう。幽霊化している私たちにおかしなところはないはずなのだけれど、彼の全てを見透かすような瞳にぞくりとする。
「(お、おい。にゃんだこの怪しいおっさんは)」
「(ちょっとタマ。和尚さんに向かって怪しいだのおっさんだのは失礼じゃないの。って、今はそんなことより、ものすごい奇遇ね。この方、もしかしたら何か知ってるんじゃないかしら?)」
ひそひそ声を交わす玉己くんと小雪ちゃんに小さな頷きを送りつつ、今一度、男性の様子を窺う。悪い人ではなさそうに見えるが、往生するにはまだ早い年齢にも感じる。病気か事故か、突然の不幸でもあったのだろうか……?
いずれにせよまさかこんなところで実際に『犬飼家』について知ってる人に会えるだなんて思ってもみなかったので、ご厚意に甘えて尋ねてみることにした。
「あの……和尚様が仰ってるその『犬飼家』というのは、現在は廃村となってる『狗神村』の『犬飼家』のことでお間違いないでしょうか?」
「ああそうだよ、私は旧・狗神村の出身だからね。あの村で起きた数々の厄災については身をもって経験してきている。まあ、〝厄災〟と言っても全てはあの一族――犬飼氏の仕業による人災のようなものだったことを、死ぬ間際になってようやく知り得たんだがね」
「! それは一体、どういうことです? 私たち、色々と犬飼一族について調べていて……もし差し支えがなければ詳細をお伺いしたいのですが」
意味深な彼の呟きにのめり込むよう問いかけると、男性は頷き、あたりを憚りながらその先を続けた。
「何かお困りのようだしね、私の知っている範囲でよければ少しお話ししようか。まず……犬飼一族が元々、あの村で先祖代々『狗神様』を祀る古社を細々と運営していたことは知ってるかい?」
「あ、いえ。詳しくは……」
「なら、話はそこからかな。彼ら一族が運営していたその神社はね、従来は憑き物が原因の病気や災いを祓う一般的な神社として地元の民たちから信仰されていたんだが、宮司が神道に無関心だった放蕩息子に世代交代して以降、村全体が『狗神様の呪い』と思しき原因不明の疫病や災いで蔓延するようになってね。人々は日常を脅かされるまでに至った」
「! それって……」
「うむ。それもこれも全て、新宮司が参拝客を増やすために自作自演の呪いを仕組んで荒稼ぎに及んでたってわけだ。無論、その『新宮司』というのが、君たちが検索をしていた狗神使いの『犬飼健太郎』氏のことだよ」
「やっぱり……。噂には聞いていたんですが、問題のあるお方だったんでしょうか?」
「ああ。彼は金に浅ましい姦悪な宮司だとして村人たちの間では有名だった。彼の犯した過ちはそれは酷いものでね、例えば、なんの罪もない村民に狗神様の呪いをかけては祓いにやってきた被害者に『謎の奇病』だの『動物霊に憑かれている』だの嘯いて、法外な除霊代をふっかける。もし、そこで金を払わなければ容赦なくさらに禍々しい呪いをかけて相手を追い詰めるんだ」
「そんな……」
「私もね、最初の頃は神に使えるべき人間がそんなまさか……と思っていたんだが、彼の所業だと勘づき始めた被害者たちがこぞって私の寺に流れてくるようになって、原因を探っているうちに紛れもないその真実に行き当たってしまったんだ。もちろん彼に改心するよう働きかけようともしていたんだがねえ……その矢先に健太郎氏に目をつけられて、『客を横取りするな』と因縁づけられた挙句に呪い殺されてしまったってわけだ」
「そんなことがあったなんて……。それはお気の毒でしたね」
眉を顰めて男性を見やると、彼は苦笑しながらどこか遠くに目を向け、「まあ、もう遠い昔の話だがね」と独りごちる。
その話が本当なら、この男性も被害者の一人だと言えるだろう。傍にいる玉己くんと小雪ちゃんをちらりと見やると、二人も男性の話を真剣に聞いて情を寄せているようだった。
「――とどのつまり、そうした悪行の結果、彼らは閻魔様の審判に撥ねられて奈落の底――四番街に堕ちた。だから君たちがいくら検索をかけても、彼らの名前が引っ掛からなかったってわけなんだ」
「なるほど。まさかとは思ってましたが、やっぱりそういうことだったんですね」
「ま、まじか……」
「四番街……地獄ね、納得だわ」
顔を見合わせて頷き合う私たち。先ほど抱いた『とある嫌な予感』が的中して腑に落ちたと同時に、だとすればもはや犬飼くんについての件は暗礁に乗り上げてしまう。
「(どうしよう……。四番街って確か『関係者以外立ち入り禁止の区域』だよね。もう健太郎さんに会う手立てはないってことなのかな)」
「(だにゃあ。おまけに、話聞いてる限りじゃやっぱりどうしようもねえ最低野郎っぽいぞ。調べるまでもなく終了案件でいいんじゃねえかこれは)」
「(そうよね……。花染さんには悪いけど、私もそう思うわ。こうなったらもうポチには別の方法で人間嫌いを治すようアプローチするしかないんじゃないかしら)」
玉己くんと小雪ちゃんと頭を寄せ合ってひそひそ声で話していると、首をかしげた男性は顎に手を置いて話を割った。
「――ふむ? 君たちは健太郎氏に会いたいのかい?」
「あ、えっと……はい。できればその、会えればいいなと思ってたんですが……」
「残念だが一般人の四番街への立ち入りは禁じられている。まあ、立ち入りができたとしても、彼のような狂人に会うことはお勧めできないがね。……代わりと言ったらなんだが、彼の家に支えていたという家政婦ならこの街にいるはずだから案内することはできるよ」
「! 本当ですか⁉︎」
思いもよらない申し出に、思わず身を乗り出して食いつく。すると男性はにっこりと笑い、
「ああ本当だよ」
「じ、じゃあっ」
「ただしね、そう簡単に個人の情報を見ず知らずの他人に渡すわけにもいかないから、彼女の元まで案内して取り継ぐにはそれなりに条件が……」
――と。含みのある言い方で、男性が私たちに詰め寄ろうとしたその時、私の目の前に、スッと影が落ちた。
「やあ君たち。長い間油を売っているようだけど、目当ての情報を手に入れるのにひどく手間取ってるようだね」
「!」
「九我さん!」
窘めるような鋭いまなこを男性に向けて立っているのは、別の端末で調べ物をしていたはずの九我さんだ。
彼自身の調べ物はもう終わったのだろうか。九我さんはいまだ犬飼くんの姿のままで、住職の男性を牽制するよう私たちの前に立っている。
それに対して男性は、少々面食らったような表情で居住まいを正した。
「おや。もう一人お仲間がいたとは。全く気づかなかったよ」
「ちょっと別の端末で調べ物をしていてね。それより……おおむね話は聞こえたけど、導師ってのは初対面の人間相手にずいぶん親切に教えを施してくれるものなんだね」
「……。あ、ああ。まあ……」
挑発的な笑みを浮かべている九我さんに、やや気圧されている男性。
どうやら九我さんはこの男性に何か思うところがあるようで、ひどく冷淡な口調でその先を続けた。
「素直に甘えたいところだけど、あいにく僕は疑り深い性格なんだ。今の話が事実だという根拠を伺っても?」
「それは……もちろん。なんならほら、その端末で二十三番地区に住む旧狗神村出身の元家政婦『田所公子』という女性を検索してごらん。間違いなく該当者が出てくるはずだから」
九我さんから目配せが飛んできたので慌てて検索をかけたところ、彼のいう通りに『田所公子』さんがヒットした。住んでる地区も、出身地も、元職業も、全て相違ない。どうやら今までの話に嘘偽りはなかったようだ。
「どうかな?」
「確かに出たみたいだね」
「だろう? それで安心していただけたかな。差し支えなければ、このまま君たちを彼女の元へ案内してあげても……」
「いや、せっかくだけどそれは遠慮するよ」
安堵の表情で話を進めようとした男性に、ピシャリと告げる九我さん。
「!」「(にゃっ)」「(え?)」
当然私たちは目を丸くして彼を見、当の男性も、
「……。な、なぜだい?」
怪訝そうな顔で首を傾げている。九我さんは冷ややかに微笑みながら、忖度なく答えた。
「何か匂うんだよね、君」
「……!」
「それに、今の話が事実だとわかればそれでもう充分だから。案内までは必要ない。先を急ぐんでさっさと消えてもらえるかな」
容赦ない九我さんの一言に、男性は浮かべていた親しげな笑みを消してその顔に翳りを滲ませる。
九我さんの極めて無慈悲な態度にハラハラしながらも、成り行きを見守るしかない私、玉己くん、小雪ちゃんは静かに状況を窺った。
「……」
男性はしばし何かを言いたそうに口をまごつかせていたけれど、やがてそれを諦めて短く息を吐き、再び穏やかな表情を繕って言う。
「そ、そうか……。何かお力になれるかなと思ったんだがね、残念だ。まあ、気が変わったらいつでも声をかけておくれ。今日はしばらく、このあたりに止まる予定だから」
彼はそう言い置くと、まるで九我さんの追求から逃れるように、そそくさとその場から立ち去っていく。
それまで妙に前のめりだった割にあっけない幕切れ。私たちが目を瞬いて顔を見合わせていると、九我さんはやれやれと言ったように肩をすくめながら、待機中の端末に向かった。
「お、おい九我白影。せっかく案内してくれるっつってたのに、なんであんな邪険に扱ったにゃ⁉︎ 性格悪いぞお前⁉︎」
「言っただろ。彼からは嫌な匂いしかしなかった。それに……そもそも個人情報を他人に売る行為を渋ってた割に、現地への案内を好んでしたがってる時点であの男への信用度はゼロだ。ろくでもない取引を持ちかけられる前に切っておいた方が得策だと思うが」
「ぐ、ぐぬ……」
「さて。お喋りはここまでだよ化け猫くん。嫌な予感がする。あの男に付け回される前にさっさとここを出よう」
九我さんはいじっていた端末からプリントアウトした用紙をつまみ上げると、素早くあたりに目配せをしながら撤退を煽った。
「え、でも、さっきの田所公子さんの詳細情報とか、他にも件の河童のこととか、花染さんにはまだ調べ足りないことがあるんじゃないかしら?」
「あ、はい。ヤエさんの件ですよね。すみません、これから調べようと……」
「そのどちらも、今、検索結果をプリントアウトしたところだ」
「! はやっ」
「さ、さすが……」
「すみません、ありがとうございます!」
「礼にはおよばないよ。その件については『田所公子』の居場所に向かいながら話すから。……先を急ごうか」
先を促され、気を取り直して頷くわたしたち。
先ほどの住職さん、特に悪い人のようには見受けられなかったけれど、よほど九我さんには不穏な存在に見えていたのかもしれない。
とにもかくにも速やかにその場を離れ、この時は大きなトラブルもなく冥界案内所を後にしたのだった……が。
「……」
去り際、まるで九我さんの予感を的中させるかのように、さきほどの元住職男性がいつまでもじっと、ねっとりと、私たちの行く末を見つめていたことに、この時の私は気づかなかったのだった。