6-6 チグハグパーティ誕生
◇
幽世の夕刻は、陽のない薄明の白夜に似ている。
不変でありつつも気まぐれに色彩の豊かさを垣間見せる空は、大半がやや明るめの群青色で染め上げられているが、所々に葵色や白、桜鼠、そしてやんわりと灯る朱色などといった淡いグラデーションを織り成していたりもして、いつ見ても美しく幻想的だ。
心を奪われるようにぼんやり天を仰ぎながら、學園の正門付近にあるターミナル行きバス乗り場へ向かっていると、ふと、たどり着いたそこに予期していなかった人物の姿があった。
「あれ? 小雪ちゃん……?」
間違いない。小雪ちゃんだ。
いつもの着物のような洋装姿ではなく、真っ白いポンチョケープのファー付きフードを深々とかぶり、もんぺのようなふっくらとした作りのズボンと白いブーツを履いていて、肩にはぬいぐるみのような雪だるまが乗っている。バス待ち用のベンチに腰をかけ本を読んでいるんだけれど、彼女の背中には遠足にでも行くかのような小ぶりなリュックが背負われていた。
「……!」
私の声に気づいて顔を上げた彼女は、読んでいた分厚い本をパタンと閉じるとコホンと咳払いしてから取り繕うような声色で言った。
「あら、遅かったじゃない。お供の猫と狐ならまだきてないわよ」
「え? あっ、玉己くんと九我さんのことかな? 二人は色々所用を済ませてからくるって言ってたからもう少しかかるんじゃないかな」
「そう。ならもう少し待つしかないわね。それはそうと花染さん、あなたそんな軽装で零番街へ行くつもり? この時期だと向こうの街はだいぶ肌寒いらしいわよ。もう少し何か上に羽織るような物があったほうがいいんじゃないかしらね」
「そうなんだ。急に行くことが決まったから羽織物といったら学び舎指定の外套くらいしかなくて……っていうか、あれ⁇ 小雪ちゃん、確かお化けが苦手だから今回はお留守番してるって話じゃなかったっけ……?」
目を瞬きながら首を傾げると、彼女はぎくりとした表情を浮かべつつも、照れ臭そうにここに至る経緯をやや早口気味に(でも丁寧に)説明してくれた。
「いや、まあ、そうなんだけど……ね。上級あやかしが一人同行することになったって言っても、色々とこう……やっぱり不安じゃない? ほら、タマと狐の彼は犬猿の仲っぽいところあって道中揉め事を起こす可能性がゼロじゃないし、それに……あいつらよく考えれば一応獣人系あやかしの雄でしょう? いやさすがにこの状況下で変な気を起こすってことはないでしょうけど、でも、男二人がなんか変な悪霊にでも取り憑かれて気が狂って貴女を襲う可能性ならなきにしもあらずだし、万が一にでも貴女の身に何かあったら、それこそ狐の彼の同行を勧めておきながら不参加を表明した私の気が居た堪れないっていうか……その、それで」
「う、うん……?」
「色々考えて、やっぱりもう一人くらい女手があった方が花染さんのためにもなるんじゃないかと思って、本当は零番街出身の霊華さんに同行してもらえないか頼んでみたんだけど『私なんかじゃ役に立てそうもないので』って涙目でやんわり断られちゃって。まあ、彼女、ポチとタマのことかなり怖がってて怯えてた風だったからそれは仕方ないとして、代わりにシキあたりにも声をかけてみたんだけど、こんな時に限ってあの子、他の友達と遊ぶ予定があるからごめんアハハ〜とかってあっさり断られちゃって、それで……。これはもう、腹を括って私が行くしかないのかなって」
「小雪ちゃん……」
「あー、いや、その、確かにオバケは怖いけど……さ。よく考えたら将来の幽世を背負って立ちたいと思ってるようなあやかしが、幽世民の一種族である幽霊相手にビクビクしてるわけにもいかないかなって。……あ、大丈夫、心配には及ばないわ。恐怖心に打ち勝つよう、ちゃんと除霊グッズもたくさん持ってきたから。ほら見て、これが悪いオバケに効くって噂のお札で、こっちは邪気払いの除霊用数珠。でもってこっちはお清めの塩でしょ。あとこれが今売れてるらしい悪霊退散ライト! ここ押すとピカーって光るのよね。本当に効果があるのか疑問なんだけど、無闇に使ってその辺にいる善良な幽霊の門人にでも浴びせちゃったら大変だから迂闊に試せないのが難点なのよ。でもないよりはマシっていうか。私今日一コマ少ない日だったからさっき取り急ぎ中央通りにあるデパートで買ってきたヤツなんだけど、なかなか心強い買い物したと思わな…………いっ⁉︎」
「う〜! ありがとう、小雪ちゃんっ」
リュックサックから取り出した怪しげなグッズで両手がいっぱいになっている小雪ちゃんに飛びつき小柄な体を思いっきりぎゅうっと抱き締めると、彼女は目を白黒させながら身を硬くした。
「ちょちょちょ、は、花染さんっ、あのっ」
「心配してくれたんだね……。いつも話聞いてくれたり相談に乗ってくれたりなんだかんだ言いながらも手を差し伸べてくれてほんっとにありがとう……わたしもう、小雪ちゃんには頭が上がらないよ」
「なっ、いやっ、その、わ、わわわたしはくくくクラスメイトとして当然のことをししししてるだけで……っ」
「――おい、なんの騒ぎだにゃ。っていうか、なんでここにガキンチョがいるにゃ。しかもその格好……まんま雪ん子じゃねえか」
「!」
小雪ちゃんに飛びついて感謝を述べたり彼女の健気さに胸を詰まらせていると、ほどなくして玉己くんがやってきた。
どこか気だるげな表情の彼は上下共にラフなスウェット姿(しかも手ぶら)という軽装っぷりで、重装備の小雪ちゃんとは正反対の身軽さである。
「あ、玉己くん!」
「ちょっ、失礼ねタマ! いつどこで悪霊に襲われてもいいよう守備力高めの氷雪族の正装を着てきたのよ! っていうか貴方の方こそなによその深夜にふらっと商い屋にでも行くようなラフすぎるスタイルはっ。やる気あるの⁉︎」
「うるせーにゃあ。んな戦いにくそうな格好より、フットワークの軽さを重視したこっちの方が断然マシだろ。ガキの遠足じゃねえんだからもう少し荷物減らさねえとあの狐野郎に嫌味言われんぞ。っつうか、ついてくるならついてくるで構わねえけど足手まといにだけはなるにゃよ? ガキのお守りはごめんだからにゃ!」
「ちょっ、なによもうっ、人を子ども扱いして! 私だって一応あやかしなんですからねっ。化け猫なんか守られなくったって、自分の身ぐらい自分で守れるわよ! きーっ」
「あ、あのっ。ふ、二人とも喧嘩は……!」
顔を合わせるなり、火花を散らし始めた玉己くんと小雪ちゃん。おろおろしながらも慌てて仲裁に入っていると、
「やあ、君たち。随分賑やかだけど……ああ、雪女くん、結局君も同行することになったんだ。友人思いなのは結構だけど、いきなり仲間割れとはなかなか波瀾万丈な旅になりそうだね」
「!」
窘めるような声が頭上に降ってきたため、どきっとして振り返る。するとそこには、Vネックのサマーニットにベージュ系のジャケットを羽織り、下はコットンパンツといった、どちらかというと軽装寄りな出立ちの九我さんが立っていた。
「で、でたっ狐!」
「出たにゃ九我白影!」
「だから君たち、『さん』ぐらいつけたらどうかな」
にこにこと微笑みながらも、九我さんは身構えている二人に無言の圧をかけている。
「九我さん! よ、よかった。所用はもう終わったんですか?」
「ああ、遅くなってすまないね。おかげで所用は片付いたよ」
「そうですか。ならよかったです」
彼の登場のお陰で二人の喧嘩がぴたりと止んだので、ホッと胸を撫で下ろしつつ、場を取りなすようさりげなく三人の間に立ったのだけれど……。
「(ちっ。相変わらずスカした野郎だぜ。ガキンチョのくどい格好もアレだけど、狐野郎の場違いに小洒落た格好もなんか妙に鼻につくにゃ)」
「その独り言、全部聞こえてるよ化け猫くん。というか君は、そんなラフな格好でこれから湯屋にでも行くつもりかい?」
「ほ、ほっとけにゃっ。っていうか、そういうお前だって軽装だし、俺と大して変わらねーじゃんかっ」
「君の湯屋スタイルと一緒にされるのは心外だな。まあ、動きやすさ重視ってことでそこは百歩譲るとしても、そのだらしなく出てる耳と尻尾はなんとかならないのか? 零番街の住民の大半は『人間』だってこと、君も知ってるだろう。半妖の死者も0ではないだろうけど数自体少ないはずだからね。変に目立たれても困るんだよ」
小雪ちゃんと玉己くんの小競り合いが治まったかと思えば、今度は玉己くんと九我さんの間に勃発するささやかな諍い。つっけんどんに絡む玉己くんに、九我さんはやれやれといった感じで肩を竦めている。
「わ、わーってるけどよ……でも、猫に化けるんならともかく人型への変化術はまだ完璧じゃねえからしょうがねえんだよ。集中してねえといつの間にかヒョッと(耳と尻尾が)出てきちまうっていうか……。もうさ、そんなんだったら最初から出しといた方が自然だろ」
「開き直りか。まあ、君はまだ訓練中の化け猫だしな。ならせめて、そのスウェットについてるフード被って、尻尾は腰にでも巻きつけといたらどうかな」
「ちっ。はいはい、これでいいですかっと。……っていうかそういう自分はどうなんだよ? なんたって九我家の後嗣だぜ? 顔知ってる死者ぐらいいそうなもんだし、幽霊のふりしてんのがバレたらそれこそ騒がれんじゃ……」
「ああ、僕のことなら心配には及ばないよ」
ハラハラしながら成り行きを見守っていると、涼やかな笑みを浮かべた九我さんはすっと両手の指を絡めるように組み、目を閉じて何かを念じ始めた。
「――⁉︎」
なんだろう、と首を傾げる間もなくボワッと放たれた妖気。一瞬にして九我さんの姿が白煙に包まれ、ほどなくして見覚えのある黒髪の青年の姿がもくもくと浮かび上がってきた。
「あっ」
「えっ」
「うおっ! い、犬飼……!」
「これで文句はないだろ?」
にっこり微笑む犬飼くん。いや、見た目は完全な人間体の犬飼くんだが、中身はもちろん九我さんだ。
犬飼くんといえば普段は人間の姿に犬耳と尻尾がついている半妖の姿が特徴的だけど、今の九我さんにはそれがない。零番街への侵入を前提としたせいか、完璧な人型になっている。
「す、すごい。耳と尻尾がないけど、犬飼くんの容姿を完璧にコピーしてる……」
「化け術は僕ら妖狐の十八番だからね。モデルがあった方が化けやすいからとりあえず彼のビジュアルを借りたけど、姿形は必要に応じていくらでも変えられるから」
「なるほど……」
「さすが上級あやかしは格が違うわね……。タマ、あんた仮にも『化け』猫なんだから、名前負けしないよう彼を見習いなさいよ」
「うぐ。ほ、ほっとけにゃ! くそっ。耳と尻尾がないあやかしは気楽でいいこった……」
恨みがましい目で雪ん子スタイルの小雪ちゃんを睨む玉己くん。
化け術に関しての軍配は完全に九我さんの方に上がったようで、当の本人・九我さんは犬飼くんの姿のまま満足そうににっこりと微笑む。
「さあ、おしゃべりはここまでにして。……ほら、バスが来たみたいだよ。なるべく現地では最小限の滞在時間で済ませたいところだし、バスに乗ったらターミナルステーションに着くまでの間、色々と打ち合わせでもしておこうか」
「は、はいっ! 車内で『冥土の土産』も配りますね」
「了解。なんかドキドキしてきたわね……」
「チッ。言い出しっぺなんだから、お前がテキパキまとめろよ花染」
――九我さんの一言でやってきたバスに乗り込み、まずはターミナルステーションを目指す私たち。
顔を合わせれば小競り合いを始める玉己くん、小雪ちゃん、九我さんの仲の悪さ(というかチームワークの悪さ?)には大きな不安を抱えつつも、クラスメイトのために苦労を惜しまず力を貸してくれる三人の懐の深さには本当に心から頭が上がらない思いで、これをきっかけに皆の絆が深まればいいのになあなんて……思ってみたりもしたけれど。
「おい九我白影、俺そっちの団子がいいからそっち寄越すにゃ」
「君の開き直りは潔さを通り越して図々しいものがあるね。いい加減、フルネームで呼ぶのはやめてもらえるかな」
「あっ、待ってよタマ! 私もポチ……じゃなかった。九我君と同じミルク味のヤツがいい。ワサビ味は……うん、ほら、下級の私たちには刺激が強すぎるかもしれないし、あなた上級で耐久性とか免疫ありそうだしこっちにしてよ」
「……。雪女君は雪女君で、こういう時だけ階級制度持ち出すのは頂けないんだが。あんまりにも生意気な口叩くようなら上級らしくシメてあげてもいいけど?」
「うっ。え、遠慮しとくわ! っていうかあなたのその笑顔、目が笑ってなくてめちゃくちゃ怖いんですけど⁉︎」
「は、はは。みんな仲良く……(……は……無理かな、やっぱり)」
閑話休題。
かくして、チグハグな私たちの波瀾万丈な零番街への旅が始まったのである。