6-1 さっきからずっとここにいたにゃ
◇
「はぁ」
玉己くんの件から早数日が経った、とある昼下がりの第一食堂――。
ゴシック調で誂えられた豪壮なホールの片隅に、再びこぼれ落ちる私のため息。
「あら。ずいぶん浮かない顔してるじゃない。またなにかお節介な悩みごとでもしているの?」
「……!」
声をかけられてハッとしたように顔を上げると、目の前にはランチのトレーを持った小雪ちゃんが立っていた。
「小雪ちゃん!」
「この光景、どこかで見た気がしないでもないけど……まあいいわ。ここ座るわね」
「あ、うん、もちろんどうぞ!」
「……で。久しぶりに会ったっていうのに、今度は一体何のため息をついてるの?」
同じ天堂組である小雪ちゃんは、相変わらずそっけない態度ながらも、あれこれ世話を焼いてくれるようだ。
「それが……」
甘えてばかりで申し訳ないと思いつつも、一人で抱え込んでいても気が滅入るばかりなので、溜息の原因を思い切って打ち明けてみることにする。
「今朝の登校途中にね、学び舎の外で河太郎くんに会ったの」
「河太郎って……前にあなたが悩んでた、不登校の河童のことよね?」
「うん。目標を見失って挫折中の、あの河太郎くん。ずっと気になってたんだけど、今日また、偶然彼の姿を見かけて……」
はぁ、と息を吐く私に、小雪ちゃんは要領を得たように小さく頷いてから、さらに尋ねてくる。
「『学び舎の外で』ってことは、いまだに不登校ってとこかしら?」
「そうみたい。今は休学扱いになってるようだけど、このまま一度も学び舎に通うことなく入学自体を取り消すか否か、相当悩んでる様子だったんだよね」
「なるほど。各学部でもう講義も始まってる時期だっていうのに、ずいぶん拗れてるのね……」
小雪ちゃんはそう言って、スプーンで掬った冷製スープのようなものを口に運んだ。
頷きを返した私は、その先を続ける。
「なんだか居た堪れなくなっちゃって……それで、河太郎くんと別れた後に色々調べてたら、偶然天堂先生に会ったんで思い切って聞いてみたの。そうしたら特待生である河太郎くんが科目登録できる猶予期間は、今週末までなんだって」
「え、特待生ってそんな猶予期間あるの?」
「うん。ちゃんと届出と必修科目の登録さえしておけば、しばらく休学しててもなんら問題はないみたいなんだけど……河太郎くんの場合はそのどちらもしてないらしいから、このままだと除籍になっちゃうようなの」
「なるほど。それでお節介なあなたが、ため息をついてたっていうわけね」
「うう……。やっぱり関係ない私が悩んでること自体、お節介でしかないよね……」
小雪ちゃんに核心をつかれ、ぐうの音も出ずに項垂れる。
わかってはいるけれど、今朝方見た思い悩む河太郎くんの顔が脳裏にチラつくと、どうしても放って置けない性分がじわじわと滲み出てきてしまうのだ。
「余計なことだとはわかってるんだけど……でも、彼の過酷な生い立ちを聞いちゃった手前、なんだか他人事にも思えなくてさ。本当にこのままでいいのかなって、私に何か手助けができないのかなって考え出したら止まらなくなっちゃって……」
「はー。ったく、なんで真っ昼間からンな辛気臭ぇため息ついてんのかと思えば、んっとにお前ってどうしようもないお人好しだにゃ」
「……⁉︎」
「わっ、びっくりした! た、玉己くん……⁉︎」
小雪ちゃんに向かって悩みを吐露していたはずなのに、突然私の背後から心底呆れたような声が聞こえてきたため、驚きで心臓を飛び出しかけた。
慌てて声がした方を振り返ると、いつからそこにいたのか、ランチ中と思しき玉己くんが焼き魚のようなものをはむはむと貪りながらこちらを傍観していた。
意表をつかれた私はもちろんのこと、これには小雪ちゃんも円な瞳をぱちぱちさせて驚きの表情を浮かべている。
「なっ、何よタマ、いつからそこいたの⁉︎」
「さっきからずっとここにいたにゃ」
「ぜ、全然気づかなかったわ。っていうか、なに? 前に見た時よりずいぶん血色いいし、妙にすっきりした顔してるけど……アンタまた花染さんを甚振りにきたの? 人間差別もいい加減にしないとハラスメント案件で事務局に通報するわよ⁉︎」
「あ、えっと、小雪ちゃん。玉己くんはその、あの後、色々あって……」
「そうそう。花染の言う通り色々ありすぎて、今はもう人間ごときにめくじらを立てるような俺じゃないにゃ」
しれっと言い放ち、ぷいっと横を向く玉己くん。
口の悪さは相変わらずだけれど、小雪ちゃんのいう通り血色はいいし、夢子さんの一件以来、辺りを憚らず絡んできてくれるようになった玉己くんに、ちょっと感心してしまう。
「え、なにそれ⁉︎ そ、そうなの? っていうか、一体なにがどうなってそうなったの⁇」
「あーうるせ。別にどうでもいいだろ。っつうか、俺のことはほっとくにゃ」
玉己くんがぶすっと不貞腐れたような顔でそう言い放つと、前のめりになって腰を浮かせていた小雪ちゃんは、しばらく半信半疑といった感じで目を瞬いていたけれど、やがて「ま、まあ、嫌がらせをしにきたんじゃないなら別にいいけど……」と、闘争心を削がれたように腰を下ろした。
苦笑いする私を見て、玉己くんは構わずさらに首を突っ込んでくる。
「……で、話を戻すにゃ。さっきの河童の件だけど。そもそも学びを得るかどうかは本人が決めることであって、他人がどうこう口出せるものじゃねえだろ。仮に今、そいつのケツ叩いてその気にさせたところでやる気がなけりゃどうせ続かねえだろうし、いちいち他人の人生にまで首突っ込んでたらキリがないし身がもたなくなるにゃ」
どうやら出だしからばっちり話を聞かれていたようで、玉己くんは至極まともな意見で私の悩みを打ち砕き、あっさりと完全論破に至ってしまう。
「うう。そうだよね、ごもっともすぎて耳が痛いです……」
「ふん。ったく、飯に手もつけず、さっきからそこで一体なにをうじうじ悩んでんのかと思えば、お前のお人好し加減にはほとほとうんざりするにゃ。そろそろお前の昼休憩の刻も終わるだろうし、わかったってんならもう河童族のことなんかほっといて、さっさと飯食って午後の講義にでも行けにゃ」
「なによタマ。ずいぶんな言いようだけど、なんだかんだで彼女が悩んでたの、ずっとそこで見てて気にしてたってことじゃない」
「……!」
「うっ」
た、確かに。小雪ちゃんに言われてハッとしたけれど、玉己くん、私がランチに手もつけずに昼休み中ずっと悩んでたところを、後ろの席でずっと見てたってことなのだろうか。
目をぱちくりさせて彼を見ると、玉己くんは顔を真っ赤にして猛抗議してくる。
「そ、そんなわけないにゃ! いっ、今さっき、そう今さっき、たっ、たまたま目についただけでっ」
「苦しい言い訳ね。ランチに手をつけてないこととか、彼女のお昼休憩が終わることまで知っていてよく言うわよ」
「うぐっ」
「あは。気にしてくれてたんだね。ありがとう。前から思ってたけど……玉己くんって、口は悪いし第一印象は最悪だったけど、話してみれば気さくで人懐っこいし、優しいところもいっぱいあるよね」
「うっ、うるせえ! っつうか、のほほんと笑いながら軽くディスってんじゃねえよ! お、俺はなあ、ただ単に夢子の一件で借りた借りを返そうと思っただけでっ……」
――と、玉己くんが必死になってさらなる抗議を続けようとした時のことだった。
ガシャン、と音がして、周囲が一瞬だけシンと静まり返る。
なんだろうと思って、一斉に音の出元を振り返った私、小雪ちゃん、玉己くんだったが、そこで唖然と佇んでいる人の姿――正確にはあやかしの姿だが――を見て、玉己くんの表情がサッと青ざめた。
「……」
「!」
「あ……」
「あ、犬飼……」
玉己くんの口からこぼれ落ちる、小さな呟き――。
そこには、持っていたランチトレーを床に取り落とした犬飼くんが立っていて、彼はしばし無言でわなわなと唇を震わせたのち、やがてひどく凍てついた形相でこちらを睨みつけたのだった。