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5-11 誤算

「玉己くん……」


 およそ百年間、裏切られ、捨てられたとばかり思っていたその事実が急に翻ってしまったのだから、彼が複雑な感情を抱くのも仕方のない事だろう。


 けれど――。そうは言っても、やはり嬉しくないはずがない。


 きっと誰よりも安堵したに違いない。


 だから彼は今、大きな瞳に溢れんばかりの涙をためて、必死に泣くのを我慢しているのだろうとそう思った。


「なんだか矢継ぎ早にごめんなさいね。祖母が日頃から伝えたがっていたこと、残さず全部伝えなきゃって思ったら、止まらなくなってしまって……」


「あ、いや……。私たちは真実が知りたくてここまで来ていたので、夢奈さんが夢子さんの意思を受け継いでくださっていて……真実を知ることができて本当に助かりました。ありがとうございます」


 玉己くんが誤魔化すようにそっぽを向いて鼻をズビズビさせているので、彼の代わりにそう告げると、夢奈さんは積年の夢を果たした後であるかのように、それはそれは穏やかに微笑んだ。


 夢奈さんの話が真実であれば、これでもう玉己くんが夢子ちゃんを怨む理由はなくなるし、長年の呪縛からもようやく解き放たれるはず。


 よかった。これで一件落着……のはずなのだけれども。


(――あれ。でもそれならなぜ、玉己くんは夢で夢子ちゃんに呼ばれていたんだろう?)


 微かに残る疑問が頭の中を掠めたその時、居間に掛けられていた時計が夕焼けのメロディを奏で始めた。


「……っと、いけない。もうこんな時間!」


 疑問を払拭したいところだったが、間もなく日が暮れる時間だ。


 幽世に戻る列車の時間も控えているため、そろそろ切り上げなければならない。


 時計から視線を外した私は、再び夢奈さんに向き合う。


「夢奈さん、真夢ちゃん、本当にありがとうございました。もう少しゆっくりしていきたいところなんですが、電車の時間もあってそろそろ行かなければならなくて……」


「まあ、そうなんですか。いえいえ、助けられて感謝しているのはこちらですし、もう少しきちんとおもてなしもしたかったのですが、電車のお時間があるんじゃ仕方ないですよね。こちらはいつでもお待ちしておりますので、またお時間のある時に立ち寄ってもらえれば……」


「お気遣い感謝いたします。それで、あの、もしよかったら、最後に夢子さんにお線香だけでも上げさせてもらえませんでしょうか?」


 私の申し出に、玉己くんも食いつくようじっと夢奈さんを見つめた……のだが。


「えっ?」


「……え?」


「?」


 目をぱちくりさせる夢奈さん。驚いた顔をしているので、何か変なこと言っただろうかとこちらまで目を瞬いていると、


「あ、いえ、あの……やだ、私ったら……誤解を招くような言い方をしてしまったかしら……?」


「え?」


「実は、その……確かに歳も歳ですし、だいぶ老衰もしてきているんですが、祖母はまだ存命中でして……」


「……へ?」


「……⁉︎」


 思いもよらない発言に、目を見開いて絶句する私と玉己くん。


 あれ? あれ⁉︎ あれ⁉︎⁉︎ 


 ちょっと待ってちょっと待って、どういうこと⁉︎


 若干パニック気味に口をアワアワさせながらも、なんとか言葉を紡ぐ。


「そっ、それは大変失礼しましたっ! あ、あれっ⁉︎ いや、で、で、でも、真夢ちゃんが先ほど、『三年くらい前に、治らない病気に罹っちゃって』って……」


「あ、えっと、それは恐らく『認知症』のことだと思います。祖母は重度の認知症を患っておりまして、今は専門の施設で過ごしているんです」


「⁉︎」


 に、認知症――⁉︎


 確かに種類によっては完治が難しい病気だし、先ほど夢奈さんがスーツ男に放っていた『今となっては祖母に確認する手立てがない』という発言にも納得がいく。


 丁寧に解説してくれる夢奈さんと、にこにこ微笑みながらこちらを眺めている真夢ちゃんを見て、あ、これはもう勘違いとか夢とかじゃなくて本当なんだと今さらながら実感が湧いたりなんかもして、嬉しすぎる誤算にあいた口が塞がらない私。


 特に玉己くんなんかは理解が追いつかないようで、取り乱すように頭を掻きむしっている。


「う、嘘にゃ……! で、でも、それならだって、仏壇っ、仏壇は⁉︎ 俺……何年か前にここに来た時、仏壇があるのを見たし、近くには夢子の形見が転がってるのも見て……」


「仏壇……でしょうか? えっと、それはおそらく、私の両親のものだと思います。祖母は認知症を患う前から、娘や孫の世話になるのはしのびないから時期が来たらシニア向けの物件に入ると言って聞かなくて、いくつかの私物をここへ残してさっさと家を出て行ってしまったので……」


「な……」


「そうだったんですか……! じ、じゃあ今は……」


「ええ。今は『安らぎの里』という、隅田川沿いにある介護施設にいますよ」


「……!」


 これ以上にない驚愕の表情で固まっている玉己くんと顔を見合わせる。


 夢子ちゃんが生きている――。


 その確かな事実にもはや驚きを通り越して胸が熱くなり、すぐにでもこの家を飛び出して会いに行きたくなる衝動に駆られたのだった……が。


「っと、すみません。電話が……」


 ――ふいに夢奈さんの持っていた携帯電話が、高らかな着信音を発した。


 画面を見た夢奈さんは「今お話しした施設からです」と告げ、不穏な気配を察知するよう慌てて電話に応じる。


「はい、お世話になっております。……はい、はい、……えっ」


 通話を始めてすぐ、夢奈さんの顔色がさっと青ざめた。


 嬉しい驚きから一変、妙にざわつく胸。何かあったのだろうかと危惧する間もなく、彼女は二、三、口早にやりとりを交わして電話を切ると、ひどく狼狽えた口調で言った。


「ど、どうしよう……」


「どうかされたんですか?」


「その、施設から電話で、祖母が外へ出ていったっきり帰ってこないって……」


「……っ」


「! って、ちょっと玉己くん⁉︎」


 まるで虫の知らせに背を押されるよう、家を飛び出す玉己くん。


 長い時を経て、ようやく二人の蟠りが解消されたと思った矢先に飛び込んできた不穏な報せ。


 運命の悪戯に翻弄されるように、私と夢奈さん、そして真夢ちゃんも慌てて家を飛び出したのだった――。


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