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5-8 死に損ないの化け猫

「た、玉己くんッ!」


 細い路地に響く私の叫び声。


「ん?」


「……っ⁉︎」


 一瞬の出来事だった。爆発的な妖気が一気に放出されたせいか、辺りが一時的に薄暗い闇に覆われる。


『……さ……ねえ……』


「な、な……」


『赦さねえぞ郷田……!』


 おどろおどろしい声が狭い路地に反響し、目を凝らすと、煙霧に包まれた人型の玉己くん――それもいつもの三倍ぐらいの大きさだ――がスーツ男性の目の前に立っていた。


 彼の表情は怒りに満ち、血走ったその眼は今にもスーツ男性を八つ裂きにでもしてしまうんじゃないかと思えるほど、恐ろしい負の感情で支配されていた。


「あ、あ……」


「ひ、ひいィィィ! ば、ば、ばばばば化け物……!」


 真夢ちゃんと抱き合ってペタンと地面に座り込む夢奈さん母子を置き去りに、その場から一目散に逃げようとしたスーツ男性。しかし玉己くんは猛獣のごとく素早く彼を追いかけると、両手で彼の首を捕え、そのままぐいっと掴みあげた。


『殺す、今度こそ殺してやる……!』


「うわああああッ……うごっ、う……」


「駄目! 駄目だよ玉己くん、彼は〝郷田〟さんじゃ……きゃっ!」


『うるせぇ!』


 必死に玉己くんの腕にしがみついてスーツ男性を引き剥がそうとするけれど、妖力が解放された彼の力はとても歯が立つようなレベルではなく、忌々しげに振り払われた挙句、壁際まで跳ね飛ばされてしまった。


「い、った……」


 ――どうしよう、とんでもない力。敵わない。でも……。


 諦めずに玉己くんの腕にしがみつき、辛うじてスーツ男性の首と玉己くんの手の間に隙間を作る。


「う……っく……ごほごほッ」


「お願い……やめて玉己く……」


『邪魔するんじゃねえ! テメェもコイツと一緒に捻り潰されてぇのか!』


「そんなことしちゃ駄目だって! 退学どころか幽世からも追放されちゃう!」


『構わねぇよもう! どうせ俺は死に損ないの化け猫だ。今さら惜しむ命なんかねえし、それに……夢子(アイツ)に呼ばれていた理由、これでやっとわかった気がすんだよ!』


「呼ばれていた……理由……?」


『ああ。夢子は〝自分の元へ来い〟って呼んでいたわけじゃねえ。現世に行ってコイツを殺してくれって、八つ裂きにしてくれって……きっとそう訴えてたんだ! 考えてみりゃ俺ぐらいしかそんな役割果たせる奴もいねえしな!』


 悲愴にくれた声でそう断じ、悲しそうな顔で嗤う玉己くん。


 彼の出したその答えの中には、夢子ちゃんからの愛は微塵も窺えなかった。もはや自分にはその程度の価値しかないと、所詮自分は死に損ないの化け物でしかないのだと、玉己くんはそう嘆いているかのようだった。


「玉己くん……」


 痛いほど、彼の夢子ちゃんへの一途な想いが伝わってくる。


 痛いほど、彼の苦しみが伝わってくる。


 郷田に殺されて、復讐したくてもできなくて、大好きな主を奪われて、居場所までも奪われて、戻ってきた現世でまた郷田の残像に虐げられて。


 そうして彼はまた、郷田の影に自分の存在までもが否定されようとしている。


『わかったんなら早くどけよ! 夢子の望み通り、今すぐスーツ男(コイツ)を八つ裂きにして奈落へ突き落としてやる!』


 ――本当にこれが、夢子ちゃんの望んでいることなのだろうか?


「……がう」


『だから早くそこをっ……』 


「――絶対に違う! だからお願い、もうやめて玉己くん。夢子ちゃんはこんなこと望んでるはずないよ!」


『……ッ!』


 自分でもびっくりするくらい大きな声と力が出た。


 私の声で玉己くんが一瞬怯んだ隙になんとかスーツ男性を玉己くんから引き剥がす。男性は半分気を失いかけていたが、地面に転げ落ちると息を吹き返すようにげほげほと咳き込み、がたがた震えながら涙目でこちらを見上げていた。


『んで……なんでお前にそんなことがわかんだよ……!』


「わからないけど……でも……やっぱり私にはどうしても、夢子ちゃんが故意に玉己くんを捨てるような非情な人間には思えないよ。だって……さっきこの人が言っていた〝猫のためのご大層な墓〟って、それってどう考えても玉己くんのためのお墓だよね……?」


『……っ』


「そんなに大切な存在だったのに、別れの挨拶もせず他人に『捨ててきて』って頼むだなんて絶対におかしいもの。きっと……何か裏があったんじゃないかな」


『……』


「本当は玉己くんだって夢子ちゃんのこと、心のどこかではそんな非情な人間じゃないってそう信じてたから、わざわざ現世にまで確かめにきたんでしょう? ……だとしたら、せめて真実に辿り着くまでは、夢子ちゃんのこと信じてみようよ」


 返事こそしなかったけれど、肯定を示すよう彼の瞳は揺らいでいた。


 夢子ちゃんのことを信じたい、いや、実際信じている。けれど、万が一にでも郷田の言うことが真実で、夢子ちゃんに疎まれていたのだとすればそれこそ立ち直れないから、これ以上傷つきたくなくて、彼は夢子ちゃんを信じる気持ちに蓋をし続けているよう、私の目には映っていた。


『…………』


 ――しばしの沈黙。


「う、うう……、ご、ごごごごめんなさいごめんなさいごめんなさい、も、もうしません、もうしませんからたたたた助けて……」


 顔面蒼白しているスーツ男性の口からは絶えず謝罪と許しを乞う言葉が読経のように唱えられていて、長らく私たちの間には不穏な空気が漂っていたが、やがて握りしめていた拳を力なく垂らした玉己くんは、強く唇を噛み締めた後、じろりとスーツ男性を睨み下ろして言った。


『命拾いしたな』


「……っ!」


『二度とこの地に足を踏み入れるんじゃねえぞ。次、夢子の親族に手を出しやがったらその時ァ容赦なく噛み殺すからな⁉︎』


「玉己くん……!」


「は、はひいいいいいいいっ。もももももうしません、ししし証文もここに全ぶここここここにおおおおお置いて行きますのでどうか命だけはっ」


『ったりめぇだ! 死にたくなけりゃとっとと消えるにゃ!』


「ひっ、ひいいいいい!」


 玉己くんが迫真の表情で牙を剥き出しシャーッと威嚇して見せると、スーツ男は持っていたアタッシュケースを放り出し、腰を抜かしたようにその場から逃げ去って行ったのだった。

 


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