5-7 もう赦せねえ
「だから、何回も言ってるじゃないですか! 祖母が築いた財産は祖母のものであって、あなたのおじい様は一切関係ないはずです! 迷惑ですから帰ってください!」
「いや、だからさあ鮎川さん、ここに証文があるんすよ~。あんたのところの婆さんが、当時許嫁だったうちの爺さんを騙くらかして金踏んだくったっていう証の借用書がね」
「……っ」
「ほら、ここに『金一千万お借りします。必ずお返します。潮田夢子』って、書いてあるでしょ? この潮田夢子さんは間違いなくあなたのお祖母さんですよね? 彼女は複数回にわたって僕の祖父である郷田から財産を巻き上げておいて、その金でこの家を建てたり、子どもや孫の教育資金にあてたり、果ては猫なんかのためのご大層な墓を建てたりしてたわけですよ。挙句、籍を入れる前に勝手に関係を解消してポイ捨てしてくれたせいで、うちの爺さんは晩年精神を病んで大変だったんですから~」
家の中から出てきたのは、険しい顔つきの女性と陰湿な口調のスーツ男性。
スーツ男性は手の中の紙きれをひらひらと見せびらかし、わざとご近所に聞こえるような声量で女性に追い討ちをかけている。
「大きな声を出すのはやめてくださいっ。そ、それはあなた方がでっちあげた話であって、その証文だって勝手に偽造して書いたものでしょう⁉︎ 今となっては祖母に確認する手立てがないからって悪質にも程があります。いずれにしたってそういうものには時効があるわけですし、いい加減にしないと警察に……」
「おやおや、言いがかりはよくないなあ。僕はね、死んだ祖父から詳細を引き継いでここまで来てるんですよ~。しかもね、後年祖父が立ち上げた組織の経理にはこわ~いお兄さん達がた~くさん揃ってまして、時効なんてものは通用しないんですよね~。耳を揃えて金を返さないっていうなら、明日にでもそのコワァイお兄さん達を直接ここへ連れてきましょうか?」
「け、結構です! って……真夢!」
「お、お母さん……」
と、そこで、怯えた顔つきで二人のやり取りを見ていた真夢ちゃんに気づいた女性。
やはり彼女は真夢ちゃんの母親だったらしい。真夢ちゃんのお母さんは慌ててこちらへ駆け寄り「早く中に入ってなさい!」と素早く我が子を匿ろうとした――のだが。
「おやぁ? 可愛らしいお嬢さんじゃないですかあ。鮎川さんは今、旦那さんと別居中でしたよねえ? ……となると、彼女は今唯一の同居人ってわけですから、奥さんと一緒にこの家を追い出されちゃうかもしれないですし、奥さんが借金を踏み倒したら将来的に彼女が負債を背負う可能性もあるわけですから、きちんとご挨拶しておかないとなあ」
いかにも悪い表情で二人の前に立ちはだかるスーツ男性。
スーツ男性は幼い子どもを都合よく利用しようと企んでいるかのような、値踏みするような目つきで真夢ちゃんを見下ろしている。
「な、なんて卑怯な真似を……!」
「さあ、どうしましょうねぇ、鮎川夢奈さん。今すぐ全額返せないっていうなら、分割にするっていう新たな契約書を貴女名義で交わしたっていいんですよぉ?」
娘を盾に取られ、窮地に立たされる真夢ちゃんのお母さん――夢奈さん。
どういう経緯でそうしたやり取りを交わしているのかはわからないけれど、聞こえた会話を要約すると、スーツ男性は『郷田』の孫で、夢子ちゃんの孫である夢奈さんに言いがかりをつけてお金を踏んだくろうとしているかのようだった。
「(信じられない。とんでもない言いがかりだわ……)」
――この家は、夢子ちゃんが建てた家だ。
当時無職でヒモのような生活をしていた郷田が建てた家であるはずがないし、むしろ経済面で郷田の面倒を見ていたのは夢子ちゃんの方だ。
つまり、このスーツ男性の言っていることは全て『偽りの事実』に他ならない。
生き証人である玉己くんから事前に話を聞いている私には、スーツ男性の話が詐欺を目的とした偽証であることに確信を持っていたが、あやかしの存在を公言するわけにもいかないのでそれを証明する手立てがなかった。
「(どうしよう。このままじゃ真夢ちゃんとお母さんが……)」
しかも傍から見れば私は赤の他人。迂闊に介入して良いものかどうか二の足を踏んでいると、ふいに腕の中の玉己くんが体を硬くさせ殺気立ったように唸り声を上げ始めた。
彼の憎悪するような視線はスーツ男性に向けられており、今にも噛み付かんばかりの勢いで美しい毛並みを逆立てている。
「(た、玉己くん?)」
「(あの野郎……郷田の……。あの時俺が潰さなかったせいで……夢子の子孫にまで金の無心を……!)」
昂った感情に心を支配されるよう、目と牙を剥き出し、怒りに震える手つきで己の首輪に手をかける玉己くん。
「(だっ、駄目だよ玉己くん! 落ち着いて!)」
――ど、どうしよう。凄い力!
彼の妖力を制御している首輪が外れないよう、慌てて玉己くんの手を押さえようとしたけれど、ものすごい力でそれを跳ね除けられた。
「(もう赦せねぇ、離せッッ!)」
「きゃっ!」
ガリッと音がして、鋭い痛みが手の甲に走る。
玉己くんに引っ掻かれたようだ。反射的に手を引っ込めてしまった瞬間、玉己くんはものすごい速さで私の手の中から抜け出し、自分の首に嵌められていた首輪を力尽くでもぎとった。
「……っ!」
投げ捨てられた首輪が地面に落ち、乾いた音が響くと同時に白い煙がブワッと立ちのぼり、玉己くんの体が強い妖気の渦に呑み込まれた――。




