4-8 一旦保留にするしかないかな
「いっ、犬飼くんに玉己くん……!」
「……っ、あ、えっと……」
「っつうかさあ、幽霊はもう俺ら側の存在だろ。臭くて汚い、忌々しい人間なんかに構うんじゃねえ。つけこまれていいように使われても知らねえからな! なぁ、タマ」
「そうだにゃあ。人間に関わってもろくなことないにゃ。しかもその女、天堂家のツガイらしいし。後ろ盾あるからって逆らえない下級相手にコソコソ不穏な動きしやがって、目障りなことこの上ないにゃ」
「……」
犬飼くんと玉己くんに凄まれ、完全に萎縮してしまっている霊華さん。
相変わらず二人は『人間』のことが疎ましいようで、敵視するような眼差しがこちらに向けられている。
「いやぁ……はは、『番』になる気はないし、別にやましいことも考えてないんだけどなあ……」
参ったな……。せっかく人見知りそうな霊華さんが色々喋ってくれそうな空気になっていたのに、二人の圧に負けて彼女が尻込みをし始めている。
このままでは霊華さんにも迷惑をかけてしまうし、何とか二人の偏見を取り除けないだろうか、と、ない知恵を絞っていたところ、
「うわ、出た。ポチにタマ。あんたたちまだそんなこと言ってんの⁉︎ もういい年なんだからいい加減大人になったら?」
「! 小雪ちゃん!」
「げっ、ガリ勉……!」
「にゃっ」
すかさず冷徹な口調で戒めの言葉を放ってくれたのは、それまで黙って聞いていた小雪ちゃんだ。
みるみるうちに犬飼くんの顔が真っ赤に染まっていく。
「な、何だよてめえ! お前まで人間贔屓とか……! っつうか犬神様に向かってポチとか呼んでんじゃねえ、祟るぞコラ!」
「はいはい。できるもんならやってみなさいよ。祟られる前に氷漬けにしてあげるから」
「ぐっ」
「ほらタマもそんなところにボサっと突っ立ってないでさっさとご飯食べたら? なんか今日のあなた、顔色悪いわよ。また寝坊でもしてろくにご飯食べてないんでしょう? そのうち倒れるわよ」
「ぐぬぬ……うっさいにゃ! なんかガキにガキ扱いされるのめっちゃ腹たつにゃ……! くそっ」
はじめは物凄い剣幕だった二人も、どうやら小雪ちゃんの容赦ない反撃には敵わないらしく、不満そうにしつつも悪態をつきながら踵を返す。
「ガリ勉が偉そうに……。くそ、まあ今日のところは時間がねぇから見逃してやっけど、『人間』に味方するような裏切り者は村八分どころか祟り尽くして奈落の底に突き落としてやっからな。もちろん……そこの幽霊、オメェもだ。覚悟しとけよ!」
「……っ!」
「あ、ちょっとポチ⁉︎」
「いくぞタマ!」
「にゃー!」
捨て台詞のようにそう言い置いて、鼻息荒くその場を去っていく二人を呆然と見送る私。
小雪ちゃんはやれやれと言ったように肩をすくめており、お菓子を頬張っている敷ちゃんは愉快そうにきゃらきゃらと笑っている。
入学初日からついてまわる災難のようなものなので、半ば諦めているというか私自身はもはやそこまで気にしてはいなかったのだけれど……。
「小雪ちゃん、ごめんね。ありがとう」
「いいのいいの。いつまでも女々しいこと言ってるあいつらが悪いんだし」
「あは。まぁでも仕方ないよ。よっぽど『人間』に対して嫌な思い出があるのかもしれないし……。っと、あの、ごめんね霊華さん。その……」
「……」
青白い顔で俯いていた霊華さんは震える唇をぎゅっと噛み締めると、今にも泣きそうな顔で席を立ち上がり、消え入りそうな声で呟く。
「ご、ごめんなさい。私……」
「あ、霊華さ――」
「失礼します……っ」
彼女は目を逸らすと、呼び止める間もなくその場から走り去っていく。
よほど犬飼くんと玉己くんの圧が効いたのか、ひどく怯えたような眼差しだった。
「うぅ、行っちゃった……」
「あらら……。でもまぁ、仕方ないのかも。彼女、見た目からして気が弱そうだし、あなた、天堂先生の番だって有名になっちゃってるから、極力関わらないようにしてるクラスメイトも少なくないもの。まともに会話できただけでもラッキーじゃないかしら」
「そっか、そうだよね。うん……。残念だけど仕方ない、これ以上霊華さんに迷惑かけるわけにもいかないし、零番街の件は一旦保留にするしかないかな……。もうちょっと色々考えてみるよ」
「そう。ならいいけど……」
「うん。それにしても……どうしてあの二人はあんなに人間嫌いしているのかな。小雪ちゃんなにか知ってる?」
「え? あの二人が人間嫌いする理由? あー……」
暗礁に乗り上げてしまった零番街の件は一旦脇に置き、素朴な疑問を口にする。
小雪ちゃんは少々首を傾げながらも、思い当たるような口調で言った。
「確か玉己の方は、大昔に飼い主だった女性に手ひどく裏切られて和解できないまま命を落として妖怪化したから、今でも人間に対して強い怨みを抱いてるとかって噂で聞いたような」
「そう……なんだ」
「ええ。あと犬飼の方は、何だかちょっと複雑な因縁があるみたいだけど、詳しくは聞いたことないなあ。元いたあやかしの学校でも、面識はあったけどそこまで仲良かったわけじゃないから」
「そっか。教えてくれてありがとう」
本当に小雪ちゃんには頭が上がらない思いだ。丁寧に礼を述べて深々と頭を下げると、「別に。まぁ、お礼がしたいって言うなら今度ラウンジの幽世プリンで手を打ってあげてもいいけど」と、彼女は照れ臭そうに呟いた。
「わかった。任せておいて」
「ずるいずるい! シキも幽世プリン食べるうー!」
「あんたはお呼びでないわよ! っていうかいつまでソレ食べてるつもり⁉︎」
「あはは。怒られちった~」
相変わらず賑やかな二人に心を絆される。
そうこうしているとほどなくして昼休み終了を予告する鐘が鳴った。
三人学部がばらばらなのでめいめいに立ち上がり、食堂を後にする。
医學部棟へ続く長い回廊を歩きながら、私は――クラスメイトたちの顔を思い浮かべていつまでも物思いに耽っていた。
怯えたような顔をした霊華さん。
一向に縮まらない犬飼くんと玉己くんとの距離。
意気消沈した河太郎くんの悲壮な表情――。
胸につかえたそれらは、余計なことと知りつつも看過できないほど自分の中で大きく広がっていて、どうにかできないものかと幾つものため息を落とす。
(はぁ。無性にじいちゃんの作ったふわふわオムレツが食べたい。じいちゃんに相談したら、一体なんて言うのかな……)
光の差さない薄い群青色の有明空を見上げ、己の未熟さを嘆く。
入学早々学びに身が入っていないな……と、自分に喝を入れるようかぶりを振ると、気持ちを切り替えるよう午後の講義に向けて歩調を早めた。