4-6 こんなところで何してるんですか
「ちょ、てっ天堂さん⁉︎」
「先生、だろ」
「て、天堂先生……こんなところで何してるんですか」
「団子食ってる」
こともなげに言い、もぐもぐと口を動かしながら私の隣の席へ腰をかける天堂先生。
いやいやいや……ものすごくさりげない動作で隣の席へ座ったけれども、おかげさまで周囲の門人たちがこちらに注視し、ヒソヒソ色めきたっている。
「それは見ればわかりますけれども……! って、それ、私が食べるはずだったお団子じゃないですか。返してください……」
「もう食った」
「うう。せっかくシキちゃんからもらったのに」
「お前は食うな」
「なんでですか」
「こんなモン食ったら現世に戻れなくなる」
「え?」
「ちゃんとパッケージを読め。おい座敷童子と雪ん子、それ貸してみろ」
「ほへ?」
「ゆっ……雪ん子じゃなくて雪女ですけど⁉︎」
天堂先生は二人の間にあったお菓子のパッケージを手に取る。つい、と差し出された箱の表面には大きめな文字で『冥土の土産』と書かれていた。
「……?」
「 黄泉戸喫という言葉を知らんのか」
飽きれたように言う天堂先生の脇で、小雪ちゃんが「あー」と相槌を打っている。
「そうか。私たちあやかしは元々幽世内の住人だからそこまで影響がないけど、花染さんは現世の住人だものね。念のため食べないでおいたほうがいいかも」
「どういうことです?」
首を捻る私に、小雪ちゃんは丁寧に説明してくれた。
黄泉の国(こちらの世界では『黄泉の庭』と呼んでいるらしい)の食べ物を食べると、冥界の住人であると認められ、現世に帰ることができなくなるという。
「し、知らなかったです……」
「まぁ信じるか否かはお前次第だけどな」
そっけない顔で言う天堂先生。なんだかうっすら霞んで見えるのは気のせいだろうか。
「いや、でも、『現世に戻れなくなる』っていうのは、程度の差はあれ本当の話みたいですよ。昔、知り合いの人間で間違って食べちゃった子がいて、幸いこのお菓子と同じ黄泉食材と現世食材の混合タイプで少量だったから効果はすぐ切れたみたいだけど……それでもゲートが反応しなくなって、丸一日は現世に帰れなかったって言っていたから」
真顔でそういう小雪ちゃんも、微妙に輪郭が霞んで見えている。
「むむ~。こんなに美味しいのに、コトピョン食べられないのか……。って、あはは! コユキもテンドーセンセーもなんか霞んでるよぉ? おもしろぉ~! もっと食べてみよっかなあ。えっと次はこっちの白いやつ……」
「ち、ちょっとやめなさいよシキ。いくらあやかしだからって、そんなバカスカ食べたら元に戻らなくなるわよ」
「大丈夫大丈夫~! シキ、前にもいっぱい食べたけど全然平気だったもーん」
「え、そうなの?」
「あやかしは丈夫だからな。これ程度の副反応なら鐘一つもあれば元に戻るだろ」
この世界の鐘一つとは、現世でいう小一時間くらいのことだろう。
天堂先生は平然というけれど、お昼休み中、ずっと霞んでいるのは気にならないのだろうか……。
「ついでに言えば他街への招聘研究員特務許可証の発行は担任教師に一任されている。――が、俺は許可しねぇぞ。許可証とはいえ所詮は紙切れ一枚。許可があろうがなかろうが、融通が効かない奴には効かないし、攻撃的な住民に出くわしたら否応なく攻撃されるのがオチ。自分の身を自分で守れる能力があれば話は別だが、あそこはお前のようなお人好しの人間や、それなりの力を持たないあやかしが安易に踏み込めるような領域じゃない」
「な、なんだかすごく危険な場所なんですね……。っていうか、話、全部聞いてたんですね」
「地獄耳……」
「雪ん子。聞こえてるぞ」
「ゴホンっ。あ、あーほらもうシキ、だからいくら大丈夫だからって食べ過ぎだって! なんかあなたもう半分以上消えかかってるじゃない!」
「あははは! おもしろひ~!」
冥土の土産を巡って賑やかな応酬を始める小雪ちゃんと敷ちゃん。
――とにもかくにも、零番街が物凄く危険そうな場所だということがわかったし、お菓子にも迂闊に手を出さなくて良かったかもしれない。
ちらりと天堂先生を見やると、彼は眠そうな顔で手元の資料の束に目を通していた。
長い睫毛が黙読に合わせて時々ゆらりと動いている。
一応は気にかけてくれたみたいだし、小雪ちゃんと敷ちゃんは二人で盛り上がっている最中なので、天堂先生にだけ聞こえるようこそっと声を投げた。
「あの」
「なんだ」
「ありがとうございます。うっかり食べてしまうところでした」
「『番』を守るのは当然の務めだ」
「今はまだ『番』では……」
「今はまだ、な」
余裕綽々な顔で口の端をつり上げてみせる天堂先生。
うう、なんでそんなに自信ありげな顔をしているのだろう。
なんだか手のひらで転がされている感じが否めないため、ちょっと反抗的になってみる。
「ずいぶん余裕ですね……。特異体質の人間なんて探せば他にもいると思うんですが、なぜそこまで私にこだわるんですか」
「お前のような特異体質はかなり稀だ」
「そうなんでしょうか。でも……先生と私はまだ出会ったばっかりなんですよ。先生だって、いくら風習や一族のためとはいえ、好きでもない女性を相手に求婚だなんて本当はしたくなかったんじゃないんですか?」
意地の悪い質問だとは思ったけれど、聞かずにはいられなかった。
真剣な眼差しでじっと見つめると、天堂先生は二、三目を瞬いた後、少し儚げにふっと笑ってから臆面もなく答える。
「まぁ確かに、どうせならもう少しお前に色気と従順さがあればそれなりの愉しみ方も増えていたところなんだがな」
「なっ」
私の身体のラインをちら見しながら、わざと意地悪く笑ってみせる天堂先生。
言外に含められた挑発的な眼差しに、かあっと頬が熱を帯び耳の先まで火照りが回る。
「な、な、なにを……」
「強情な娘を飼い慣らすのも一興。お前には存分に愉しませてもらうぞ」
くつくつ喉を鳴らした天堂先生はポン、と私の頭を撫でると、スッと立ち上がる。
ちょうどそのタイミングで、食堂の入り口の方から一本角の生えた鬼のような男性が駆け込んできて、天堂先生と何やら雑談を交わしはじめた。
「あっ、いたいた! もー若! なんでこんなとこで呑気に飯食ってんすか!」
「飯じゃない。団子だ」
「どっちだって同じもんっすよ! ったく~! 教師業がない時間帯は少しでも屋敷に戻ってきてくださいって言ったじゃないっすか! 今日は大旦那が来る日なんすから急いでくださいよ若!」
「喧しいぞ吏鬼。ここでは『先生』と呼べ」
「んも~! 先生ごっこなんてしてる場合じゃないっすから! 早く屋敷に……って、あれ。その娘……」
「……時間がねえんだろ? 行くぞ」
「っと、そうだった! 早く早く!」
ひどく急いでいる様子のその人に慌ただしく急かされ、面倒臭そうにため息をついた天堂先生は、踵を返すと静かにその場を去っていった。