4-3 きっと、大丈夫だよね
◇
「俺はそれから、十年の禁錮刑を経てもう一度十三番街のスラム地区に戻ったんだ。他に行くあてもないからな。そしたらさ、俺と同じ河童族の奴らが揃いも揃ってそこで物乞いしてたんだ。俺がスラム地区を離れてる間に一族はひどく廃れてたらしい。まぁ、当然の報いだよな。働きもせず呑気に他人の釜の飯を食って過ごしてたんだから」
淡々と告げる河太郎くんは、目の前に流れる川をぼんやり見つめながらさらに続ける。
「そのうち延々と続く飢餓に耐えきれず現世に逃げ込んで自ら命を絶つヤツも出はじめてさ。このままじゃ一族はいずれ滅びるだろうって焦った族長が、學園への出願金として同胞たちからなけなしの身銭を集めたんだ。河童族のうちの誰か一人でも學園に合格できれば、そいつから学びを受けることもできるし、運よく給仕先を見つけられれば後進者のためのパイプを作ることもできる」
「なるほど……。それで河太郎くんが選ばれたんですね?」
「ああ。運がよければ特待生として無料で授業が受けられるから。一族でも一番有望な奴にしようって話になって、ヤエ婆に基礎学力を叩き込まれてた俺が推薦されたんだ」
「すごいじゃないですか。だったらなおさら、なんで『もういい』だなんて……」
「俺は誰かの未来を背負えるような器じゃねえし。そもそもみんな自分がいの一番にうまい思いしたいから、俺が出願者になるのを反対する奴はたくさんいたんだ。随分嫌がらせもされたし、不快な思いをしてまで請け負う義理なんざないとも思ったけど、學園を卒業したあやかしは、合法的に現世へ行くことができるし、高度な変化術も身につけられるから、誰にも迷惑かけることなくもう一度ヤエ婆に会えるかもしれないと思って、それで……」
――そうして請け負ったというのに、指標であるヤエ婆が死んでしまったため、現世に行く理由、ひいては学び舎に通う目的がなくなり失意にくれていた、ということのようだ。
「そうだったんですね……」
「昨日はまだその事実を知らなかったから學園には通う気でいたんだけどな。許可証をあの鬼たちに取られちまったからどうしていいか分からなくて。うだうだ考えてるうちにあんたが来て」
「……? 入学許可証がなくても中に入れますよ?」
「え。そ、そうなのか?」
「はい。掌に學生証が刻印されているはずなので……。知らなかったんです?」
「知らねえ……。っていうか、そもそも學園から送られてきた書類が入学許可証一枚だけだったからなんか変だと思ってたんだよな」
「それはおかしいです。許可証の他に案内書類が入ってたはずなので」
「普通そうだよな。……あー、くそ。絶対あいつらの仕業だ……」
「あいつら?」
「さっきも言っただろ。俺のことをよく思っていない同胞もいるって。そいつらから郵便物受け取ったから。俺に渡す前に案内書類を引っこ抜いて嫌がらせしたんだと思う」
忌々しげな表情で宙を睨みつける河太郎くん。
河童族の命運を彼が握っているというのに、随分ひどいことをする人(正確には人ではなくあやかしだけれど)がいるもんだなあと苦々しい気持ちになる。
「そんな……。だったらやっぱり――」
何としてでも学び舎を卒業し、嫌がらせをした人たちを見返してやるべきではないか――? そう言おうとしたところで学び舎の鐘が鳴り、はっとした。
「いけない、学部のガイダンスが始まっちゃう……!」
慌てて立ち上がった私は、今一度河太郎くんの顔を覗き込んで口早に告げる。
「河太郎くん。今は目標を失って辛いかもしれないけど、でも、やっぱり学び舎は通った方がいいと思う」
「俺は、合法的にヤエ婆に会いに行きたかっただけで特段学びたいことなんかもねぇし、真っ当に働く気もねぇから別に学歴なんか……」
「今はそう思うかもしれない。でもこの先いつか、環境が変わったり、心境が変わったり、大切な人ができたり……自分の知らないことを学びたくなる時が来るかもしれないよ」
「……」
「それにね、学んだことって無駄にならないし、ヤエさんだってきっと喜ぶ。愛弟子が自分の代わりに大学に通ってるんだもん。嬉しくないはずがないよ」
真摯な気持ちでそう伝え、河太郎くんの入学許可証を彼の手の中にそっと納める。
「……」
河太郎くんは唇を噛み締めたまま入学許可証をじっと見つめ、
「いや、でも俺は……」
なおも思い悩むように口籠もっていたけれど、結局その先が言葉になることはなかった。
彼にも考える時間が必要だろう。
「私、行くね」
「……」
笑みを一つ残し、そのままその場を後にする。
河太郎くんは最後まで何も言わなかったし、立ち上がることもなかったけれど、何か真剣に考え事をしているようだった。
――学び舎の倍率はものすごく高い。
その受験戦争に勝ち抜いてきた河太郎くんなら、苦労を知っている分、いかに学びが自分にとって大切で身になるものかきちんとわかってるはず。だからきっと……。
(きっと、大丈夫だよね)
川面を見つめる河太郎くんの背中に心の中でそう呟いて、足早に学び舎への道に戻ったのだった。