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4-2 河太郎とヤエ婆*

 ◆◆◆


 ――河童族の河太郎は、幼少の頃に幽世の三番街スラム地区に捨てられ、偸盗(ちゅうとう)で食い繋ぎながら今日まで生き長らえてきた。


 そもそも河童族とは、大局的に見て自由で、放埒で、刹那主義で。とにかく働くことが嫌いな奔放な種族。


 かつて『楽園』と呼ばれていた頃の幽世であればそれでもなんら不自由なく暮らせていたのだが、鬼や妖狐、天狗などが勢力争いを広げてあやかし間に格差が生じてからは確実に行き遅れはじめた。


 周囲の下級あやかしたちが上級あやかしに雇われ裕福な暮らしを手に入れ始めても、のんべんだらりと過ごして自由な暮らしを守り続けた河童族。


 その結果、気がつけば幽世は学歴が暮らしを左右する世の中になっていて、働くことはおろか学ぶことからも逃げ続けていた河童族は、いつしか偸盗を働くことでしか生活を維持できなくなっていた。


 そういった事情から、河太郎も生まれて間もなく口減らしに遭い、スラム地区での生活を余儀なくされていたのだが、河太郎が青年期に入った頃のこと、身を寄せていたグループが幽世警察に摘発され、運よく逃げ果せた河太郎が命かながら現世に逃げ込むという禁忌破りの事件が発生する。


 そこで出会ったのが、〝ある人〟こと〝福富(ふくとみ)ヤエ子〟の存在だ。


 通称〝ヤエ婆〟は、


『腹をすかせたあやかしにたらふく飯を食わせてくれる貴重な人間。もし現世に行くようなことがあれば、まず最初にヤエ婆をカモれ』


 として、河太郎の属していたグループや、幽世に住まう札付きのワルの間で度々話題に上がるほど有名な人物だった。


 慣れない現世でヤエ婆を求め、川を泳いでヤエ婆がいるとされる東北に向かった河太郎は、あちこち探し回った挙句に満身創痍の状態で彼女と対面を果たす。


『なんだおめは。妖怪が? 腹が減ってらのが?』


 ぼろぼろの河太郎を見て開口一番にそう切り出したヤエ婆。そこに辿り着くまでに持てる体力と気力の全てを使い果たしていた河太郎は、飢餓も相俟ってろくに返事もできぬままその場に倒れ込んだ。


 するとヤエ婆は理由も聞かずに河太郎を自宅に連れ帰り、甲斐甲斐しく飯や風呂、寝床の世話を焼き始める。


 夫に先立たれ一人暮らしをする彼女の元には、度々河太郎のようなならず者が物乞いをしに現れるが、彼女は一度だってそれを無下にしたことはないという。


〝あやかしが視える人間〟というだけでも貴重なのに、さらにはそのあやかしに親切心を働いてくれる人間などそうそういない。


 大抵は怖がられるか、面白がって見せ物にされるか、除霊を依頼されるか、専門の組織に売られるか、下手をすれば現世に存在する特殊捜査班に通報されることも珍しくはないなかで、ヤエ婆からの施しは、スラム育ちの河太郎の身にえらく沁みた。


 多少お節介で面倒な部分もなくはないが、無愛想で天邪鬼で陰気な性格の河太郎も、いつしか心が絆されていき、しばらくヤエ婆の元で厚意に甘んじる日々を送った。


『おらはな、子どもが好ぎなんだ。でも病気で子は産めねぇ体だど知って、若え頃は教師になるのが夢だった。まぁ、おらだづの時代の女はろぐに学校も通えんがったんだげどな。それでもずっと憧れでらった。……なに? 自分はガキでねぁーって? 抜がせ。人間、八十年も生ぎれば、周りは皆子どもみだいなもんだ』


 ある時、ヤエ婆はそう言って、河太郎に文字の読み書きを教えた。


 河太郎があまりにも無知で無作法なことに親心を働かせてくれたのだろう。勉学は嫌いだけれど彼女があまりにも世話を焼きたがるから、河太郎は大人しく生徒役を請け負うことで恩返しをしようと考え、苦手な学問に取り組んだ。


 二人はある時は教師と教え子、またある時は歳の離れた母と子のような、そんな温かい関係を築き上げてささやかながら充実した日々を過ごしていたのだが……――その年の冬、二人の生活は急変する。


『福富の婆っちゃんは河童(モノノケ)さ憑がれでら。このままじゃ婆っちゃんはどり殺され、呪いだげが残って村全体さ災いがもだらされるがもしれねぁ。そうなる前さ、福富の婆っちゃんを村がら追い出さねぁば』


 どこで嗅ぎつけたのか、瞬く間に広まった噂。


 厄災を恐れた村人たちはヤエ婆を村から追い出すことで難を逃れようと、彼女に陰湿な嫌がらせをし始める。


 ある時はモノノケの仕業だと嘯いて家の窓を破り、またある時はライフラインを故意に阻害したり、そしてまたある時は自給自足に欠かせない大切な田畑を荒らしたりと。


 何食わぬ顔で気丈にやり過ごそうとするヤエ婆とは正反対に、河太郎は思い詰めた。


 自分のせいでヤエ婆が村人たちから疎んじられ虐げられている。


 河太郎にとっては、自分に懲罰が下ることよりも彼女の穏やかな生活が脅かされることの方が何よりも苦痛だった。


 ――ここにいてはいけない。幽世へ戻ろう。


 そう決意した河太郎はヤエ婆に別れの挨拶をすることもなく、形ばかりのお礼の品――自分の鱗だ。採取には激痛を伴うがこれを現世で売ればそれなりの金になる――を残して、彼女の元を去る。


 そうして幽世へ戻った河太郎は十三番街を転々とした挙句、やがて幽世警察に禁忌を冒した罪で捕縛されたのだった。


 ◆◆◆


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