3-2 お隣さんは雪女と座敷童子
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五階建ての巨大な大講堂は、一階も二階も三階も……想像を絶するほど多くの門人で賑わっていて、建物の構造的な素晴らしさもさることながら、同志を一堂に会して結束を深めようとする学び舎の配慮にも全身の血が熱く騒いだ。
中央のステージ上には『幽世學園 第百三十三期生 入學式』の垂れ幕。座席の周囲には鮮やかに灯る行燈と、光る粒子の桜吹雪が軽やかに舞っていて、圧巻の光景とはこういうことをいうのだろうと一人静かに感動を覚えた。
(えっと、私の席は……二階、藍色席の九十九番……)
一旦エントランスに出ると、螺旋階段を上がって二階席へ移動する。
踊り場、ラウンジを経て再び講堂内に入る。ステージに向かって右側のあたりに、私が属する組の座席があった。
なお、学び舎においての『組』とは、全学部全学科共通の必修科目やイベントごとの時にだけ顔を合わせる便宜上に誂えられた基礎学級のこと。
一組三十人程度で、集まる機会が限定的なのでそこまで密接に関わるわけではないが、各組にきちんと担任の先生もついている。
友人を作るとっかかりといっても過言ではないだろう。その辺りは現世の大学と大差ないシステムだと思う。
便宜上とはいえ、各門人にとっては学び舎生活を左右する大事なコミュニケーションの場であることには相違がないため、やや緊張しながら座席付近に歩み寄る。
(あ、ここだ)
私の席は二階席のやや後方寄り、五人がけシートのど真ん中だった。
空席を挟み、その両脇にはすでにクラスメイトと思しき門人が座って寛いでいる。
「あの、隣失礼します」
「……うん? あー、どうぞ」
向かって左側は、学び舎指定の校章入り外套の下に着物のような洋装を纏った小柄な(一見小学生くらいに見える)女の子。薄花色のボブヘアに浅葱色の瞳。分厚い本を読んでいた彼女は一瞬だけこちらをちら見したものの、目が合うとすぐにパッと視線を逸らし、再び本で顔を隠してしまった。
彼女の肩に乗った小さな雪だるまが、つぶらな瞳でじっとこちらを見つめている。
「ちょっとちょっとー。コユキったら感じわっるーい。なんでこんな時までホンなんか読んでんの。ヒカシボー増えるよ?」
対して右側には、同じく小学生くらいの背丈に、黒い髪の毛をツインテールに結んだ童顔の女の子。厚めの前髪の下にはくりっとした瞳が飴色に輝いている。
やや冷たい雰囲気を纏う左側の女の子――コユキというらしい――とは正反対の、人懐っこい笑顔が印象的な少女なのだが、二人は顔見知りなのだろうか?
「ちょっ。なんで読書で皮下脂肪が増えんのよ! そういうシキこそ遊んでばっかいないでもっとためになる文学書でも読めば⁉︎ そんなんだから鬼や狐や烏どもに下級あやかしって馬鹿にされんのよ⁉︎ そもそもあんたみたいなお子ちゃまなアンポンタンが学び舎の大學部に受かってること自体びっくりなんだけど!」
「ひっどおい! シキ、あんぽんたんじゃないしコユキよりオトナだもーん」
「どこがよ! 見た目からしてチビのハナタレガキじゃないっ。私はねえ、今はまだ成長盛りなだけでいずれは今よりも立派な……」
「えー。それ幼稚部の頃から五十年くらい言い続けてない? コユキ、昔っから全然見た目変わってないし~。それにシキは絶対コユキよりオトナで大きいもん。ほらっ」
「!」
ふいに始まった意地の張り合いの応酬。食い気味に身を乗り出して論破しようとしていコユキちゃんだったが、シキと呼ばれたツインテールの少女がどろんとメリハリのある女子高生の姿に変身すると、慌てたように自粛を促した。
「ちょっとっ! それずるいし! っていうかこんなところで妖術使わないでよ! 大講堂での妖術の使用はマナー違反でしょっ」
「身だしなみ整えただけだもーん。ねぇ、人間のおねーちゃんもシキのほーが大人っぽいって思うでしょー?」
むすっと頬を膨らませて言うツインテールの子。こちらは目の前で変身する姿を見るまで人間か否か判別できなかったというのに、彼女にはこちらが人間だとすぐにわかったようだ。
「え? え、えーっと、あの……」
じっと見つめられ、返事に詰まる私。少女だと思っていた子が急に色艶のある女性になってしまったものだから安易に否定ができずに口をまごつかせていると、コユキちゃんが割って入って会話を引き取ってくれた。
「って。あんたがインチキするから返事に困ってるじゃないの。いいからもう大人しくこれでも食べてなさいよっ」
「! ひゃーっ。雪飴だーっ」
コユキちゃんが懐から差し出した飴らしき塊に、シキちゃんはすぐさま少女の姿に戻ってはぐはぐと食いついている。意地の張り合いはどこへやら、とてもご満悦そうだ。
「ふぅ~。お菓子でつられるなんて相変わらずガキじゃないの……って、あ。ご、ごめん。気にしないで。いつもの事だから」
ぽかんと突っ立っている私を見て、こほんと咳払いするコユキちゃん。
「仲、いいんだね」
思わず笑みをこぼしつつそう解釈すると、彼女は「ちょっ。やめてよっ。ただの腐れ縁だからっ」と、顔を真っ赤にして必死に抵抗してきた。ツン、としながらも正直に頬を染めているあたりがとても愛らしい。
「そ、それよりっ。そろそろ式も始まるし座ったら?」
「あ、うん。失礼するね」
促されて二人の間に着席する。こちらをじっと見ていたコユキちゃんは、私が座ったのを認めるとそわそわするように尋ねてきた。
「あなた、人間よね」
「うん。人間だよ。医學部薬學科の花染琴羽です」
「そう。やっぱり人間なんだ……。そう、人間……」
ぶつぶつ呟きつつ、何度もこちらをちら見する彼女。疑問に思って首を捻って見せると、彼女は慌てて居住まいを正し、取り繕うように自己紹介を始めた。
「え、えっと。私は小雪。法學部政治學科よ。これでも一応、雪女なの」
なんと。小雪ちゃんは雪女だったらしい。雪女といえばどちらかというと大人の女性のイメージだったが、今の幽世には色々なタイプの雪女がいるらしい。うんうんと頷いてその続きを促すと、彼女は先を続けた。
「それでそっちの飴にがっついてるのが座敷童子の敷。三番街にあるあやかし専門の學校の幼稚部からの幼馴染で、今はなぜか下宿先まで一緒なのよね。悪戯好きの戯け者で四六時中賑やかなヤツだから気をつけて」
飴に夢中になっているツインテールの少女を指差し、そう紹介してくれた小雪ちゃん。
なるほど、彼女は座敷童子だったのか。見た目はだいぶ近代的な印象だが、お茶目で天真爛漫で、納得のいく人柄であるようにも感じる。
「そっか。よろしくね」
「あー……うん、っていうか、共通クラスはそんなに顔合わせる機会ないだろうけどさ。でも、まぁ、その、よろしく」
照れているのか、小雪ちゃんはそっけなくそう括って再び分厚い本に視線を落とした。
相変わらずツンとすました顔をしているが、時折本の隙間から視線が飛んでくる。人間が珍しいのだろうか?
いずれにしても、縁さんからの忠告にもあった通り、人間に対して嫌悪感を抱くあやかしも多く存在している中で、こうして普通に接してくれるあやかしがいるのは非常にありがたいことかもしれない。
親切な小雪ちゃんと天真爛漫な敷ちゃんを左右にして、私はひとまずの安堵を息を漏らしたのだった。