仮面舞踏会
ザッハの街外れの山の麓までは、意外に距離があった。出発した時はまだ明るかったのに、到着した頃にはどっぷり陽は暮れていた。
薄暗くてよくわからないが、ユーデステル伯爵家の広大な敷地にはいくつもの建物があり、ワイナリーを所有しているのも頷ける。
舞踏会も仮面舞踏会も初めてで不安だったけど、馬車を降りてジークがエスコートしてくれる手が心強く、自然と落ち着くことができた。
受付を済ませ大広間に向かうと、すでに賑やかな音楽と大勢の人達で溢れていて、それはそれは煌びやかな世界だった。
「リアーノ、今夜は俺から離れないでね。」
「もちろんです。こんな世界にひとりは無理です。」
ふたり、目を合わせてニヤリとする。
「リアーノ、まずは行動する前に俺とダンスをお願いしてもいいかな?」
「あまり上手くないけど、それでよろしければ。」
「今宵は仮面舞踏会だよ。誰かわからないんだから、大丈夫。」
ジークがわたしの手を握り、ダンスの輪に誘う。
聞いたことがある曲が演奏され始め、内心ホッとした。
「リアーノ、ダンス上手いじゃない!どこで?」
「実家の食堂でおじいさまやおばあさまの古い知り合いが集まる時は、最後はダンスパーティーになるんですよ。みなさん、楽器も弾けて、それはとても楽しくてね。」
「そうだったんだね。だから、リアーノは踊れるんだ。それにはアッサム殿下もいたの?」
「アッサム殿下?」
「殿下」をつけるおかしな言い方と名指しの質問に思わず目をまんまるにしてしまう。
「ええ。アッサムの実家のご両親と祖父母も古い頃からの知り合いらしくて、その集まりには必ずいらしていたので、アッサムも来てましたよ。」
「…そうか。今宵の綺麗なリアーノをアッサム殿下は見たかっただろうね。」
ジークがクックッと面白そうに笑う。
「ジーク、さっきから「アッサム殿下」って。「レナード殿下」と混じってますよ。アッサムはアッサムですから、「殿下」いらないですよ。」
ジークが少し不思議そうな顔をする。
「ねぇ、聞いてみたかったんだけど、君たちは恋人同士なんだよな?」
「…いいえ。幼馴染ではあるけど、恋人同士では…。」
「ええ!そうなの!俺はてっきり…。」
ジークが驚きを隠さない。
「…わたしのことを大事には思ってくれているみたいですが…。」
恥ずかしくて、声が小さく呟いているようにしか言えない。
「なんだ。まだ、そんな感じなんだ。では、俺にもチャンスは残されているってことだね。」
ジークが真顔でわたしを見つめてくる。
「なんのチャンスだか…。」
とりあえず目を逸らし、はぐらかした。
「なにか飲み物を飲まないか?」
「いいですね。踊り過ぎて喉が渇きましたね。」
ひとしきりダンスを踊った後、ふたりで飲み物を取りに移動していると、向こうから同じような年頃の男女が歩いてきた。
「ジーク、目立っていたぞ。」
「えっ、兄さん。どうして、今日…」
ジークのお兄様らしい。もちろん、仮面をつけているので、似てるかどうかはよくわからないが金髪が一緒なのはわかる。
「彼女にどうしてもとお願いをされたらね。」
お兄様がお連れになっている、わたしと同じ年頃の女性に視線を向けられる。
ジークはハッと息を飲む。
「これは… 先日は突然のお願いにも関わらず、ありがとうございました。」
ジークの雰囲気がキュッと引き締まる。
「リアーノ、今回のドレスなどの全てをご用意して贈ってくださった方だよ。」
凛とした同じ年頃のその女性がわたしをジッと見られているのが仮面越しでもわかる。
「この度は、わたしのためにこんなに素敵なものを贈っていただき、本当にありがとうございます。」
わたしとよく似た紅茶色の髪のその女性がふわっとわたしの手を取られたかと思うとギュッと両手でわたしの手を握られた。
「……。本当に…本当によく似合っているわ。リアーノと言ったかしら。本当に…綺麗だわ。」
「ありがとうございます。」
ジークとお兄様も黙ってその様子を見られている。
「あんまり、目立ってはいけないので、僕達はもうこれで失礼するね。リアーノ、ジークが暴走しないようによろしくね。」
「はい。承知しました。」
お兄様はわたし達の目的を知らされているんだろう。
ジークが小声でお兄様となにかを少し話されている間、その凛とした雰囲気の女性はなにか言いたげにこちらをジッと見られていた。
「ジーク、お兄様達はもうお帰りなんですか?」
わたし達は飲み物をいただき、人のいないバルコニーに移動した。
わたしの質問にジークが優しく微笑む。
「今日の目的は果たされたようだしね。どうやら、今夜は実家の別荘の方に帰るようだよ。」
「そうなんですね。では、わたし達も戻ったらまた、お会いできますね。さっきの女性にこのドレスとかのお礼もちゃんとしないと…。」
ジークは少し考えているようだった。
「いよいよ人も一番増えている時間だし、目的を果たしにウロウロしに行こうか。」
「そうですね。悪目立ちする前にホールからは消えたいですね。」
ジークを独り占めしているわたしに他の女性から、鋭い視線が突き刺さってくるのをずっと感じていた。
こんな仮面だけでは、ジークの美しさを隠せないのはよくわかります。いまも本当に立っているだけで、人を惹きつける雰囲気が伝わってきます。もう、これ以上、その嫉妬に似た視線に耐えれる自信がありません。
「酔っ払いのふり?それともイチャイチャする場所を探しているカップル?どんな設定でウロウロしますか?」
「それは、イチャイチャしているカップル風でいいんじゃない?」
そう言ったかと思うと、わたしの手を取り、バルコニーの柵の端から外に出た。
本日もありがとうございました。