新聞を読む、そして最後の審判が下る
タイトルに困り、上のようになりました。もっと良いタイトルがあれば、急いでそれに変更する予定です。
俺が夜遅く読書を楽しんでいると、親愛なる友である陸上葉月からスマホにメールが届いた。
その内容を確認すると、翌朝の八時ちょうどにファミレスに来てくれ、というものだった。俺は『わかった』とだけ返事をしたが、すぐに既読はつかない。
ちなみに、陸上葉月の読み方は陸上葉月ではなく陸上葉月である。
ややこしい名前のため、たびたび名前を呼び間違えられてムッとする陸上を見たことがある。陸上のムッとした顔は傑作だった。
それにしても、陸上から俺を呼び出すのは珍しい。何の用事か考えながら、俺は読書を再開した。
朝の七時には意識が覚醒し、俺は顔を洗って眠気を覚ます。そしてカバンに仕事の書類を詰め込んで、スーツに袖を通した。俺は普段着がスーツでないと落ち着かない性分なのだ。
カバンと傘を手に持って家を出ると、陸上の指定するファミレスへ向かって歩き出した。
今日は太陽が照りつけてくるし、一日中晴れるらしい。傘を持っていると目立ってしまうと思ったが、杞憂だったようだ。全ての天気予報は外れ、雨が降ってきたからだ。俺はちょうど持ってきた傘を開く。
目的のファミリーレストランに到着すると、窓側の席に腰を下ろした。
店員を呼び止めて、剃ったばかりの顎を撫でながら口を開く。
「すみません、新聞をください」
このファミリーレストランでは、朝の早い時間に来た場合に限り、朝刊を無料で渡してくれる。
承知しましたと言って一度頭を下げた店員は、しばらくして朝刊を持ってきた。俺はそれを受け取って開き、一読していく。
全面に目を通したが、陸上は来る気配はない。呼び出しておいて遅刻とは気に食わんな。
俺は懐からシガレットケースを取り出しながら席を立ち、喫煙ブースに入る。紙巻き煙草を一本口にくわえて、お気に入りのジッポライターで着火した。
「チッ、陸上の奴め」
喫煙ブースの壁にもたれかかって陸上を待っていたが、煙草を一本吸い終わっても陸上は来なかった。俺は席に戻り、スマートフォンを取り出して陸上に電話をする。
「陸上! いつまで待たせるんだ!」
「それは悪かった」陸上の声は電話越しにも、背後からも聞こえる。驚いて振り返ると、そこには笑みを浮かべる陸上がいた。「君は怒っているのかい?」
俺は電話を切ってスマホをポケットへと突っ込んだ。
「もちろん怒っている。呼んだのに遅刻するとは思ってもみなかったからな」
陸上は腕時計を指でタンタンと叩く。
「すまないね。用事を済ませてから行こうと思っていたら遅刻してしまったみたいだ」
「そんなことをネチネチと言ったって意味はないさ。早速、本題に入らないか?」
「そうだね、それも良い」
テーブルを挟んで俺の対面にあるソファに腰掛けた陸上は、テーブルに置かれている新聞を手に取る。
「おい、陸上。本題に入るんじゃなかったのか?」
「なあに、新聞を読みながらでもこなせるから安心したまえ。──君はブログをやっていたね?」
「やっているね」
「そのブログで、昨日シャーロック・ホームズを馬鹿にしていなかったかな?」
「ああ、そのことか。確かにホームズを馬鹿にしたさ。だって、所詮は紙の上の人物じゃないか」
「違うよ。僕達のようなホームズファン、つまりシャーロッキアンからすればホームズは実在の人物なんだ」
「まさか、今日はそれを言うためだけに呼んだのか!?」
「そんなことはない。ホームズがどれだけ偉大な探偵かをわからせるために呼んだんだ」
俺はそんなくだらないことで呼ばれたのか、と肩を落とした。
「落ち込むな。君は三十分も経つ頃には、ホームズを尊敬していることだろう」
「なら、まずはホームズのことで俺を驚かせてくれないか?」
「わかったよ」陸上は俺の指やコップをジロリと見た。「君は僕を待っている間にはがきか何かを書いていなかったか?」
「な、何でそれを!?」
「これがホームズのやり口さ」
俺は立ち上がって驚いた。はがきを書いたのはファミリーレストランに来てすぐだ。その時から陸上は俺の行動を覗き見ていたということか!
「陸上! どこにカメラを仕掛けていたんだ!」
「カメラを仕掛けていたわけじゃない。歴とした推理から導き出された答えなんだ」
「じゃあ、どんなこじつけ的な推理か聞かせてもらおうじゃないか!」
椅子に勢いよく座ると、前かがみになって陸上の言葉に耳を傾けた。
「ファミレスなどのほとんどの飲食店では、最初に冷や水を持ってきてテーブルに置く。コップに注がれた冷や水は、外気との温度変化でコップの表面に結露を起こさせる。これは確定した事実だ。
次に、テーブルに置かれた冷や水の入ったコップには、一部だけ結露していないところがある。おそらく、君が親指をコップに付けたことで生じたものだ。親指以外の指を付けた跡はない。つまり、君はコップを持っていないということだ。飲んでもいないね。
君はコップに親指を付ける明確な目的があったはずだ。その目的は何か。指を冷やしたかったということも考えられるが、この仮定だと様々な部分で矛盾が生じてしまう。その一つは、そもそも火傷をした跡も指にはないし、火傷などをする要因もない。
一番有力な仮定では、切手を濡らしてはがきにでも貼り付けるために親指に水を付着させたというものだ。つまり、君は切手を貼り付ける行為をしていたことになる。その点から、君ははがきを書いていたんじゃないかと推理したんだ」
「無理矢理だ!」俺は右手を振り下ろしてテーブルを叩く。「はがき以外にも切手は貼るだろう!」
「君が今持っているカバンは薄っぺらい。はがき以外の切手を貼る郵送物はそのカバンには入らないさ」
俺は適切な反論が即座に思い付かず、悔しさのあまり歯を食いしばって顔を下に向けるしかなかった。
一方で、陸上は勝ち誇ったような満面の笑みの表情となっていた。悔しさがある程度消え去ると、俺は仕方なく顔を上げる。
陸上は未だに笑みを絶やしていなかった。
「さて、これでホームズのすごさはわかったと思う。ホームズはこんな推理を連発したんだよ。次にホームズのすごさを伝えるためには何をしたら良いかな……」
「陸上。まずは料理を注文しないか?」
彼は指をパチンと鳴らす。「それは名案だ。じゃあ、何にしようか」
俺と陸上はメニューを見合いながら、美味しそうな料理を写真を参考にして吟味していった。その作業が終わり、店員に注文する料理名を告げる。
去る店員を横目に、陸上は腕を組んだ。
「ホームズのすごさを語るなら、今さらだが何十時間も掛かると思うんだ。簡単にホームズのすごさを伝えるなら、さっきのような推理の実演がわかりやすいだろう。次はどんな推理を披露しようか。──そうだ! この新聞の文面から推理を展開してみよう!」
「先ほどの推理は評価に値することは認めよう。その新聞から推理を展開するのなら、聞くぐらいはしてやる」
「感謝するよ」
陸上は新聞を開いて、推理に使えそうな文面を探した。そしてちょうど良い文面を見つけたのだろう。ニヤつきながら、その文面を読み上げた。
「『数ヶ月前から世間を騒がせていた東京の一等地の住宅街で起こった、生まれつき足に障害のある被害者の殺人事件。証拠も現場からたくさん見つかっていました。この犯人が警察に自首をし、先ほど裁判で最終的に執行猶予が付きました。この執行猶予付き判決に、遺族はどう思うのか。』この文面から推理を展開していこう!」
「そんな文面から推理出来る内容はごくわずかだよ」
と、俺は笑いながら言った。
「そういう場合は仮定をしてから結論へと導くんだ。まあ、聞いていると良い」
陸上は新聞を真剣に眺め、ものの数分もすると話しを始めた。
「君は新聞でのルビの振り方の基準を知っているかい?」
「ルビの振り方? 皆目見当が付かないよ」
「漢字のルビの振り方は、基本的に二つある。『総ルビ』と『パラルビ』というものだ。『総ルビ』は漢字の全てにルビを振るやり方で、『パラルビ』は一部の漢字にだけルビを振るやり方だ」
「パラルビは一部の漢字にルビを振るということはわかったが、その''一部の漢字''の''一部''とはどこからどこまでを指すんだ?」
「パラルビの振り方には編集者独自の基準があるんだ。この新聞は他の文章などを確認してみた結果、『初出の漢字にのみルビを振る』という基準にしていることがわかる」
「なるほど」
「ただ、推理に利用している文章は、『執行猶予』という漢字に二度もルビが振られている。他にも、『障害』という漢字が使われているが、他の文章を確認すると『障がい者』などとあるのに、この文章だけが『障害』と書かれている。『障害者』と表記すると『害』として扱われているみたいだから、『障がい』という表記が使われるようになったんだ。
この文章は間違いだらけ。つまり、この部分はギリギリで差し替えられたのではないかという推論が成り立つ」
「なら」俺は陸上を鼻で笑った。「ギリギリで差し替えられた、という事実だけで何がわかるというんだよ?」
「まあ、落ち着いてくれ」
陸上はニヤニヤと笑みを浮かべながら、テーブルに置かれた冷や水を口に運んだ。
「俺は落ち着いている」
「そうかい? なら、話しを続けよう。犯人Aが警察に自首に来たとして、警察が犯人はAだとわかっていれば出頭として扱われる。警察が犯人はAだとわかっていないうちに、Aが自首に来た場合は出頭ではなく自首と扱われる。
新聞には『自首』と明記されているし、この殺人事件では犯人が自首しに来るまでに犯人が誰かわかっていないのだと推理出来る。ただ、現場に証拠がたくさん見つかっていると新聞にあるし、警察は証拠がありながら犯人がわからなかったようだ。つまり、今回の警察の捜査はずさんだったんだろうな」
「ふむ」
「推理に利用する新聞の文章は、ギリギリで差し替えられた。ということは、警察や裁判所が新聞社にギリギリまで情報を漏らさなかったとわかる。また、警察の捜査はずさんだったというのはさっき言った通りだ。
このことから、犯人は別にいることがわかるんだ。警察は証拠から真犯人がわかっているが、真犯人をかばっている。だから、執行猶予付き判決となった今回の偽犯人は自首として扱われたんだ。警察には手が出せず、殺人事件が起きた東京の周辺を拠点とする反社会的な団体は一つだけ知っている。そこの誰かが犯人だろう」
俺は陸上の推理がすさまじく、体が小刻みに体が震えていた。
「陸上。真犯人が別にいるというのは、少々こじつけが過ぎるのではないか?」
「なら、真犯人を君に紹介しようか?」
「え!?」
俺は顔を下に向けて、体を縮めた。
「君は傘を持ってきている。今日の天気予報は全て晴れだとされていたが、急に雨が降った。ただ、君は雨が降る前から家を出ている。その傘はどんな用途があったんだろうね? 日傘とも考えられるが、その傘の柄の中身はくり抜かれていて、鉄が流し込まれている。それをどうやって説明するんだい?」
「こ、これは最近尾行されている気がしたから、護身用に……」
「では、僕を待っている間に書いていたはがきを見せてみろ。君にはがきを送るような親友は僕以外にはいないはずだ。今回の殺人事件の行く末について、仲間とはがきにてやりとりを行っていたのだろう」
「そこまで俺を犯人にしたいのか! ならはがきを見せてやるよ!」
俺はカバンを開けて、陸上が来る前に書いていたはがきを取り出して、陸上に投げつけた。
「はがきの内容を見られたら君の犯行がバレてしまう可能性がある。なので何かしらの暗号にしているんだと考えられる。ただ、別に暗号を解く必要はないよ。傘を凶器として扱っていた件で警察に突き出し、そこでくわしく調べてもらう。真犯人が君だったら、警察も逮捕するしかない」
俺は静かに、腰を下ろした。陸上の言うシャーロック・ホームズとは、このような見事な推理をしたのか。
「諦めよう。降参だ」
「全て何から何まで話してくれるか?」
「もちろん。──それより、一つ聞いて良いか?」
「何だ?」
「最初から犯人は俺だとわかった上で、俺をこのファミリーレストランに呼び出したのか?」
「まさか。ホームズのすごさを説こうとしたら、君が真犯人だとわかってしまったんだ。……刑務所から出てきたら、僕が面倒を見てやるからな」
「俺は初犯だし、一人しか殺していない。執行猶予付き判決になると思う」
「そうかもしれない。そしてもしそうなったなら、君は反省するべきだ。自戒するんだよ」
陸上は悲しげな表情だった。目は一点を見つめ、唇を噛んでいる。俺にはその光景が、涙が流れるのを堪えていたのではないかと思う。
◇ ◆ ◇
この話しは実話である。私は語り手であり、真犯人。世を騒がせた私だったが、結局執行猶予付き判決となった。そこで陸上に言われた通り反省をするため、自分の犯行について語らせてもらった。
この小説を書いて出版社に持っていったところ、この事件のネタとしてちょうど良いし世間からの反響もありそうだとして、すぐに本となって出版され、読者諸君に今こうして読まれている。
私はもう二度とこのようなことはしないと、ここに誓おう。陸上にも迷惑を掛ける結果となってしまった。この場を借りて、謝らせていただく。
【追記 出版代理人・髙橋朔也】
本作品の出版代理人を務めさせていただいた髙橋です。本作品が出版後二ヶ月が経過したある日、語り手である北谷香山氏は謎の不審死を遂げました。ここにお悔やみ申し上げます。
ハリイ・ケメルマンの『九マイルは遠すぎる』から着想を得た小説となります。
どんでん返しも意識してみました。自分的にはかなり自信があるように仕上がりましたが、推理部分が少しこじつけになってしまいました。
ただ、自分が書きたい小説にはなったので満足です。
【2021年5月4日 追記】
高取和生様より本作品のレビューをいただきました!
高取様、そして読者様。本作を読んでくださり、ありがとうございました!