7話 貴女のいた世界 2/2
「もう少ししたら芙由香さんの命日でしょ。そのお墓参りの時にでも先輩に想いを伝えたらどう? ちょっと不謹慎かもしれないけど」
海老原芙由香、悠の母親だ。
といっても私は彼女と会ったことがなく、顔も写真で見ただけだ。彼女は元々病弱だったためか、悠を産んだ後すぐに亡くなってしまったそうだ。
「なっ、なんでそういう話になるんですか⁉」
亡くなっているとはいえ、やっていることはご両親への挨拶に近い。もはや交際どころの話ではなくなっている。
「長い間一緒にいると、想いを伝えるようなタイミングって結構限られてるんじゃないかなって思ってね。ナツちゃんみたいな悩みすぎちゃうタイプだと特にそう。だから、そういうタイミングで勢いに身を任せるのも策の一つだと思うよ?」
勢いに任せる……。
たしかに今までの私は少々受け身になりすぎていたのかもしれない。勝手な想像に恐怖して足踏みしているより、勢いで突撃する方がマシだ。
「……わかりました」
私が頷くと、クジョウの表情がいつもの笑みに戻っていた。
その後彼女とはしばらくの間雑談をして、ほとぼりが冷めた頃合いを見計らって研究所に戻ったのを覚えている。
あの時の空気は最悪だったが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
それから数週間後、私たちは芙由香さんの墓参りをしていた。
「じゃあ私は仕事があるから先に戻るけど、二人も遅くならないようにな」
「うん。お仕事頑張ってね」
「が、頑張ってください……」
大祐さんは私たちより先に墓地から去っていった。心なしかいつもより早口のように感じたが、やはり緊張していたのかもしれない。
墓地には私たち以外の人は一人もいなかった。今となっては墓参りをする余裕がある家庭も少なく、そもそも区域内に家族の墓がない場合もある。そんな理由もあって、大半の墓石は誰にも手入れされないまま寂しく朽ちていくのが現状だ。
「うぅん、そう言われても別にこれ以上やることなんてないしなぁ。私たちも帰ろっか」
悠も今日はいつも以上に落ち着きがない。それほどまでに、二人にとって芙由香さんの存在が大きいのだろう。
……私は別の意味で落ち着くことができなかった。
心の中で何度もクジョウに言われたことを思い出す。そして覚悟を決めた私は、立ち去ろうとする悠の腕を掴んだ。
「どうしたの?」
「……ご、ごめん。ここで言うことじゃないかもしれないけど、その……話があって」
「えぇっと……、もしかして進学のこと?」
「うん。それに近いかも」
もうここまで言ったら逃げられない。それでも彼女に拒絶されたらと考えるだけで身体が震えだす。
深呼吸をして心を落ち着かせ、伝えたいことを脳内で整理する。しばらく沈黙が続いたが、悠は私を急かしたりはしなかった。
あるいは、私が何を言いたいのか予想できていたのかもしれない。
「この前、進学しないのはもっと研究を手伝いたいからって言ったけど、あれは半分嘘なんだ」
「じゃあ、どうして?」
「私……悠のことが好きなの」
悠はあまり驚いた表情はせず、ただ「なるほど」と呟いた。
やはり私の想いに彼女は気づいていたのかもしれない。
「私もナツのことは好きだよ?」
「そういう意味じゃないの!」
思わず声を荒げてしまった。
私はすぐに自身の短絡的な行いを後悔した。
「ごめん……。でも、家族とかそういう意味じゃなくて……」
すると悠が私のことを優しく抱き寄せた。
「私もナツと同じ意味だよ」
「──え?」
「ごめんね、私もずっと怖かったんだ。それで家族だからって言い訳し続けてた。なんとなくナツも私のことそういう感じで見てるのはわかってたし、もしかしたらいつかナツから告白してくれるかも……なんて受け身になってたんだ」
悠も私と同じだった。恐怖で想いを告げることができず、向こうから言ってくれるのを待ち続けていた。
それがなんだか嬉しく思えた。
「でも、やっぱりこんなところで告白なんて変だよね。もうちょっといいシチュエーションがあったのにね」
そう言うと悠が笑った。それを見て、私も自然と笑みがこぼれる。
「そうでもないと思うよ。同時にお母さんにも報告できるし。……お父さんにはもうちょっと内緒にしてた方がいいかな」
「大祐さん、ショックで倒れちゃうかも」
「ふふっ、たしかに」
もう一度芙由香さんの墓石の前に屈み手を合わせる。今度は形だけではなく、心から祈った。
やっと、私も家族の一人になれたような気がした。
「じゃあ、そろそろ帰ろっか」
「……うん」
どちらから言い出したわけでもなく、自然と手を繋いでいた。
帰り道の途中、ポケットに入れていたスマートフォンがバイブレーションで揺れた。電源を入れると、速報ニュースの通知が来ていた。
『速報 北海道第十四区域、屍人大量発生により放棄が決定。市民の約半分が感染』
「嘘……」
区域内で屍人が発生すること自体は稀に起きていた。しかし、区域を放棄するレベルでの大量感染は初めてだ。
……今思えば、各地で同時に起きたと言われている第二次パンデミックは、もうこの時既に動き始めていたのかもしれない。
★
「……おはよ」
目を開くと、ユキが私の顔をジッと見つめていた。
「悠……、なんで」
ユキの頬を撫でる。
本当は言ってはならない言葉だった。しかし、自然と言葉が紡がれる。
何故、悠とユキは同じ顔、同じ身体をしているのか。何故同じ声をしているのか。
……何故、私は悠とユキのどちらかを選ぶことしか許されていないのか。何故、私は悠とユキの両方を好きになってしまったのか。
両方を選ぶことができたらと何度も願ったが、それは無理な願いだった。
「ごめんね、寝ぼけてた」
私は自分でも下手だと感じる言い訳で誤魔化し、車のエンジンをかけた。
車を走らせながら、私はずっと二人のことを考えていた。
悠を取り戻したい。その目的は最初からずっと変わっていない。しかし、今ではユキと一緒にいたい気持ちもある。
いつかはどちらかを切り捨てなければならない。その時、私はどんな選択をするのだろうか。
「昨日のこと、考えてくれた?」
唐突にユキが訊ねてくる。昨日のことというのは、銃の訓練についてだろう。
「ユキを人殺しにさせたくないけど、昨日みたいになった時またうまくいくとは限らないしね」
「なんで? 屍人はもう人じゃないって、ナツ言ってた」
「それはもう両手が真っ赤に染まって後戻りができなくなった私たちが自分の行いを正当化するための詭弁。ユキにはそうなってほしくないの」
「どうして?」
「それは……、ユキのことが大切だから」
「……そっか」
ユキが恥ずかしそうにしながら、両手で自身の頬に触れる。
人間らしい反応、昔の私なら間違いなく嘆いていただろう。しかし、今はそんなユキを見て微笑ましく思っていた。
見晴らしのいい場所に車を停めて降りる。
そして乗り捨てられていた別の車の上に、落ちていた空き缶を立てた。
「そこからあの缶に当ててみて」
最低限の撃ち方だけは以前教えているが、まともに訓練させるのはこれが初めてだ。当然弾は缶には当たらず、缶の上や左右に弾が飛んでいく。
「あんまり無駄遣いしないでよね」
私は自分の車の助手席に腰掛け、クラッカーを齧った。
ユキは銃を撃つ度にその反動に驚いている。……この様子だとまだまだ先は長そうだ。
「……まぁ、こういうのもたまにはいいよね。悠」
私は呟き、ホルダーから自分の銃を取り出した。
左手でクラッカーをつまみながら、右手で持つ銃で弾を撃った。
弾が缶に命中し、缶はへこみながら宙に舞った。
「おっ、当たった」
「じゃましないで」
「ははっ、ごめんごめん」
いつもなら考えられないほど、穏やかな時間が過ぎていく。
こんな時間がずっと続けばいいのに。しかし、選択の時は着々と近づいていた。