4話 変異 2/2
「──変異種」
私はすぐに狙撃銃を変異種のいる方向に設置し直す。そして再びスコープを覗いた。
歩行スピードは通常の屍人と大差ない。頭部を狙うのは簡単だ。
「これでッ!」
発砲音と共に弾丸が宙を駆ける。そして変異種の脳を貫通した。
変異種の身体がのけぞる。……しかし、それは一瞬だけだった。変異種は即座に何事もなかったかのように歩き始めた。
逃げていた男は足を押さえながらその場にしゃがみ込んでしまった。その真後ろに変異種が立ち、巨腕を振り下ろす。
「そんな……」
二発目の弾も頭部に命中したのだが、今度は一瞬たりとも怯むことはなかった。
腕で叩きつけられた男の身体は一瞬で圧縮され、一目で死んだことが確認できた。即死だったのがせめてもの救いだろう。
「トキタさんはここで待機していてください。私は他の探索者を救助してきます」
できるだけ落ち着いた声を作る。
探索者は私の他に四人、一人死んで残りは三人だ。もしかしたらもう全員変異種によって殺されているかもしれない。しかし、実際に死体を目にするまでは彼らを置いて逃げることはできない。
「まさか、あの屍人がいる場所に向かうんですか⁉」
「ここにいる限りは安全です。もし三十分経っても私が戻らなかったら、一人で車に乗って区域に帰還してください」
「わ、わかりました……」
だがまだ地上には降りない。まずは二台の車がどこにあるかの確認だ。むやみに探索して変異種に見つかったら目も当てられない。
双眼鏡で周囲を見渡すと、すぐに見つかった。しかし一台は逆さまになって煙を噴いていた。更に窓からは真っ赤になった腕が飛び出している。既に手遅れだ。
そしてもう一台は街路樹に激突していた。車内では男が頭から血を流し、気を失っている。まだ彼なら救うことができるはずだ。
私は急いで階段を駆け下り外へ出た。
変異種に見つからないよう、できるだけ狭い道を使いながら車の位置に向かう。
『ガゥアァァ……!』
「邪魔しないで!」
目の前にいた通常の屍人に回し蹴りを浴びせる。屍人が怯んだ隙に私はその横を走り抜けた。
遠回りしながらも車の下にたどり着き、落ち着いて周囲を確認する。ここに変異種はいない。救助するなら今しかない。
私は車の扉を開けて運転手の肩を揺すった。
「ぐっ……お前、どうして……」
「そんなのどうでもいいから、早く逃げる!」
男を車から引きずり降ろす。しかし男は虚ろな目で私が来た道とは別の方向を見つめた。
「そうだ…あいつが途中でトラックを見つけたとか言って無理矢理降りて……。俺も降りようとしたら、わけわかんねぇ屍人が現れて……それで逃げて……」
「今はトラックなんて気にしてる暇ないんだよ!」
私の制止を無視して男はトラックの方へ走り始めた。
こうなったら再び気絶させて無理矢理にでも運ぶしかない。そう考えていたところでやつが姿を現した。
『グルゥゥ……』
目の前にした威圧感は先程ビルの屋上から見た時とは比べものにならない。まるで神話に出てくる怪物によって石に変えられたのではないかと錯覚するほど、私の両足は動こうとしない。
腰のホルダーから銃を取り出し、ゆっくりと変異種の頭に向ける。頭部には私が先程撃った弾丸のせいで穴が二つ出来ていた。それでも何の問題もなく動いている。……明らかに異常だ。
「これでダメなら、ここでおしまい」
確証はない。しかしどんなに耐久力が高くてもあの位置を撃てばひとたまりもないはずだ。
変異種が腕を振り上げる。
「私はこんなところじゃ終われないんだよッ!」
一発目が変異種の右目を貫く。そしてすぐさま二発目を左目に撃った。
『ガァァァァァッ⁉』
変異種は両目を押さえて苦しみ始めた。その隙に私もトラックの方向へ走った。
私は先日の調査で見た研究データと実験体に感謝していた。あの両目の無い屍人と遭遇していなければこの作戦を思いつくことなく私の身体は潰されていたかもしれない。
視界を奪われた変異種が叫びながら両腕を振り回す。左拳が当たった衝撃で、ジープが宙を舞った。
「嘘でしょ⁉」
ジープが私の真横に墜落し、破片を飛び散らせた。少しでも軌道が逸れていたらと思うとゾッとする。
だが変異種が私の位置に気づく様子はない。私は安心して走り続けた。
トラックにたどり着くと男が倒れていた。地面が真っ赤に濡れている。私は辺りを見回したが屍人も人間もいない。
男に近づき様子を見たが身体中に無数の裂傷ができていた。こんなこと屍人にはできない。だが人間の仕業だとしても短時間でこんなことができたとは思えない。
「なら、可能性は一つ……」
私はトラックの積荷を確認した。
赤い液体が宙から数滴地面に落ちる。予想通り、積荷の入口には何本ものワイヤーが仕掛けられていた。
男は物資を横取りしようとして中へ入った。そして身体中にワイヤーが食い込み、皮膚を切り裂いた。
変異種に殺された探索者も足を怪我している様子だった。恐らく彼もワイヤーで切り裂かれていたのだろう。
「でも、何のために」
まだ男は息をしている。だが出血が酷い状況でここからトキタのいるところまで戻り、車内で応急処置を施すまで耐えることができるのかは五分五分だ。
私は男を背負いながら、罠が仕掛けられた理由を考えた。
少なくとも屍人にはトラックに積まれた物資は不必要なものだ。
なら探索者が横取りするのを妨害しようとした? だが屍人に襲われた運転手にそんなことができたとは思えない。
私は戻る前に運転席を覗いた。するとそこには二人の腐敗した遺体があった。
助手席に座っている遺体は厚着で武装もしていた。つまりこれは探索者の遺体だ。
「……そういうこと」
遺体はどちらも頭部に穴が空いていた。丁度弾丸程度のサイズの穴だ。
つまり二人を殺したのは屍人ではなく、人間ということだ。
●
屋上の扉を開ける。当然彼は私の指示通りここで待っていた。
「ほ、他の探索者の皆さんは?」
「一人はさっき車に運びました。それ以外は……」
「そうでしたか……。じゃあ早く戻りましょうよ」
たしかに普通に考えればこんな危険な場所からはさっさと退却するべきだ。しかしその前にやるべきことがあった。
私はそっと屋上の扉を閉めた。
「本当なら危険な外に放置されている物資なんてわざわざ取りに行くはずがない。だから物資は独り占めできる。そう考えたのでしょうが、屍人のことをクジョウさんに伝えたのが悪手でしたね」
「えっと……、何が言いたいのかさっぱり」
困惑しているトキタを無視して私は続けた。
「トキタさん、単刀直入に訊きます。トラックに罠を仕掛けたのは貴方ですね」
「……はい?」
「トラックのワイヤーは貴方の手によるものです。貴方は物資を運ぶ立場でありながら、欲に目がくらんで物資を独り占めしたくなった。だから他の運転手と探索者を撃ち殺したんです。そして他の探索者に横取りされないように罠を設置した」
トキタの目論見通り、物資を横取りしようとした探索者たちはワイヤーに身体を切り裂かれ、一人は変異種に襲われ死亡した。
もう一人も私が救出していなければ屍人に襲われていただろう。
「そんなこと、私にできるわけがないじゃないですか……」
「ならあのワイヤーは誰が? 可能なのはトキタさんしかいないんですよ」
「……ちっ」
その直後、銃声が二回鳴った。
「次は頭を狙います」
私の頬を血が伝う。
一発は私の頬に掠り、もう一発はトキタの右膝を貫いていた。彼は呻き声を上げながらその場に倒れた。
予想通りトキタは銃を隠し持っていた。だからこそ私は屋上に入った時からずっと腰のホルダーから銃をすぐに取りだす準備をしていた。不意打ちでなければ普段から銃を取り扱っているこちらが負けるはずがない。
「クジョウさんのところに連れていくのがいいんだろうけど」
私はドアノブに触れた。そしてゆっくりと扉を開ける。
「なっ……、ナツさん! 貴女正気ですか⁉」
ドアの向こうから複数の人間……否、人間の形をしたなれ果て、屍人たちが歩いてくる。
『グァァ…アァ……』
屋上に戻る時、私は一つ準備をした。
と言ってもやったことは単純、各階層の扉を開けながら階段を上っただけだ。
最初に来た時に気配自体は感じていた。だが扉のおかげで隔離されていて接敵することはなかった。隔離されていたやつらを私はわざと解き放ち、屋上まで連れてきたのだ。
「貴方はここで死んだまま生き続ける。それが貴方への罰」
うすら寒い台詞を吐いたが、単に人を殺す勇気がなかっただけだ。
その間にも屍人たちは私を素通りしてトキタへと近づく。あまり他人と共に行動することがなかったので気づかなかったが、どうやら普通の人間と私が一緒にいた場合、屍人は前者を優先するようだ。
「ひっ、ひぃぃぃ……。なんで貴女には……」
「まぁ、トキタさんには教えてもいいかな」
私は銃をホルダーに戻し、ゆっくりと右手の手袋を外した。黒い手袋がぱさりと地面に落ち、私の右手が露わになる。
「な、なんだよそれ……」
「ちょっとした事情でね。ほとんどはあの子に噛まれた傷だけど」
右手の皮膚には大量の噛み痕が残っている。その大半はユキに血を与えた時のもの。だが屍人に襲われてついたものもある。
勿論これはほんの一部、私の身体の至る場所に屍人に噛まれた傷がある。
「──モノ」
トキタが呟いた。
「人間のフリをしてずっと騙していたんだな! このバケモノ!」
トキタは右膝から血を流しながら立ち上がった。そして後ずさりする。
彼の後ろに壁はない。だが彼は躊躇せずに一歩ずつ後ろへと歩を進めた。
「か、噛まれて屍人になるくらいなら……」
「そう、好きにすれば?」
屍人たちがトキタの身体に触れようとする。しかしその瞬間にトキタは目を閉じ、宙へと身を投げだした。
当然助からないだろう。トキタは感染して屍人になることより、自ら命を絶つことを選んだ。その選択を私は肯定も否定もしない。
標的がいなくなったことで、屍人たちが一斉に私のことを見る。私は再び右手に手袋をして風に揺れる自身の髪を撫でた。
「──さようなら」
弾は有限、なら無駄遣いは避けるべきだ。
私は近づいてくる屍人たちを無視して建物へ戻り、屋上の扉を閉めた。
他の屍人が来る前に一気に階段を駆け下りて車に戻る。そしてエンジンをかけアクセルを踏む。
後部座席に寝ていた探索者がか弱い呻き声を上げた。車に運び込んだ時に応急処置はしたがすぐに区域で本格的な治療をしなければ。
彼の身体からは大量の血が失われている。そして止血も十分ではない。このまま放置すれば彼はいずれ死んでしまうだろう。
「バケモノ…ね……」
幼い頃から何度も言われた単語、だが未だに慣れることはない。
「クジョウさんになんて言い訳しようかな。とりあえずこっちのルートは封鎖しないと」
思考を切り替える。しかし、完全に頭の中から消えることはない。独り言を呟きながらも脳内ではトキタの言葉が繰り返し流れる。
見えない傷がまた一つ増え、私は廃墟と化した市街地を後にした。