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屍人は蜜月の夢を見ない。  作者: 梔子
1章 屍人は暗闇の夢を見る
3/13

3話 I Hate You.

 ヒビだらけの道路をひた走る。ボロボロの軽自動車が揺れるたびにミシミシと音が鳴り、苛立ちが募っていく。

 大学と研究施設の調査から帰ってくるだけで、丸一日経過していた。屍人(リビングデッド)をできるだけ避けて遠回り、道を塞ぐガレキの撤去、それを全て一人で行った。


 助手席に座るユキを見る。彼女は帰還の間ずっと寝ていた。


「ユキ、そろそろ着くよ」

「……うん」


 私が話しかけると、彼女はすぐに目を開きこちらを見た。もしかしたらずっと寝たふりをしていたのではないか。そう考えると脳内に恐怖が渦巻く。道中での独り言や鼻歌を聞かれていた可能性があるからだ。


「もしかして、ずっと起きてた?」

「……寝てた」


 正直、彼女の言葉をあまり信用できなかった。



 道の先にドーム状の建造物が見えてきた。私たちが拠点としている、静岡第五区域(エリア)だ。


 区域、正式名称は『人類安全保障領域』。その頭に県名と番号、今回の場合は『旧静岡県第五』が付く。それを縮めて静岡第五区域と呼んでいる。

 区域とは、パンデミック後に各地に建てられた人類の数少ない活動領域だ。区域内に屍人が侵入しないように、基本的にはドーム、もしくは高い壁で外界から隔離されている。


 その中で人類は屍人に襲われない、平和な生活をしている。

 ただ、区域内だけの資源では生活なんてできない。そこで私たちの出番だ。


 『探索者(ヤマネコ)』、それが私に与えられた称号。


 当たり前のことではあるが、基本的に民間人が外界に出ることは許されていない。外へ出ることができるのは探索者と、探索者の護衛をつけた輸送トラックの運転手のみだ。


 もちろん探索者も自由に区域を出入りできるわけではない。

 探索者は区域の代表者などから依頼を受け、外界へ出る。依頼は多種多様で、生存者の探索、輸送の護衛、資源の確保が主なものだ。


 依頼を完了すれば当然報酬を得ることができる。食料の配給の優先。酒やタバコなどの嗜好品。特に後者を求めて探索者になる人間も多いほどだ。


 ……その分死亡者も多い。

 普通に死ねるならまだいい方だ。屍人に噛まれ感染。劣悪な環境での病気。食糧も燃料も尽き、飢えて死ぬことだってある。

 外の世界は嗜好品程度に釣られる人間に容赦なく現実を突きつけていく。


 覚悟がなければ外の世界で生きることなんてできない。

 ……だからこそ、私は十年前に全てを捨てた。



 ゲートの前に車を停め、リーダーにカードをかざす。

 カードには私の情報が記録されている。これが私が探索者である証だ。


 ゲートが開き、地下への道が現れた。区域への入口、数日ぶりの帰還だ。一刻も早く身体にまとわりつく汗と血を洗い流したい。しかし、その前にしなければならないことがあった。


 地下の駐車場にたどり着き、車のエンジンを切る。


「二人ともお疲れ様ぁ」

「クジョウさん、お疲れ様です」

「……です」


 車から降りると、白衣を着た女性が黒服の男たちを引き連れ、こちらに歩いてきた。九条(くじょう)九十九(つくも)、この区域の代表者で私たちのクライアントだ。ユキは彼女のことが苦手なのか、私の後ろに隠れた。

 私は彼女から物資の援助を受けている以上、彼女に逆らうことができない。……それともう一つ理由があるのだが。


「じゃ、デジカメ預かるね」


 ユキは不服そうな顔をしながら、外の世界を撮影したデジタルカメラを私経由でクジョウに渡した。


「すぐ返すから安心して」


 クジョウはユキに微笑むと、黒服の一人にカメラを渡した。


「すみません。そろそろ身体検査の方を……」


 もう一人の黒服がそう言いながらこちらに近づく。私は無意識にユキの方を見てしまった。彼女の身体を他人に見せるわけにはいかない。

 すると、クジョウが咳ばらいをして黒服の前に立った。


「いつも言ってるでしょ、二人の検査は私がやるって」

「し、しかし……」

「大丈夫だって、噛み痕があったらちゃんと上に報告するからさ。あんたらは先に研究室戻って映像コピーしてきて」

「は、はい。……失礼しました」


 黒服たちはこちらに頭を下げ、私たちを置いてエレベーターに乗った。私はほっとして胸をなでおろした。

 ユキには他人に知られてはいけない秘密がある。……そして私にも。


「いつもありがとうございます」

「気にしないで。最近他の区域内で感染者が出始めたみたいでね、みんなピリピリしてるからさ」

「区域内でって……。また十年前みたいなことが?」

「うぅん、ないとは言い切れないねぇ」


 クジョウは頭を掻きながら言った。


 徹底的に管理されている区域とはいえ、探索者たちが出入りする以上、リスクを避けることはできない。そのため、帰還した探索者には本来身体検査が義務付けられている。それでも何らかの理由で検査をすり抜ける感染者がごくまれにいる。

 もちろん屍人が発生すればすぐに処理されるが、住人への被害が出ることもある。


 ……その極地が、十年前に起きた第二次パンデミックだ。


 第二次パンデミック、十年前に起きた区域内での屍人の大量発生。第一次の時よりも広範囲で起きた感染騒動は、前回よりも異常なことが起きていた。


 まず一つ目は感染が区域内、それも複数の区域でほぼ同時に発生したことだ。検査をすり抜け、感染者が区域に侵入することはどうしても起きてしまう。しかし、それが複数の場所で同時に起きたとなると、異常としか言いようがなかった。


 そして二つ目。それは十年経った今でも、区域に侵入した感染者を特定できていないことだ。普通なら探索者と居住者たちの死亡リストとゲートの記録、監視カメラなどを照らし合わせれば、誰がウイルスを持ち込んだのかを特定することができる。しかし、まるで誰かがそうさせたかのように、一週間以内に区域を出入りした探索者の死亡数はゼロだった。

 鳥が感染したのではないかとの考え方もあるが、人間以外の動物への感染は現在も確認されていない。


 この二つの点から、第二次パンデミックは人為的に引き起こされたのではないかと噂になっている。……ただの陰謀論だ。

 そんなものに興味はない。第二次パンデミックが原因で、(はるか)が死んだ。ただその事実だけが、私の心を苦しめた。



 階段を上り、地上へ出た。外を走る子供たちの姿を見ると、安全な場所に帰ってこれたという実感が湧く。しかしここはあくまでドーム内、天井は気休めなのか青いペンキで塗装されていた。


 生存者たちが暮らす集合住宅ではなく、そこから離れた場所に建てられた研究施設に入る。この中に私たちの部屋がある。通路を忙しそうに行き来する職員たちを横目に、私たちは部屋へ戻った。


 最低限の家具しか置かれていない簡素な部屋。ここで私たちは十年近く暮らしている。と言ってもほどんどは外の世界で過ごしているので、ここには仕事を終え次の仕事までの休暇中、シャワーやベッドを使うために帰ってきてるようなものだ。


「……シャワー浴びたい」

「私の方が汚れ酷いんだからユキは待ってて……、ねえ聞いてるの?」


 荷物を片付けていると、ユキは服を脱ぎ捨てシャワールームへ入ろうとしていた。言いたいことは山ほどあるが、まずは汚れや疲れを洗い流したい。結局二人で一緒に入ることになった。


 久々のシャワーでも、身体にこびりついた血の臭いだけは流してくれない。ただ、外界の汚れた川で身体を洗うのとは大違いなので、それは贅沢な悩みだ。


「……はやく」


 ユキが急かしながらこちらを見る。


「わかったから、あっち向いて」


 シャワーヘッドをユキの頭部へ向け、汚れを洗い流す。黒ずんだ液体が排水口に流れていく。


「あぁ……」


 彼女が普段なら発することのない間抜けな声を出した。私は思わず笑いそうになったが、彼女の身体にある傷跡を見て胸が苦しくなる。

 脇腹に刻まれた大きな傷跡。これは誰にも見られてはいけない。知っているのは私とクジョウだけだ。

 詳しいことは何もわからない。ただ()()()()はユキだ。ユキがはっきりと自我を持って行動している。……本来ならあり得ないことなのだが。

 その代わり、彼女はユキになる前の記憶を失っている。わかっているのはそれだけだ。


「どうかした?」

「……なんでもない」


 彼女の傷跡から目を逸らし、洗う作業を続ける。私の瞳から零れた液体が、涙ではないと信じたかった。



 ユキの身体をタオルで拭き終えると、彼女はすぐにベッドへ倒れた。


「……ったく、せめて着替えてから寝てよね」


 文句を言おうとしたが気が乗らず、着替えを彼女に投げた。


 ふと自分の腕、そして両手の指にある傷を見る。私も彼女と似たようなものだ。


 コップに水を注ぎ、棚から配給食(レーション)を取り出す。区域内の濾過システムも十分とは言えないのだが、普段飲んでいる川の水より何倍もマシだ。私の排泄した液体を濾過して、翌日に誰かが飲んでいるのかもしれないが、そんなことはどうでもいい。

 配給食の乾パンを口に放り、水で流し込む。味は最悪らしいが、私はその最悪すら味わうことができない。

 ……私の味覚は、この十年でほとんど死んでしまった。私が今でも味わうことができるのは、ほぼ痛みと言っていいほどの辛味だけだ。そんなものもここ数年食べてはいないのだが。


「……お腹すいた」


 ユキがそう言いながら立ち上がった。


「配給食ならまだあるから着替えてそれを……あぁ、そっちね」


 彼女の表情を見て察した。まるで昨日会った……、あまり考えたくはない。

 左手を彼女に差し出す。


「人差し指はダメだからね。ユキのせいで昨日は大変だったんだから」

「……うん」


 頷いて私の左薬指を咥える。音をたて、私の指を必死に舐める様子は乳を求める赤ん坊のようにも見えた。しかし、突然鋭い痛みが走る。


「……っ! ぐ……んっ……」


 心臓の鼓動が早くなる。指が熱くなり、逆に身体は冷えていく感覚がした。


「んっ……。……ごちそうさま」


 ユキが私の左手を解放する。薬指が真っ赤に染まっていた。


 傷を洗い、包帯を巻く私のことなんて一切気にせず、ユキはまたベッドに倒れた。


「……はぁ」


 するとノック音がした。

 急いで左手に手袋をして包帯を巻いた指を隠す。


「クジョウさん、どうしたんですか?」


 扉を開けると、クジョウがカメラを持って立っていた。


「あっ、わざわざありがとうございます。けど、明日でもよかったのに」

「まあこれ返すのもあったけど、ちょっとナツちゃんとお話したくてね」


 クジョウがニヤニヤしながら言ったので、私は首を傾げた。



 施設の外へ出る。先程までは照明で明るかったドーム内も、今は所々に設置された街灯がおぼろげな光を発するだけだ。


「ナツちゃんもタバコ吸う?」

「私は少し前に吸ったので、今は大丈夫です」


 断るとクジョウは不服そうに、私に渡そうとしたタバコに火を点け、自分の口に咥えた。遠慮せずにもらっておくべきだったのだろうか。少しだけ後悔する。


「同じヤニカスなんだから、吸いたい時に吸えばいいのに」

「クジョウさんほどじゃないですよ、私は」


 クジョウは重度のヘビースモーカーだ。貴重になったタバコを毎日何本も吸っている。彼女専用の工場がこの区域のどこかにあるのではないかと、研究員たちの間で噂になるほどだ。


「……それで、話ってなんですか?」


 クジョウの顔からいつものヘラヘラとした笑みが消えた。


「仕事の進捗がどんなもんか知りたくてね」

「……それなら、ユキのカメラでちゃんと記録してるじゃないですか。もう外に生存者なんてほとんどいないんじゃないですかね」


 彼女が求めている答えがこれではないことくらいわかっている。それでも、事実を言うのが怖い。

 十年も足掻き続けたのに、未だ何も得ることができていない自分が滑稽で仕方がない。


「じゃあ言い方を変えるね。屍人の研究をしてた施設周辺の調査依頼は優先的にナツちゃんたちにあげてたけど、悠先輩に関係ありそうな資料は見つかった?」


 クジョウは悠のひとつ年下で、大学の後輩だった。私も悠の通う大学に入り浸っていたので、クジョウとは十年以上前からの付き合いだ。そのため、彼女は私たちの事情を理解し、受け入れてくれている。

 そんな彼女にはっきりと悠のことを聞かれると、嘘をつくことなんてできなかった。


「特に何も」

「そっかぁ……」

「だから──」


 思い浮かんだのは十年前まで悠たちと暮らしていた東京の家、そして大学。あの時は生き延びることに必死で、あまり調べることができなかった。もう一度調査することができれば……。


「──だから、一旦東京に戻ろうと思います」


 そう言うと、クジョウは目を丸くしてこちらを見つめた。

 東京は彼女の管轄外だ。そのため、二人で行くのは自殺行為でしかないのはわかっている。


「もう一度、大祐(だいすけ)さんの研究室を調べたら……。何か見つかるんじゃないかって」

「ユキちゃんはどうするの?」


 痛いところを突かれた。私だけなら恐らく東京まで行くことは可能だ。当然、検問所はいくつかあるのだが、最悪無理矢理突破することもできる。

 しかし、ユキは今まで戦闘を経験したことが一度もない。今回、彼女はただの足手まといにしかならないだろう。

 だからこそ、私はクジョウに頭を下げた。


「ワガママなのはわかっています。しばらくの間、ユキを預かってもらえませんか」


 するとクジョウが笑いながら私の肩に手を置いた。彼女の顔を見ると、少し寂しそうな笑みを浮かべていた。


「別に預かるのはいいけど、ユキちゃん悲しむと思うなぁ」

「……なんでそんなことがわかるんですか」


 ユキが悲しもうがどうでもいい。そんな苛立ちを隠さずに行ってしまった。すぐに後悔して、クジョウから目を逸らす。


「うぅん……、私もユキちゃんと同じで、夏希ちゃんのことが好きだからかな?」

「その名前で呼ぶのはやめてください……。それに、女同士じゃないですか」

「夏希ちゃんも悠先輩のこと好きって言ってたくせに」


 ……昔の話だ。


「それに……」


 クジョウの表情が変わる。私のことを軽蔑するかのような目で見ていた。


「夏希ちゃん、ただ東京で死にたいだけでしょ」

「そ、そんなこと……」


 ないとは言い切れない。もう疲れてしまった。意味のないことを続けるのに。

 十年前、悠と一緒に死ねなかったこと。それが私の一番の後悔。


「ごめんごめん、冗談だから気にしないで」


 クジョウが私の肩を揺する。気づくと表情はいつもの意地悪そうな表情に戻っていた。


「東京へのルートはこっちで確保してあげるから。……ユキちゃんと二人で行ってきてよ」

「……はい、ありがとうございます」

「ちゃんと帰ってきてよ。ナツちゃん」


 そう言うと、手を振りながら彼女は去っていった。最後はいつもの表情に戻っていたのに、それが一番怖くて仕方がない。

 一人残された私は、しばらくの間動くことができなかった。


 少し考え事がしたかったが、部屋に戻ると急激な睡魔に襲われ、そのままベッドに倒れてしまった。……そして夢の世界へ落ちていく。


 大祐さんやクジョウたちと一緒に食事をする光景。こんな穏やかな夢を見るのは何年ぶりだろう。

 それでも、悠はそこにいない。

 手を伸ばすと、冷え切った感触がした。


「悠、行かないで」


 気が付くと、目の前に悠と同じ顔をした白髪の少女が立っていた。私が嫌いだと思い続けている少女。彼女は無表情で涙を流していた。

 その先は覚えていない。それでも、多分この夢はハッピーエンドではないのだろう。



 まっくらな世界。気づいたらわたしはそこにいた。わたし以外、だれもいない。


「ナツ、どこ?」


 わたしは大切な人の名前を呼んだ。

 冷たいふりをしているけど、ほんとは優しくて、少しおくびょうな女の子の名前。


 ナツがいるから、わたしは生きることを許されている。そんな気がした。


 すると、まっくらな世界に一本の光の道が現れた。その先で、だれかがわたしを呼んでいる。


「……ナツ?」


 気づくと、足が勝手に動いていた。光の道を進む。その先に行けば、大事な何かを思い出せるような気がして。


「いかないで」

「……え?」


 急に後ろから誰かが、わたしの腕をつかんだ。振り返ると、ナツに似ているが、彼女より少し幼い見た目をした女の子がいた。


「はるか、いかないで」

「だれ……?」


 女の子は泣いていた。はるかとは一体だれのことなのだろう。わからないはずなのに、自然となみだが出てきた。

 ……そこで夢は終わった。


 目が覚めると、となりでナツが寝ていた。

 彼女はわたしに抱き着き、うなされている。


「……はるか、いかないで」


 夢で会った女の子と同じ言葉。

 わたしはナツの黒髪を撫でた。


「ナツは……、はるかのことが好きなの?」


 だれなのか知りたい。それでも聞くことはないだろう。

 そんなことをしたら、きっとわたしはわたしじゃいられなくなる。ナツもナツじゃいられなくなるだろう。


 好きな人にこれ以上嫌われたくない。だから、わたしは思考にフタをした。

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