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屍人は蜜月の夢を見ない。  作者: 梔子
1章 屍人は暗闇の夢を見る
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2話 イキルシカバネ

 窓を叩き割り、中へ侵入する。もう誰もいないし誰も帰ってくることのない建物だというのに、ご丁寧に鍵だけはしっかりと施錠されていた。


「どろ…ぼぉ……?」

「うるさい。もうここは放棄されてるからいいの」


 今日は昨日の仕事の続き、むしろこれが本番と言ってもいいくらいだ。

 今日の仕事は生存者の捜索ではなく、データの回収だ。この建物は旧大学付近に設置された研究施設。勿論研究対象は屍人(リビングデッド)だ。

 そしてここは大学のような年季の入った建物ではなく、比較的新しめでそして簡素な造りになっている。

 それもそのはず、この施設は何を考えたのかパンデミック後にこの場所が危険地帯となってから建てられたのだ。

 研究対象をすぐ近くで観察することができるからという愚かな理由で、これと似たような施設は各地に存在している。しかし、どこも長続きはしない。研究対象である屍人に襲われ、施設を破棄せざるを得ない状況になり、結果建物は無人になった。ここも似たような末路をたどったのだろう。


「ユキも早く入って。ガラスで肌を切らないように慎重にね」

「わかった」


 大人が楽々と通れそうなサイズまで広げた穴をユキがゆっくりと通って施設内に侵入する。

 私もユキも身体は衣服で防護されているが、顔は無防備だ。こんな場所では軽い切り傷も避けたかった。……ユキに関してはもう一つ理由があるのだが。

 防護服を着て危険地帯へ行く同業者もいる中、私たちの服装は軽装すぎると言われても仕方ないものだ。長袖のシャツにカーゴパンツ、いくら動きやすさを重視しているとはいえ、こんな場所を歩くのには心もとない装備だ。

 そして一番の問題は屍人に噛まれるのを防御できない点なのだが、これは特に問題視していなかった。

 最初はユキにだけでも防護服は着させようとしたのだが当の本人が拒否したので、今は二人ともラフな格好で落ち着いている。


 私も中へ入り探索を開始したのだが、すぐに違和感を覚えた。


「……綺麗すぎる」


 ここは放棄されたはずの施設だ。なら施設内には屍人と争った形跡があったり、生き残りが持ち去ってしまい研究データもほとんど残っていないのが当たり前だ。

 しかし、ここはそんな形跡もなく、机の上にはノートや書類が山のように積み重なっていた。ただそのさらに上に積まれたホコリだけが、ここが長い間無人であることを物語っていた。


「どうか、したの?」

「ここが件の施設で間違いないはずだし、クジョウさんのミス? いや、そんなことなんてあるわけないし。じゃあどうして……」


 ユキのことを無視してノートを読む。中身は屍人に関する研究データ、やはりこの施設が私の目的の場所で間違いないはずだ。

 環境のせいか、文字やグラフは全て手書きだ。珍しいのはそれだけで、ノートに書かれているのは以前にも見たようなものばかり、新規性なんて何もない。


「ひま……。ナツ、なにかやることない?」

「ユキは少し黙ってて。あとここの撮影はしないでよね。私たちがここを調べてるのをクジョウさん以外に知られるわけにもいかないし」

「むぅ……」


 ユキはつまらなそうにカメラを手から離した。


「重要な研究データだけ持ちだした? いや、流石にそんなことできたとは思えないし、まさか無駄足だった……?」


 ブツブツ呟きながら読み終えたノートを床に放り投げる。書類もパラパラとめくって中身を確認するが私が求めているようなものは何もない。

 完全な無駄足、周りにバレればただでは済まないようなことを、クジョウの協力も得てやっているというのに成果無しというのはあんまりだ。しかし、正直に言えばこの十年間成果を得られたことの方が少なかった。

 だからといって、無駄足なことに何も感じないほど私の神経は図太くない。


「ナツ、こっちきて」

「何かあったの?」


 ユキが私の服の袖を引っ張る。どうやら彼女が何かを見つけたようだ。

 ここで残っている資料を見たところで意味はないだろう。私は素直に彼女についていくことにした。

 すると彼女は部屋の隅の床を指差した。そこは周りとは違い木の板が敷かれていた。私は恐る恐る板を外すと、その下には空洞になっていた。


「地下室……? まあ珍しくもないけど」

「普通、なの?」

「まあね。外の危険地帯なわけだし」


 こういった施設は性質上屍人に襲われる危険性が常につきまとっている。そのため屍人から逃れるための地下室、所謂シェルターが付き物だった。

 ライトで中を照らす。私の予想通りなら地下室には何もないはずだ。施設は襲われた形跡がない。つまり屍人から逃げるための地下室は使っていないはずだ。


 しかし私の予想に反して、地下室の床には書類やノートが散らばっていた。ということは誰かがここに入っていたということになる。そしてご丁寧に梯子も掛けられていた。


「ちょっと下りてみるからユキはそこで待ってて」


 私はユキの反応を見ずに地下室へと下りてしまった。もしかしたらこの時彼女は反応をしていたのかもしれない。

 普段探索をしている時にする彼女の仕草、死の臭いを感じ取った反応だ。


 そんな彼女の様子を気にしないまま梯子から下りた私は再びライトの明かりを点けた。


「思ってたより広いなぁ」


 地下室はパンデミックによる都市放棄前に建てられていたシェルターをそのまま使ったのだろう。壁や床は土ではなく、しっかりとした部屋になっていた。

 そして先程見えたノートを拾おうとして足元をライトで照らすと、ノートの側には白い物体とボロボロになった白衣も落ちていた。


「これ……人骨⁉」


 白骨死体が地下室の床に倒れていた。死体の左手にはノート、そして右手には拳銃が握られていた。

 頭蓋骨には何かが貫通した跡がある。つまり拳銃は襲ってきた屍人に向けられたのではない。自分で自分の頭を撃ちぬいたのだ。


「なんで自殺を……」


 この人物が自ら命を絶ったのはもう何年も前の話だ。なら今更死の理由を考えたところで意味はない。

 今できることは彼らの遺したものを私が目的のために有効利用するだけだ、そんな身勝手な感情を抱いて私はノートを拾おうとした。しかしその瞬間に私の左足を誰かが掴んだ。


『ゥヴアァ……』


 聞き慣れてしまった呻き声、私はすぐに自由な右足で左足を掴んでいる腕を蹴った。そして腕が離れた隙に距離を取り、声をした方向を照らす。

 青く変色した肌、白濁した瞳、その身体の所々には苔のようなものが生えている。


「なんでここに屍人がッ!」


 腰のホルダーから自動式拳銃を取り出し即座に発砲した。地下室に音が響く。耳栓をしていないせいで酷い頭痛に襲われるが必死にそれを無視した。

 床に落ちた薬莢が足元を転がる。弾丸は屍人の右肩に命中したが、屍人はまだ動いている。

 屍人は這いつくばった状態で左手の力を使ってこちらへ近づこうとしていた。私は一発しか撃っていない。しかし屍人は立ち上がろうとはしない。否、彼は立ち上がることができない。……屍人の腰から下には何もなかった。下半身が切断されていたのだ。


「よくわからないけど、私の邪魔をしないで」


 今度は屍人の頭部をしっかりと狙い、とどめの一撃を放った。

 脳髄が壁に飛び散る。頭部を貫かれた屍人は一度身体をビクンと痙攣させて、二度と動かなくなった。


『ヴゥ…ァ……』


 どうやら他にも屍人はいるようだ。

 私はライトと銃を構えながらゆっくりと歩いた。


『ァ…ア……?』

「……どういうことなの」


 もう一人の屍人がジッとこちらを見つめている。しかし襲いかかろうとはしない。

 ライトを屍人のすぐ目の前にまで近づける。それでも屍人は何も反応しない。ただ困惑の声を上げながら私のことを見る。いや、彼は私のいる方向に顔を向けているだけで、私のことを見てはいない。


 ……この屍人には眼球が存在しなかった。両方とも腐り落ちたのか、それとも誰かが意図的に彼から奪ったのか。

 混乱したまま私は盲目の屍人の額に銃口を当て、三発目の弾丸を射出した。



「いたの?」

「うん、でも大丈夫。理由はわからないけど中にいた屍人は誰かが痛めつけた後だったから」


 地下室にあったノートと書類を回収し、私はユキの下へ戻った。心配そうに見つめる彼女の頬を軽く撫でる。

 自分の無意識の行動に軽く苛立ちながら、私は資料をテーブルに置いた。


「まずはこれから」


 自殺した人間が持っていたノートを開く。中は研究データではなく、日記のようなものだった。


「二〇三五年、大体十年前の記録……。六月、屍人の捕獲に成功。……だから外に施設を建てたんだ」

「なんで?」

「安全な場所じゃ捕獲なんてできないから。まぁ、その捕獲する段階で大抵の施設は壊滅しちゃうんだけど」


 屍人の捕獲を目論むこと自体も珍しいことではない。

 わざわざ危険区域に建てた研究施設のほとんどが屍人の捕獲、そして調査を目的としている。それが一番難易度が高く、危険なことを承知した上で、ここにいた人たちは研究をして、最後は死んだのだろう。


「捕獲した屍人は地下研究室に……」


 恐らく先程私が奇妙な屍人たちを撃ち殺した場所が地下研究室なのだろう。つまりあの屍人たちは襲撃の際に侵入したのではなく、最初からずっとあそこにいたのだ。


「多分屍人の生命力を研究してたんだ。どこの部位がなくなったら屍人は活動停止するのかとか、視覚とか嗅覚はあるのかって」


 それならあの奇妙な屍人たちの存在も納得だ。下半身を失った屍人はその状態で生きることができるのか、目を失った屍人は人間を認識することができるのか。そういったことを研究して生き残ったのが地下にいた屍人たちだ。

 だが、これだけでは終わらなかった。私の一般的な予想を遥かに超えたものが、ノートには書かれていた。


「……嘘でしょ」


 声を絞り出す。

 ただの妄想だと切り捨てたかった。しかしこの内容が本当なら、この施設で感じた違和感の全てに、辻褄が合ってしまうのだ。


「どうか、したの?」

「捕獲した被検体零号をベースに、職員への人為的な感染。その後生命力のテスト……狂ってる」


 一体を捕獲するだけでも素人には困難だ。

 だが研究のためには屍人が何体も必要になる。ならその度にまた犠牲を出しながら捕獲作戦を行わなければならないのか。

 この日記の筆者はもっと効率の良い方法を見出した。……いや、正確には誰もが一度思いつくが実行には移せない方法を、彼は実行してしまった。


「争った形跡がないのにデータが残ってるのも納得、だって全員感染させちゃったわけだし」


 恐らく逃げ出す前に何らかの方法で職員たちに感染させたのだろう。例えば地下室に閉じ込めたり、寝ているところを拘束した可能性もある。

 そして職員は筆者一人だけになった。


「……ぐちゃぐちゃ」


 ユキがノートを覗き込み呟いた。

 たしかに彼女の言う通り、後半のページに書かれているのはもはや文字の形をしていなかった。所々には血の跡もある。……筆者も感染してしまったのだろう。

 最後に後悔の言葉が綴られ、後は全て白紙だ。

 自身も他の職員と同じような末路を迎える前に、自ら命を絶ったのだ。あまりにも無責任な行為に腹が立ってくる。

 だが、それを口にしたりはしない。言えば自分にも返ってくるのを理解しているからだ。


「けっきょく、この人はなにがしたかったの?」

「さあね。そんなの、本人にしかわからないよ」

「じゃあ、もうだれにもわからない?」

「そうなるね。これ以上は収穫もなさそうだし、さっさと撤収しよ。……早くシャワー浴びたい」


 一つ言えることがあるとすれば、きっと彼にも目的があったのだろう。その目的のために、彼は自身以外の全てを切り捨てた。

 私にはそれを身勝手で愚かな行為だと否定することはできない。何故なら、私も同類だから。

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