8話 冥
おんぼろの車で荒れ道を走る。いつも通りだが、普段とは違う点が一つあった。
「……なんでこんなことになったんだっけ」
ユキが訊ねる。
そんなこと、私が知りたいくらいだ。
普段とは違って私が助手席、ユキは後部座席に座っている。そして肝心の運転席には、先程会ったばかりの男が我が物顔で座りハンドルを握っていた。
事の始まりは十数分前だ。私たちは静岡を出てからは何事もなく順調に進み、東京は間近に迫っていた。
そして車は神奈川と東京の境目に建つ検問所に到着したのだが、そこで事件が起きた。
検問所を担当していたのが今私の車を運転している男だ。彼は私のカードを確認すると「会わせたい人がいる」と言って半ば強引に車を奪った。
「そろそろ目的地くらい教えてくれたっていいんじゃないの?」
「いいから着くまで黙ってろ」
男は銃を武装しているが、まだホルダーから抜いてはいない。
私は既にホルダーから取り出し、安全装置も外している。それに男は気づいていない。
運転する男の頭を一瞬で撃ちぬくのは簡単だ。助手席からの運転もなんとか可能だろう。
だがそれをしないのはまだ男の目的がわからないからだ。私たちを襲うのが目的ならわざわざこうやって移動をする必要がない。そして彼の言う会わせたい人物が気になるというのもある。
更に十分ほど走り、車は森の中へ入った。
男はその途中で車をいきなり停めると、降りて通信機に何か語りかけ始めた。
「今のうちに逃げる?」
「いや、ここまで来たんだから、会ってから考える」
鬼が出るか蛇が出るか、今後のことを思案していると急に地面が揺れ始めた。
「じしん?」
「そうだね。結構大きい……は?」
私は自分の目を疑った。
揺れと共に地面の一部にヒビが走る。そしてヒビを中心に地面が左右に動き大きな穴を作った。
……揺れが治まると、私たちの目の前には地下への通路が現れていた。
「地下の区域?」
区域はドーム型のものだけではなく地下を掘って作られたものもある。どちらかといえば後者の方が主流だ。
しかし、ここまで大掛かりな仕掛けが施された区域の入口は見たことがない。
男が再び運転席に乗る。
「この中に私に会いたいって人がいるわけ?」
「そうだ。くれぐれも下手な真似はするなよ」
どうやら男は未だに私が銃を抜いていることに気づいていないようだ。その癖に自分が優位に立っていると勘違いしているのだからおめでたい頭をしているとしか言いようがない。
車が地下への道に入ると、再び地響きがして入口が閉じていく。恐らく中にいた仲間が操作したのだろう。
入口が完全に閉ざされると、地上から光が入ってこなくなり辺りが暗闇に包まれる。しかしそれと同時に壁のライトが点灯して道を照らした。
「……すごい」
ユキが瞳を輝かせながらデジタルカメラを構えた。そのまま写真を撮るが写っているのはただの壁だ。だがそれでも彼女は構わないのだろう。
何故ならユキは今まで地上の区域の一部にしか入ったことがない。だから地下を走るというのが新鮮で仕方ないのだろう──だが彼女だけでなく私もこんな場所を車で走るのは初めてだ。
そもそも、探索者は全国の区域の位置等のあらゆる情報を全て知る権限がある。大抵の探索者は自身の縄張りの範囲しか調べないが、今回私は東京までのルートにある全ての区域についての資料を閲覧した。しかし、森の中にこんな大がかりな区域への入口が隠されているなんて情報はどの資料にも書かれていなかった。
つまり、ここは区域ではなく何者かが隠れて作った施設の可能性が高い。
螺旋状になっている道を下り終えると、駐車場のような場所にたどり着いた。男は車を停めるとエンジンを切り、鍵を自身のシャツの胸ポケットにしまった。
恐らくは私たちを逃がさないための作戦だ。
……どうしたものか、私は思案した。ここで男を殺したとしても、入口が閉ざされているのでは脱出はできない。やはりここは大人しくしているべきだろう。
私たちは男に連れられ、エレベーターに乗り込んだ。男が慣れた手付きでボタンを操作すると、轟音を鳴らしながらエレベーターが下へと動き始めた。
流石にこれを一から作り上げたとは考えにくい。きっと元々あったものを改造したのだろう。
そしてエレベーターが停止して、扉が開く。男に押されて降りたが、私は開いた口が塞がらなかった。
「子供部屋……?」
ユキが首を傾げる。
入院着を着た子供たちが真っ白な部屋で遊んでいた。鬼ごっこで縦横無尽に駆け回る男の子たちに積み木遊びをしている女の子、まるでパンデミック前に存在していた保育園の様子を覗き見ているようだった。
間取りは巨大な正方形の部屋一つのみ、エレベーター以外の外部への通路は見当たらない。
「はじめまして、夏希さん♡」
部屋の隅にいた少女が立ちあがり、こちらへ近づいてくる。
紫色に染められた髪に青白い肌、他の子どもたちとは全く違う異質な存在感を放っていた。
すると後方で再び轟音が鳴る。私たちをここに連れてきた男はエレベーターに乗って一人去ってしまった。
「なんで私の名前を?」
「勿論大ファンだからに決まってるじゃないですか♪ ボクは鳴海冥、ずっと夏希さんと会うのを楽しみにしていました★」
冥は笑いながら私に握手を求めてきた。なんだか不思議な少女だ。彼女の表情はまるで仮面が貼り付いているかのようだった。そして、彼女は一度もユキの顔を見ようとはしない。
私は素直に握手に応じたが、彼女の手は恐ろしいほど冷え切っていた。
「よろしく。……こっちはユキ」
「よ、よろしく……」
「そうですか。よろしくお願いしますね」
表情こそは仮面のような笑みだったが、言葉からは何の感情も伝わってこない。
やはりユキの方は見ずに冥はずっと私を見ていた。
「それで、貴女がここに呼んだの?」
「はい♪ 夏希さんにお願いがあって、本当はこっちから夏希さんのところへ行くつもりだったんですけど、偶然近くで見つけたって情報が仲間から入ってきて網を張っていたんです♡」
どうやら東京へ行くのがバレていたわけではないようだ。
しかし、冥が私に何を求めているのかがわからない。
「お願いって?」
すると冥は積み木遊びをしていた女の子の一人を呼んだ。女の子が無邪気な顔で冥の下へ走ってくる。
「めい先生、なぁに?」
女の子が訊ねるが冥は何も答えない──何も言わずに女の子の着ていた衣服を剥ぎ取った。
女の子は入院着の下に何も着ておらず裸体が露わになるが、恥じらう様子はない。
……私は女の子の身体に視線が釘付けになってしまった。これは決して私が幼い少女に欲情しているわけではない。
「──何、これ……」
私は思わず呟いた。
女の子の身体には大きな傷痕、そしてその周りには苔が生えている。
──間違いない。この子は屍人だ。
「それで、私は何をしたらいいの?」
「簡単ですよ★ 夏希さんの血が欲しいんです♪」