第1章 第2話 スレート
〜前話Abstract〜
《偽りの水平線》はこの世のものとは思えないヤバい場所だった!
でもフラマの覚悟とカルソーの冒険心とエリダのバランス力はそれ以上にヤバかった!
三人を乗せた船は荒波の中に突っ込んでいった…
◇◇◇◇
「………」
遠い声が聞こえる。腕や首筋に濡れた砂のまとわりつくような感覚があって気持ち悪い。
頭がはたらいていないのか視界がぼんやりする。あれからどうなったのだろう。
僕たちは怪物のようにうねった海に突っ込んだ。程なくして船が大きく揺れて身体が宙に放り出されると同時に、轟音とともに視界が真っ白になって…あれは雷だったのかな?
「………」
…海に落ちた? 今は陸の上にいるようだ。ここはロンディアの島ではなさそうだ。ということは外の世界に辿り着けたのか? カルソーは? エリダは? 船はどうなった?
「おい! キミ! 大丈夫かい?」
誰かに肩を叩かれて意識がはっきりとしてきた。
声の主は40代ぐらいの男性だった。ほっとしたような優しい表情を浮かべているが、全体的にどこかやつれた雰囲気が漂っている。着ている服は華美ではないものの小綺麗でしっかりしている。
「ハッ、よかった! 気がついたようだね。浜辺で君たちが倒れてるのを見かけてね。三人とも命に別状はなさそうだったけど、なかなか意識が戻らないから心配したよ」
あたりを見回すとカルソーとエリダも砂浜に倒れていた。
「あの…ありがとうございます。…あなたは?」
「ああ、失礼。私はスレートという。この近くにに別荘があってね、今はそこに暮らしているんだ」
別荘? やはりお金持ちなのだろうか。
「ひとまずうちに来て休むといい。幸い部屋は余っている。さっきも運ぼうかとは思ったんだが、力には自信がなくてね。でも二人でならまあなんとかなるだろう」
信用は…しても大丈夫そうである。ひどくこちらに興味津々な様子で、騙そうとしているような風には見えない。それに、このままここにいるわけにもいかないだろう。
「お言葉に甘えさせてもらいます。あー…でも、僕らでこれを担ぐ必要はないですよ」
僕はカルソーを乱暴に叩き起こした。
「ってぇ! おい、何すんだ! って、ここは?」
「僕はフラマ。で、こっちのでかいのがカルソーです。あっちのエリダはカルソーに運ばせましょう」
◇◇◇◇
スレートの家まではそう遠くなかった。海辺の森の入り口に建った平屋には、たしかに空き部屋があった。とりあえずエリダはベッドに寝かせておくことにした。これまでの感じならエネルギー切れか何かだろう。…たぶん。
「落ち着いたらリビングの食卓まで来なさい。たいしたものは作れないが夕飯をご馳走しよう」
そう言うとスレートは部屋を出ていった。ほんとうに親切な人だ。
《偽りの水平線》で何があったのかカルソーにもきいてみたが、同じように気を失ったらしく、僕が感じたのと大して変わらない内容だった。ともかく、アレを越えて外の世界に来られたようなのは奇跡とも思えるけど、船がなくなってしまったのは早速痛手だ。
「なあ。エリダが人形だってこと、言わないのか? スレートさんは気づいてないみたいだったぞ?」
「うーん、むやみに言いふらすものでもないかもだけど、この人なら大丈夫そうな気がするな。僕らもエリダを作った人について情報がほしいし」
「しっかしいい人だよなあ。この部屋も使ってないとか言っときながらもきっちり掃除されてて居心地がいい。ありがてえ」
「客人用の部屋なのかな? でもこの辺りはあまり人気がなさそうだったけれど… そういえばエリダの方を気にして聞きそびれちゃったけど、ここにはご家族とか他の人もいるのかもしれないね。その辺も後できいてみようか」
カルソーと話していると、リビングの方からおいしそうな匂いがしてきた。すると、待ってましたとばかりにエリダが身体を起こした。
「センサーに刺激を感知。記録データとの照合を開始………」
「おいおい、大丈夫なのか?」
「内部パーツに損傷なし。省エネルギーでの稼働は可能。早急に補給が求められる」
「…つまり?」
「ごはんを食べれば…! 本調子に戻る…!」
…ツッコまないでおこう。
食器の準備ぐらいは手伝おうと三人でリビングへ向かうことにした。
部屋を出ると、隣の部屋のドアが少し開いていた。奥のベッドの上に何か黒ずんだものが蠢くのが目に入った。
ドサッ!
部屋の中から重い音がして、思わず部屋に飛び込んでしまった。
「だ、大丈夫ですか!?」
ベッドから床に落ちたそれは、皺くちゃの老人だった。小さな体躯にびっしりと刻まれた老いと衰えの痕に、失礼ながら僕は生理的な不気味さを覚えた。シミの多い顔で一見ではわからなかったが、よく見るとどこかスレートと似た雰囲気を感じる。
気づけばそのスレートが部屋にすっ飛んで来て後ろに立っていた。血相を変えていたが、床の人の無事を確認して表情が緩んだ。
「ここはいいから、さあ、夕飯ができているよ」
急にそそくさと僕らを部屋から追い出そうとする。
「あ、すみません。勝手に入ってしまって。その…お父さん…と、二人で暮らしていらっしゃるんですか?」
「……………いや、息子だよ。ファーホルンにかかってしまってね」
「…!?」
何を言っているんだ?
「…その様子だと、まさか知らないのかい? ……お互いに話すことがたくさんありそうだ」
スレートは変わらず穏やかな顔をしていたが、心なしかやつれた感じが増したような気がした。
◇◇◇◇
食卓に移って魚の蒸し焼きとスープをご馳走になりながら、まず僕らがここに来るまでの経緯を包み隠さず話して伝えた。自分でも突飛な話だとは思うのだが、スレートは時折驚きの表情を浮かべながらも静かに最後まで聴いてくれた。
「そうだったのかい。ここまで大変だったろう。君たちの話にはいくつか興味深い点があった。えーと、まず、ロンディア? という君たちの島についてだが…私はそんな島を聞いたことはない」
…これは予想していた。ロンディアに外の世界から人が来た話を聞かないこと、《偽りの水平線》の存在を考えると、まあそうなるだろう。それに、仮に知られていたとしても呼称が異なるかもしれない。
「だがきっと、争いやファーホルンに怯えることもない平和でいいところなのだろうね」
「なあ、スレートさん。ファーホルンってのは一体なんなんだ?」
カルソーが訊ねた。それは僕も気になっていたことだ。
「君たちの言う"終わり"と関係があるかはわからないが、ファーホルンは恐ろしい病気の名前だ。どんなものか知ってもらうには…そうだな、私たちがここで暮らすまでの経緯と併せて説明するのがいいかな」
目を閉じ深く息を吸うと、スレートは語りだした。
「私にはマドラビという妻がいた。ここに来る前は息子のビーゼと三人でガランダルという都市で貴族として暮らしていたんだ。貴族と言っても大した権力は持っていないんだけどね。
ガランダルは設備も整っていて活気のあるいい街だったよ。それも全て歴代最高の市長、トルウェの働きのおかげだ。彼とは旧知の仲でね、家族ぐるみでいろいろ付き合いもあってよくしてもらっていた。彼は思慮に富んだ男で、貴族ながらも平民の声にしっかり耳を傾けて向き合ってきた。おかげで市民からの支持も厚い。もちろん一部の頭の固い貴族からは疎まれるようなこともあったが、上手く取り持っていたんだ。
そこへファーホルンがやってきた。これは異常なスピードで老化が進んでやがて死に至るという恐ろしい病だ。厄介なことに感染症であるらしいうえに、治療法も見つかっていない。
感染者が見つかってからのトルウェの対応は見事なものだった。すぐに隔離用の施設を整備して街への出入りも必要な分を残して制限をかけた。対策に関する情報も建前を省いて速やかに公開し、市民には不安になりすぎないよう絶えず呼び掛けていた。素人目だけど、市長の働きとしては満点だったと思うよ。だがそれでも、治療法がないという点はどうすることもできなかった。
感染者の数はじわじわと増えていき、隔離病棟の負担も増していった。
病棟の職員や感染者の家族に端を発した不安や不満はやがて街全体に広がり、市長の声は届かなくなっていった。感染者や老人に差別的な感情を向ける者も現れはじめた。一部の貴族の間では発症者を即安楽死させてしまおうという案まで出ていたそうだ。
『いかなる状況の下でも、我々がこれまで数々の過ちを経て築き上げてきた人権が蔑ろにされるようなことがあってはならない』と、トルウェは嘆いていたよ。まったくその通りだと思う。
そんな中、ついに私の妻もファーホルンを発症してしまった。トルウェからは街から逃げて人里から離れて暮らすよう勧められた。『市民を、大切な友人の家族を、守ってやれなれそうにない。すまない』と言われた。
私は悔しかったよ。自分はあまりにも無力だった。その提案を受け入れるしかなかった。せめて、せめて家族だけは守り抜こう。最後まで一緒にいようという思いで、私達はガランダルを後にし、二週間ほどかけてこの別荘に辿り着いたんだ。それがだいたい二年前のことだ」
スレートが次第に泣きそうになりながら話すのを聞いていられなくなったが、口を挟むこともできない。
「マドラビは一年ほどで息を引き取った。それまでのうのうと暮らしていた私が、何もない環境の中で必死にあれこれしたところでたいした世話もしてやれなかったと思うが…妻は最後に、幸せだと言ってくれたよ。
見晴らしのいい岬に墓を作ってやった。今でもよく花を摘んで持っていってやるんだ。今日君たちを見かけたのもちょうどその帰りさ。
それから入れ替わりのようにビーゼが発症した。目に見えるスピードで老いていく息子の姿を見るのはとてもつらかったが、今は老化が落ち着いている。
…まだ十四なんだ。あとどれだけ一緒にいられるのか、私にはわからない。ここに来たのは正しかったのかと何度もそう思ってしまう。でも、もうずっとここで暮らしていくしかないんだ。息子をおいてどこへも行くつもりはない」
………
「…すまないね。そういうわけで、君たちをずっと泊めておく余裕はないんだ。申し訳ないが、明日には出ていってもらえると助かる」
「わかりました。いえ、十分ありがたいです」
「次の目的地だが、決めていないのならガランダルへ行ってみてはどうだろう。君たちの足ならそんなにはかからないはずだ。情報も集めやすいだろう。あそこの図書館なら調べものにもってこいだ」
たしかに今の僕たちには手がかりも何もない。まずはこの世界のことを知ることが先決すべき問題だ。
「そうすることにします」
「そうだ、あとはそちらのエリダ君についてだが……まだ人形だというのは信じられないけど…」
「僕も傷の下を見ていなかったら今でも信じてないと思います」
「それを聞いて思い出したことがあるんだ。トルウェにはミヒェルカという娘がいたんだがね。ミヒェルカ君も父親の才能を受け継いだのか聡明な子だった。人々の関心についてとても敏感で、いろいろな噂話をどこからか集めてきてはうちの息子によく話して聞かせていたんだ。その中に機械人形の都市伝説のようなものがあった気がする。たしか内容は、『人にそっくりな人形が、いつの間にか誰かと入れ替わっているかもしれないぞ、気をつけろ!』といった感じだったような…」
…! ちょうどエリダに当てはまるような話だ。エリダの他にも機械人形は存在するのだろうか。調べていく必要がありそうだ。
「そうか…ミヒェルカ君ももう二十歳になるか…こうなっていなければ息子も今頃……おっと、すまない。」
「少なくとも、この噂を信じている者にとってはエリダ君は怖がられるかもしれない。むやみに人形であると明かさない方が賢明だろう」
「ありがとうございます。注意して調べます」
「久しぶりに人と話せて嬉しかったよ。今晩はゆっくり休んでいきなさい」
部屋に戻って僕は気づいた。
そうか、ここは妻の部屋だったのだ。そして今でもきれいに整えてあるのは…
◇◇◇◇
翌朝、出発の前に僕たちはスレートと一緒に岬のお墓へ花を供えに行った。そのまま別れの挨拶を交わした。
「ほんとうにお世話になりました」
「スレートさん、ありがとう。親切にしてくれた恩は忘れません!」
「……ごはん、美味しかった。ごちそうさま」
「こちらこそありがとう。ガランダルについたら、トルウェに私達のことを伝えてほしい。きっと街に入る助けにもなるはずだ。………あと、君達がファーホルンについてこれから調べていくのなら……もし治療法について何かわかったら………賢者の石でも魔法でも何でもいい…………息子を………」
…それは重い頼みだ。言いかけてスレートも口をつぐんだ。
「いや、すまない。これは忘れて……」
「わかりましたよ、スレートさん。俺らに任せてください!」
遮るようにしてカルソーはかっこよく引き受けた。スレートの顔に光が差した。
「ほんとうかい!? …ありがとう。そう言ってくれるだけで私は、私は…」
スレートと別れ、僕たちは森へ入っていった。
※このお話のプロットは2019年8月〜11月頃には書かれていたものです。あんまり意識していません。