異世界からの来訪者-3-
「クラウス、そんな大きな声を出しては雨宮殿が怯えてしまうだろう」
「っ、すまない」
いつだって私に対しては穏やかだったクラウスさんの荒げた声にびっくりした。マクスベルさんに窘められてクラウスさんはその逞しい肩を小さくして私に謝る。
彼が謝ることは何もない。
きっとそれほど嫌だったんだろう。私との関係を邪推されることが。クラウスさんは優しい人だから、そんなことは言わないだろうけれど。私がもしここでクラウスさんのことを特別に思っていると告げてしまえば、きっとこの国に私を留め置きたいと思っている宰相殿は、クラウスさんを利用したりするのかもしれない。私としてはそれは願ったり叶ったりなのかもしれないけれど、当の本人にこうまで拒絶されては、流石に無理なのかもしれないと、諦めたような気持ちになった。
そばにいたいという、私のわがままに、ここまで付き合わせてしまっただけでも、申し訳ないのに。これ以上、彼の人生を無茶苦茶にする願いを口にすることは出来なかった。
(救いの神として、だけではなく、私はもう彼のことを…)
私の身はこの国で保護してもらえるみたいなのだから、もう怯えて神様にすがる時期には、終わりを告げなければならないのかもしれない。
「気にしてません」
それでも、まだ、本当は怖い。
この世界のことなんて何もわからない。私には誰も信じられる人がいない。もし、また、私の意思を無視して捕まえられたり、害そうとされたら、と嫌な想像が噴き出してくる。
だから、どうか、この手が彼によって振り払われるまでは…。
この異世界で私が救いを求めるのは彼しかいなくて。私はすがるようにクラウスさんを見つめた。ただ、その瞳の奥の感情を見る勇気はなくて、彼の純白の騎士服につけられた勲章を。
「クラウス」
「…わかってる」
「え」
「紫乃…。声を荒げたりしてすまなかった。どうか許してくれないか」
「いいえ。クラウスさんは、悪くない。私が、悪いの」
クラウスさんは、私の前に膝まずいて、私の視線を下から奪った。申し訳ない、と刻まれているようなその麗しい顔。そんな顔をさせているのが申し訳なくて、私はますます悲しくなる。私は私の救いの神にこんな顔をさせたい訳じゃない。けれど、どうしようもない…。クラウスさんのその表情を見ていられなくて、私は視線をそらした。
「本当に気にしてないの。だから、膝まずいたりしないで」
「……わかった」
私の横にクラウスさんが座ったのがわかった、けれど、彼の表情を見ることは出来なかった。
「雨宮殿、申し訳ない。あなた方に悪いことをしてしまったようだ」
「そんなことはありません」
「そう、でしょうか…」
苦い笑みを浮かべてマクスベルさんは謝ってくれたけれど、仕方のないことだ。他人の感情なんて誰にもわかるはずがないのだから。
「雨宮殿が嫌でなければ、今日はこの王宮に泊まっていただけませんか?明日、我が国の王とお会い頂きたいのです」
「わかりました」
ぼんやりと私はうなずいた。
悲しいような苦しいような胸のうち。その理由がわかってしまって、けれど、その思いが彼にとって迷惑なことを痛感してしまって。
奴隷でも、いい。
その思いに嘘はなかったはずなのに。彼のそばにいられるならば、それだけで救われる気がしたのに。
それだけじゃ、安心できない。
彼に私を受け入れて欲しいだなんて…。
痛みを訴える心を私はどうにもできなかった。
その後、私はクラウスさんと宰相殿と別れ、王宮内のひたすらに広くて豪華な部屋に通され、メイドさんにお世話を焼かれ、美味しい食事を食べて、天蓋つきのフカフカのベッドに横になる。馬車での慣れない旅による疲れもあり、私は余計なことを考える暇もなく眠っていた。
翌朝、とは言いにくい、恐らく昼前くらい。メイドさんが扉の外から私の名を呼んでいるのに気付いて、ようやく目が覚めた。
「雨宮様、お休みの最中にまことに申し訳ございません」
そう謝ってくれたメイドさんたちによって、私はなんだか恐ろしくヒラヒラとしたドレスに着替えさせられた。王様に会うのに流石に普段着ではいけないだろうとは思うが、これは、キツい。馬子にも衣装、にすらなれない姿に、鏡の前で悲しくなりながらも、次々にお世辞を言ってくれるメイドさん達を変な空気にさせるわけにもいかず、曖昧に笑い返すしかなかった。
昼食をとって、一時間ほどのんびりと過ごしたら、どうやら王様に会えるらしい。
ずっと気になっていたことを尋ねるため、メイドさんの一人に声をかける。
「今日は、クラウスさんは来るか知ってる?」
「ユーネル公爵様のことでしょうか?はい、来られると伺っております」
何故か微妙に渋い顔をしたメイドさんを不思議に思いながら、私はほっと安堵する。良かった。クラウスさんがいないのなら、王様に会うのは延期してもらおうと思っていたから。
私は、覚悟を決めた。