この場所へ誰に呼ばれたのか -2-
「雨宮様、宜しければ、なぜ貴方様が異世界へと来ることになったのか、お話させて頂きましょうか?」
温度の感じられない声音で、ステファンは混乱する私に問いかけた。それは、私が今望んでいるもので、私は頷きを返す。
「かしこまりました。…遥か昔、この世界には異世界からの来訪者が時折訪れ、幸運をもたらすことがあったと歴史書には記されています。しかし、600年程前から異世界からの来訪者がこの世界を訪れることはほとんどなくなりました。理由はわかりませんが、以前は時折だったものが、その頃から奇跡的な確率となったのです。そして、400年前、当時天才と謳われた魔法師が異世界からの来訪者を呼ぶ術を生み出したのです」
それはつまり、わたしはこの世界へ誰かの術のせいで連れて来られた可能性が高いということ?
「その術には強大な魔法の力と大掛かりな準備が必要なのですが、必ずしも成功するわけではありません。そして、呼び出した異世界からの来訪者が世界中のどこに訪れるかもわからないのです」
「…ということは、もしかして、来訪者から得られる利益のために多くの人物がその術を使っているということですか?そして、私がここに誰に呼ばれてきたのかもわからないから、他国から狙われる可能性があると?」
「否定はできません。しかし、この術は既に世界中で禁忌とされています。まともな国は、その術を使用することを公に認めません。…実際には、この術は平均的な魔法師数十人分の魔力と、個人で収集することは不可能に近い素材が必要となるため、切羽詰まった権力者、もしくは暇と権力を持て余した権力者しかこの術を用いることは無いのですが。来訪者の身の安全は、どこの国にいようと守られるのは確かです。貴方様が幸せであればあるほど周囲は幸運を得、貴方様が傷付けばその分周囲は不幸になるのですから」
「誰かに連れ去られる可能性はあるけど、その場所では傷付けられることは無いってこと?」
「むしろ、貴方様を囲い込もうとするかのように、優しく丁重に扱うでしょう。しかし、貴方様が言う通りにならなければ、貴方様の記憶を改竄したり、魅了の魔法をかけて、貴方様を国に縛りつけようとするでしょうが…」
「え…?」
「異世界からの来訪者を害することは許されません。けれど、禁忌の術を使って貴方様を呼び出したような者が、果たして貴方の意思まで尊重するでしょうか?」
「ステファン・ドロージー副師団長!黙って聞いていれば、貴方は、紫乃の不安を過剰に煽っています!」
まるで、ステファンの独壇場のようだったその場が、ルベラの破裂音に近いような声で崩れ去る。
怒りに染まった彼女の美しい顔に、私はぼんやりとしていた脳が動き出すのを感じていた。
「つまりそれは、この国にも言えることですか?」
「…いいえ、それは考えにくいでしょう。このマルフェス王国の現国王陛下は、昨日貴方様がお会いした通りの、とても大らかでお優しい人柄の方ですから」
「この世界の人の言葉なんて信じられませんね」
私のその言葉に、ぎくりと、メイドさん達とルベラの体が固まった。その表情には、悲しみに似た感情が浮かんでいる。ステファンからは何の動揺も感じられなかった。
「えぇ、でも、構いません。私はこの国に居ることを決めていますから」
だって、この国には、クラウスさんがいる。例え、彼が望んでくれなくてもそばにいたい。
「その私の気持ちを尊重して、他国から守ろうとしてくれているということがわかりました。ステファンが私の護衛に着くことを認めます」
「感謝致します。貴方様の望まぬもの全てから、私の全力を以ってお守りすることを誓います」
ステファンはソファに身を沈めた私の前に跪いた。
「ステファン、貴方のこと頼りにしてる。だから、私に、私の意思を変えようとする魔法を防ぐ魔法をかけて」
「宜しいのですか…」
先程この世界の人間は信じられないと言った口で、何を言うのかと思っているのだろう。その声にほんのわずかに苛立ちが混じっていた。
たしかに、どんな魔法をかけられるかわかったものじゃない。この国から出て行かないように、魔法で洗脳されてしまうかもしれない。
でも、別にそれはさほど問題では無い気がしている。
クラウスさんは、自らの母国を裏切るような人ではなさそうだ。
「そんな魔法が有れば、お願い」
「…かしこまりました」
慇懃無礼さを取り戻して、ステファンが立ち上がる。そして、私以外の全員にこの部屋から出ていくよう指示をした。
「はぁ?!そんなこと従えません!貴殿が、紫乃に何をするわからない以上、私はここを離れるつもりはありません」
「私達もです。雨宮様を、殿方と2人きりにするわけには参りません」
ルベラとアイリスさん達の剣幕に辟易したように、ステファンのフードから覗く口元が僅かに歪んだ。
「それは必要なことなの?」
「…はい」
立ち上がったステファンを見上げる。とはいえ、フードに隠れて鼻先までしか見えないのだが。
「ルベラ、アイリスさん、カレンさん、ステアさん、ほんの少しこの部屋から出てちょうだい」
「紫乃!?」
「雨宮様!」
「だって、仕方ないじゃ無い。私、どこの国にも行きたくないもの」
私のその言葉に、ルベラが目を見開く。そして、4人は不承不承といった様子ながら部屋を出て行ってくれた。誰も中を覗かないことを約束に、扉は大きく開け放たれたままだ。
「雨宮様、この魔法の効果を最大限に発揮する為には、私の目を見て頂く必要があります。不快な思いをさせてしまうかもしれませんが、どうかご容赦を」
ステファンはそう言って、被っていたフードを取り払った。目の前に現れたのは、眩い銀色の輝きとそれはそれは美しい顔だった。
切長の鋭い目元、冷たい印象を与える怜悧な眉、細く高い鼻、薄くも形の良い唇。キラキラと輝くような銀髪と、銀色に薄い藍色を混ぜたような瞳。
心臓が大きく跳ねて、私は思わず胸を押さえた。それくらい、美しく色気のある青年が現れたのだ。
「…今から貴方様に行う魔法は、貴方様の意思が何者にも歪められないよう守護するものです。貴方様の深層意識までそれを刻む為、魔法をかけている間は決して私の目から目を逸らしませんよう。ご協力をお願い致します」
冷たい声音はそのままに、彼の手が伸びてくる。
え、と思っている間に、頬をステファンの冷たい両手で挟まれた。
「魔法をかけている際に目を逸らされますと、大変危険なのです」
つまりこの手は私が顔を逸らさないようにするために抑えているということだろうか。
流石に不躾すぎると思うが、それだけ危険なのかもしれない。
「もし、私の目を見続けることが不可能なのでしたら、また後日。…もしくは、私の魔法より質は落ちますが信頼できる魔法師に替わりを依頼して頂ければ」
「結構よ。ステファンだから、私は魔法をかけられることを受け入れているの」
声に出してはいないが、ステファンの表情がハァ?と怪訝そうなものに変わる。フードで隠れていた時は見えなかったが、表情を隠すのはあまり上手ではないらしい。
「ふっ。ふふ。そんな顔、するのね。あなた。ふふふ」
思わず笑ってしまう。すると、ステファンはぽかんとした顔をして、次に綺麗な眉がグッと寄って不機嫌そうになって、そして慌てて表情を消した。
「申し訳、ございません」
慇懃無礼な声だけは変わらないのに、どう考えても動揺しているらしいのがよくわかる。
「貴方は、この世界で初めて、私が、この世界にどうして来なければならなかったのかを教えてくれようとした。そして、私が置かれている状況の理不尽さと危うさを教えてくれた。私は、ここにいたいから大丈夫だけど、そうじゃないなら貴方の忠告はとても役に立ったよ」
ステファン自身がどう思っていたのかは知らないけれど、それでも、ステファンの言葉は他国はもちろんのこと、この国の全ての人間すらも安易に信じるなと警告してくれていたのだろう。それが優しさではなくとも、私にとって有益な情報であったことはたしかだ、と思う。
「…私が、この国を裏切る他国の刺客であるとは考えないのですか」
「あら、それこそ、どうしていまこの状況で私に告げたのかしら?私がその可能性に気づいていなかったかもしれないのに。じゃあ、やめにしましょうと、私が言うことを貴方が考えないわけがないと思うのだけれど」
「貴方がそう信じることこそが私の望んだものだったとしたら…?」
「それこそもう私にはわからないよね」
「…私が他国のものであるという可能性を考慮していながらも、私と二人きりになり私に魔法をかけられることを望んだのですか?」
挑発的な視線に慇懃無礼な声、私はその冴えた美貌に気圧されながらも、なんだか決して視線を下げたくはなかった。
「2人きりになる必要が、あるんでしょう?」
「必要、はありません」
「…嘘をついたの?」
「えぇ」
「っ…ふぅ。必要はなくても、きっとそうした方が良かった、のかしら?」
一瞬、怒りに囚われそうになり、なんとか冷静さを保とうと息を吐く。
「貴方様は随分私に好意的なのですね」
「あなたは随分私に嫌われたいみたい」
「そうでは、ありませんよ。では、今から貴方様の心をお守りする魔法をお掛け致します。決して、私の目から視線を外されませんよう」
わたしの頬を挟んでいた手が離れていく。私は、ステファンの視線を真正面から見返した。
その銀色に混じる藍色が徐々に濃くなってゆく。心の裏の裏まで見透かされそうな、怖いほどに嫌な感覚。それでも、私は震えそうになる指先を握り締めながら、ステファンの瞳から目を逸らさなかった。
いつの間にか、ステファンの両の瞳は濃く深い藍色に染まり、紋章のようなものがその目に浮かんで淡く銀色に輝いていた。




