救いの神と弱き心
紫乃の陛下との謁見が終わり、俺はマクスベルに捕まりほとんど無理やり私室について来させられていた。
「ふっ、ふはっ、クラウス、お前、いくら雨宮殿が困ってたからって、なんであんなことを言ったんだい?」
「…笑うな」
「いやだって、お前もう雨宮殿とは関わりになるつもりはない、とか言ってたのに、なんでお前の補佐官に推薦して、くくく」
憮然とした顔を見せる俺とは対照的に、マクスベルは笑いを堪えるつもりもない。ニヤニヤと笑いながら俺の返答を待っている。
「紫乃の願いは叶えられて然るべきだ。出過ぎた真似をしたとは思っているが…」
「本当にお前ってやつは…」
やれやれと肩を竦めたマクスベルは、口元に浮かべていた笑みを消して俺を見上げた。
「別に、お前がそこまで背負うことじゃないだろう。異世界からの来訪者を望んだのが、この国の者なのか、そうでないのかも分からないのだから」
「そうだとしても、紫乃は、俺に救いを求めてくれた。紫乃が願ったことは叶えてやりたい」
「ふぅん」
「異世界に無理やり連れてこられ、まともな選択肢も知識も与えられず、その場での判断を求められている。支えてやれる人間が必要だろう。…俺の感情など二の次だ」
「まぁ、私はいいと思うよ。そろそろお前は幸せになるべきだ」
「っ!お前まで、紫乃をそのように扱うのか?紫乃はこの国の幸運を生むためにいるわけじゃない」
「落ち着け。なにも、雨宮殿が異世界からの来訪者だからお前が幸せになれると言っているんじゃ無い。雨宮殿が雨宮殿だからこそ、お前のそばにいたいと望んでくれたのだろう」
マクスベルの言葉に気恥ずかしさでいっぱいになった。俺が紫乃とどうこうだなんて馬鹿げているにも程がある。そんなもの紫乃への侮辱だ。こんな的外れなことを言われては紫乃は困惑するしかないだろう。昨日だって彼女は優しいから否定しなかっただけ。
俺のこの醜い顔を、この左右で異なる異形の瞳を、直視できる人間が一体どれほどこの国にいるのか。父母兄弟以外では、我が父の兄たる国王陛下と、歳の離れた幼馴染のマクスベル、我が屋敷の管理を任せる使用人と、俺が団長を務める騎士団の第三部隊でも数名程。
…確かに、初対面では決して交わることのない視線が、紫乃とは外れることがなかった。誰もが触れることを躊躇う俺の手を、紫乃は何の躊躇いもなく触れた。
けれどそれが何だというのだ。俺と紫乃では不釣り合いすぎる。嫌われてはいないだろうが、俺との仲を邪推などされては紫乃にとって迷惑でしかない筈だ。
両親の身分が高く、武勇で並ぶもののない才覚があったからこそ、俺は今この場に立てているだけだ。何も持たなければ俺は幽閉されるか殺されていただろう。
「紫乃にとってこの世界で初めて俺が味方となったから、きっとそれだけだ」
「お前は本当にもっと己を評価すべきだよ。この国で最も強く誇り高い、陛下の信も厚い騎士なのだから」
「陛下の騎士として誇りはある。当然だ」
マクスベルは困ったように笑った。
「お前が自信を持てないのは仕方ないのかもしれなけれど、そのせいで雨宮殿を傷つけるようなことはしてはいけないよ」
昨日の、この部屋でのやりとりのことを言われてるのだと分かった。あの時の、紫乃の悲しそうな表情を思い出す。それ以前にも何度か寂しそうな表情をさせてしまったことを思い出し、俺は申し訳ない気持ちになる。けれど、どうしたら良かったのか。初めに助けたのが俺だったというだけで、彼女はこれから俺なんかとは比べ物にならない男達から求婚されるだろう。異世界からの来訪者という立場に加え、紫乃の容姿は人目を惹きつけてやまない。俺の存在は今後紫乃にとって害悪にしかならない。
「反省してるようだからこれ以上は言わないけどね。それはそれとして、お前は昨日まで自分がこれ以上雨宮殿に関わるのは良くないと思っていたようだけれど、職場を共にするからにはこれからは嫌でも関わることになるのだから、くれぐれも言動には注意するように。君も雨宮殿もこの国にとってかけがえのない存在だからね」
「わかっている。紫乃のことは俺が命に替えても守る」
「こらこらお前が死んだらダメだろう。そうじゃなくて、雨宮殿が望んだ居場所から引き離されるなんてことあってはならないだろう。だから、他の厄介な貴族連中につけ込まれるようなことがないようにな」
「わかっている。ありがとう」
「なにを言っているんだ。お前と私の仲じゃないか」
マクスベルの穏やかな笑みに俺も表情を緩めた。腐れ縁としての付き合いも長い。この男の言葉が嘘じゃないことくらいはわかる。
「そうそう、雨宮殿の気持ちは置いておいて、クラウスお前は雨宮殿のことをどう思っているんだ?」
「は?」
じわじわと顔が熱くなるのを感じる。マクスベルはまだ俺をからかい足りなかったらしい。
「だから、お前は、雨宮殿のことが好きなのか?」
「そんなわけないだろう」
おや?とマクスベルの眉が上がる。口元にまたニヤニヤとした笑顔が浮かんだ。
「それはそれは。では君は何故そんなにも顔を真っ赤にしているのかな?」
「…気のせいだろう」
アハハと今度は声を上げて笑うマクスベルに俺の顔はさらに熱を持つ。俺なんかが想って良い相手じゃないことくらい理解しているというのに。
「雨宮殿は可愛いものなぁ。それに、芯の強そうなところもお前好みだものな」
「マクスベル」
「おお怖い。そんな声を出さないでくれ。事実を言ったまでだろう」
「もし、紫乃にそのようなことを言ったら、お前のそのよく回る舌を切り落としてやる」
低い声で脅しをかけても、マクスベルは楽しそうに笑って俺の肩を叩いて軽口を続ける。
「あぁ、誓って、お前と雨宮殿の仲を邪魔するようなことはしないよ」
「だから」
「私は嬉しいんだよ。お前がそうやって赤面するような女性が居てくれてね」
その細められた瞳の奥に穏やかな親愛の情が見て取れる。俺にはもうそれ以上何も言えなくなった。