双つの月が見下ろす世界で神様に出会った -1-
空にはぽっかり浮かんだ双つの月。片方は赤くもう片方は青く。全くおんなじ形をして行儀よく並んで輝いている。
夜、明かりと言えばその月のさやかな輝きくらいで、私はその光の下、狭い路地を走り抜けていた。手足を必死に動かしたところで、体育の成績は万年クラス最下位だった私のスピードはとても遅いのだけれど。帰宅部で運動もせずにいた自分を悔やむ暇もなく、私はただひたすらに逃げ惑う。
早く、早くしないと、××××××しまうから…。
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私は恐らく奴隷商人に捕まってしまった。異世界のスラム街に何故か突然転移してしまった私は、この世界に来てかなり困ったことになっていた。首にガッチリとはめられた鉄の首輪。どこかに繋がれているわけではないけれど、逃げようにも、どこに逃げれば良いのかもわからない。居場所などあるはずもない。絶望しかなかった。
だから私は逆に開き直ってしまっていた。
何が起こっても、今より悪いことになんてなりようがない。そんなあまっちょろい考えのもと、私は置かれていた場所から逃げ出すことを決めた。牢屋のような部屋の外に出るのは簡単だった。縛られてもいなければ見張りもいない。
そう思ったのもつかの間、私は運の悪いことに奴隷商人の男とその客が話している場所に居合わせる。影にかくれ身を潜めてやり過ごすつもりだったが、そう簡単にことが運ぶわけもなかった。
「旦那様はどのような奴隷をご所望で?」
下衆な台詞を放った奴隷商人の男。不遜な態度でそれを受けたのは鮮烈な美貌の男だった。
「それを考えるのが貴様の仕事ではないのか」
左右で色彩の異なる珍しい瞳の色。鮮やかな蒼と紅の瞳に、淡い金色のさらさらの髪。冷徹な視線にすら色気がふんだんにまとわりつく。自らの状況も忘れて思わず見とれてしまいそうになった。
「そ、そうでございますね。つい先日上物の若い女の奴隷を仕入れたところなのですよ。旦那様のお眼鏡にも叶うかと。ぜひ一度お目にかけたい」
「ふん。貴様、私を侮っているのか。私が奴隷を性処理に使うとでも?不愉快だ」
「とんでもない!申し訳ございません!純粋な労働力として、奴隷をお求めなのですね。であれば、若い男手も数多く販売しておりますよ」
そりゃあ、あんな美形、いくらでも相手をしてくれる女性はいるだろう。
私の願いとは裏腹に彼らはなかなかその場を離れようとしなかった。バタバタと走り寄ってくる人の気配に、私を探してきたのかと焦る。
「ナンバム様。例の女奴隷が逃げ出しました」
「構わん。どうせこの屋敷からは逃げられん。見つけ出して今度は拘束しておけ」
「はっ」
この屋敷からは逃げられない?どういうことだろう。出入り口に鍵が掛かってるのだろうか。それなら窓とかからの方が逃げやすいかもしれない。
「貴様、奴隷を拘束をすることは禁じられているはずだが?この屋敷に奴隷が逃げ出せないよう何か特別な仕掛けでもしているのか?」
「あ?いえ、言葉のあやですよ。そんなことするつもりもございませんです。はい」
媚びたように笑いながら、なんとも胡散臭い台詞を吐く。客である彼に対してまでどこか人を馬鹿にしたような態度をとるあたり、商人としての底も知れているだろう。
その時だった。周囲を見渡していた商人の部下と思われる男が私のいる物陰に近付いてきているのに気付く。後ろは行き止まりだ。逃げ場はない。覚悟は決まってる。まだ私に気付いていない男を思い切り突き飛ばして、私は奴隷商人と客の前に飛び出した。
「わぷっ!」
その瞬間、固いけれど弾力のある何かにぶつかった。そして私は反動で後ろに倒れ尻餅をついた。
「なっ!お前、奴隷の分際で旦那様に何を!」
彼らの前を走り抜けるつもりが、あの客にぶつかったのか。あぁ、もう終わりだ…。勢いのまま逃げるなんて流石に無理があったか。怒りに満ちた顔の奴隷商人と私に突き飛ばされた男が近寄ってくる。
「大丈夫か?」
男達との間に割って入るかのように、掛けられた声があんまり優しくて私は驚く。先程まで商人と話していた時の冷徹さは微塵もなく、同情に満ちた柔らかな声音だった。美貌の客は尻餅をついた私の前に片膝をついて、その大きく骨ばった綺麗な手を私の前に差し出した。
「え?」
驚きに目を見開けば、客は沈痛な面持ちで手を引く。あれ?助け起こしてくれるんじゃないの?
「私に触れられたくはないだろうな。すまない」
そう言って立ち上がりかけた彼の手を私は掴んだ。そうするべきだと感じたから。
「助けてくれるんじゃないの?」
彼は酷く驚いたような顔をして私を見た。そしてそっとまるで壊れ物を扱うように私を優しく立ち上がらせてくれた。
「ありがとう」
私はにっこり笑って美貌の男の手を放した。その後、私は、私が突き飛ばした男に乱暴にもといた部屋に連れ戻された。