桜の森の妖たち
森へ入りしばらく歩いていると、周りから声が聞こえてきた。
「人間だ、人間がきたぞ」
「こんな夜に何をしに来たんだ」
「あれは神社の娘だ」
「まさか、俺たちが見えるのか」
森のいたるところから声がする。
これが妖たちの声なのだろうか。
しかし美都は妖たちの声には耳を傾けず、桜の森へ向かっていた。
しばらく歩き、茂みの前を通り過ぎようとした時だった。
突然茂みから大きな手が伸び、すごい力で美都の手首を引っ張った。
冷たくゴツゴツした手。
美都は地面につけられ、その場に倒れこんだ。
体を地面に叩きつけられ、痛みのあまり動くことができない。
そんな美都を冷たくゴツゴツした手は地面に押さえつけた。
目の前には大きな口とくり抜かれたような真っ黒な目を持つ妖が。
「うまそうな娘だ」
その大きな口が不気味に笑ったかと思うと、人をまるまる飲み込めるほど大きく開いた。
美都は何度も逃げなければ、と体に言い聞かせた。
しかし恐ろしくて身動きもとれず、声も出ない。
真っ黒な闇が目の前に広がり、美都を飲み込もうとした瞬間、大口の妖は突然吹いた強い風に勢いよく吹き飛ばされた。
しかしそれは普通の風ではなかった。
「ぐっ」
吹き飛ばされた妖は苦しそうな声を出し血を地面に落としながらゆらりと立ち上がった。
美都の側には誰かが立っている。
「くっ、お前は......」
「こいつには手を出すな」
聞き覚えのある男の声だった。
「くそっ、次こそはその女絶対食ってやる。覚悟しておけ......」
大口の妖は低く響く不気味な声でそう言うと、森の奥へと消えていった。
「どうしてまた来たんだ、危険だと言ったはずだが」
大口の妖が見えなくなると美都の側に立っている男が、低く怖い声で言った。
恐る恐る見上げると金色の瞳で美都を睨んでいるあの少年の姿が。
「ご、ごめんなさい......」
その瞳が恐ろしく、うつむく美都。
そんな美都の姿を見た少年は
「もういい。ここにいたら他の妖に襲われかれない。俺が神社まで......」
と言って歩き出そうと一歩を踏み出した。
すると美都は少年の着物の袖をギュッと掴み
「戻りたくない」
と苦しそうに、そして寂しそうに言った。
「......」
少年は何も言わずに立っている。
「お願い......」
美都は少年の着物の袖をさらに強く握りしめ、少年をまっすぐに見つめた。
すると少年は美都のまっすぐな瞳から目をそらし
「ついて来い」
そう静かに言って歩き出した。
美都は少年の言葉に少し驚いた。
そう驚いて美都が座り込んでいると
「早くしろ、また襲われたいのか」
と少年は少し苛ついているように言った。
その言葉に美都は我に帰り、少年へと駆け寄った。
しばらくの間、なんの会話も無く二人は歩いていた。
少年は不安そうに歩く美都の歩く速度に合わせているように思えた。
すると突然周りの風景が変わった。
周りには満開の桜が咲いていたのだ。
「どこ......」
美都が不思議そうに周りを見渡していると
「お前たちが「桜の森」と呼んでいる場所だ」
と少年は静かに言った。
「でもあの森には何も......」
と言いながら少年の声がした方を見ると、そこには大きな桜の木が。
少年はいつのまにか木の枝の上に座っていた。
出会った時と同じように。
「でも、桜なんて咲いてなかった。花も葉も何も無い場所だったのに......」
「この桜は妖が見える者にしかみえない。それにこの桜は夜にしか咲かない」
「だから桜の森......まって。じゃあ誰がこの森に「桜の森」って名前をつけたの?その人はこの桜が見えていたって言うの?」
「さあな」
美都の質問に少年は答えなかった。
でも美都にはわかった。
少年がその人物を知っているということに。
「ねえ、あなたも妖なの?」
美都の言葉に少年は複雑そうな表情をしたがすぐに
「ああ」
と言って美都とは反対の方を向いた。
「やっぱり......」
「俺が恐ろしいか?」
少年は美都になぜか少し寂しそうに言った。
そんな言葉を聞いた美都は慣れた手つきで木に登り
「いいえ」
と言って少年の隣に座った。
「そうか」
その時の少年の顔は安心したというように見えた。
「ねえ、どうして私の名前を知っていたの?」
美都はあの時、なぜ自分の名前を呼んだのかを知りたいと思っていた。
けれどそんな美都の言葉には少年は何も答えず、美都から視線を外し、体の向きを変えた。
美都も少年と同じ方を見る。
「じゃあ、あなたの名前を教えて」
と美都は少年の顔を覗き込みそう言った。
そんな美都の言葉の後、少しの間少年は黙っていたが
「律......」
と小さな声で答えた。
「律......」
「ああ」
「素敵な名前」
美都の言葉に律は驚いたような顔をしたがすぐに顔を背けた。
そんな律を見て美都は微笑んだ。
そう二人の間に暖かい空気が流れ始めた時だった。
「律様ー!」
とどこからか元気な小さな子供のような声が聞こえてきた。
「律様」
「律〜」
声はどうやら後ろの方からしているようだ。
ゆっくりと振り返る。
するとそこには小さな毛玉と鬼の面をつけた男、着物を着た綺麗な女の人が立っていた。
そんな三人は私を見ると
「人間!?」
「なんで人間の娘がここに」
「律、まさかさらってきたんじゃ無いだろうね」
と妖たちは口々に言い始めた。
しかしそんな三人に律は
「この女が食べられそうになってたところを助けただけだ」
と鬱陶しそうに振り返ることなく言った。
「しかし、律が人間を助けるとは」
「律様、本当に大丈夫なの?」
「それより、さっきからあの娘、こちらを見ているような気がするのだが......」
「あんた、まさかあたしたちの姿が見えているのかい?」
恐る恐る美都に話しかける妖たちに
「ええ、まあ......」
と美都は小さな声でそう返した。
するとそんな美都の言葉に
「うそっ!?」
と毛玉が子供の姿へと変化して鬼面の後ろに急いで隠れた。
「あたしたちが見える人間に会ったのなんて何年ぶりかね〜」
「まあ、四百年ぶりくらいだろう」
と子供とは違い後の二人は嬉しそうに話している。
美都はそんな二人の会話に驚いた。
「え、待って!四百年前にも私と同じようにあなたたちのことが見える人がいたの?」
驚いている美都に女は
「そりゃあいたさ。名前は忘れたがそれも女だったよ」
と当たり前だというような態度で言った。
「じゃあ、その人が「桜の森」って名前をこの森につけたの?」
美都がさらに尋ねる。
「いや、それは違います。もっと前の方でしたよ」
と鬼面は言った。
「そんな......」
楽しそうに話す彼らとは裏腹に、美都は妖たちの話を受け入れることができなかった。
そしてそれと同時に、なぜ突然自分に妖が見えるようになったのか疑問に思えた。
美都はうつむいたまま考え込んでいた。
自分がこんな力を持っていていいのか、と。
すると突然
「そういやあんた、この前の「桜の舞」で失敗してた神社の巫女じゃないかい?」
そう言って女の妖は美都の顔を覗き込んだ。
「っ......」
あの時のことを思うと自分の不甲斐なさが思い出される。
美都は情けなさと恥ずかしさで胸が痛み、顔を背ける。
また、自分のことを否定されるのかと思うと怖くてたまらなかった。
なぜか体が震えている。
するとそんな美都の姿を見て
「すまない!馬鹿にしているわけじゃないんだよ」
と慌てて女の妖は言った。
「あんたの気持ちも考えないでひどいことを言っちまった。すまなかった」
「......」
「あんた名前は美都だったねえ。ここが気に入ったならいつでもくるといい」
と女の妖は暖かく柔らかい声で言った。
その言葉に安心したのか美都の体からは力が抜け、体の震えも止まった。
「ありがとう。あれ?どうしてあなたも私の名前を......」
少し落ち着いた美都は女の妖にたずねた。
すると女の妖は
「さあ、どうしてかねえ」
そう意地悪く言ってごまかした。
「すまないねえ、口止めされてるんだよ」
「口止め.......」
「あ、でもそのかわりにさ、あたしたちの名前を教えてやるよ」
と笑顔で女の妖は言った。
すると子供の姿だった妖が、もとの毛玉の姿に戻り
「僕は毛玉!見た目通りでしょ!」
と元気に飛び跳ねながら言った。
それに続いて鬼の面を付けた妖も
「私は鬼面。私もそのままですね」
と笑いながら言った。
「あたしは夜宵っていうんだよ」
最後に女の妖は美都の頭を撫でながら言った。
美都にはそんなみんなの姿がとても新鮮で眩しく見えた。
自分に優しく、自然に笑いかけてくれる人なんていなかったら。
気がつくといつのまにか美都も一緒に笑っていた。
こんなに自然に笑えたのは小さい頃以来だ。
それからしばらくの間、美都は妖たちと話をした。
律は会話に入らず、ずっと笛を吹いていた。
それでも美都はその時間がとても心地が良かった。