権兵衛の話
「お前、鬼がどうやって生まれるか知っているのか」
権兵衛が聞いてきた。母から聞いた覚えがある。
「人が道を外れたとき、鬼になるのだろう。人の道から、鬼の道に落っこちる。だから悪いことはするな、とよく言われたものだ。それがどうかしたのか」
権兵衛は一つ頷いて、話を続けた。
「そうだ。生き物には、お天道様が定めた道というものがある。普通に生きていれば、その道を外れるようなことはない。
だが、稀にいるのだ。心の何かが狂ってしまったものが。寝食すら忘れて何かに没頭するもの。怒りに我を忘れ、復讐に取り憑かれたもの。そういったもの達が、何かをとことん突き詰めたとき、人の道から外れ、鬼の道に落ちる。それが鬼だ」
そうなのか。詳しく聞いたことはなかった。とても悪いことをした奴が鬼になる、程度の考えであった。だがそれがなんだというのか。
「話を続けろ」
「うむ。その人の道だがな、童のころは広いのだ」
広い。広いとはどういうことか。
「童が何かに夢中になる、というのはごく普通のことだ。童というものは、分別がつかなくて当然。それゆえ、お天道様は童に寛容なのだ。仮に兄弟を殺めても、幼い童であればお天道様は咎めぬ。童が人の道から落ちるなど、そうそうない事なのだ」
なるほど、もっともである。しかし。
「そうだ。お前は童の鬼を探していると言った。童の鬼など、滅多に生まれぬ。そして、童が鬼になるような出来事があれば、それはよほど凄惨なものであろう。だれかの記憶、どこかの記録に残っているやもしれぬ。童が起こした大きな事件を調べれば、その鬼のことが分かるかもしれんな」
なるほどなるほど。まったく大した収穫である。鬼退治に出向いて正解であった。この大鬼、なかなかの知恵者である。おれではこうはいかない。
さて、話は十分に聞けた。あとは鬼の首でも村に持ち帰れば、多少の謝礼金は手に入るだろう。拾っておいた刀に手をかける。
「まあ待て。お前、わしを旅の共にせんか。お前はわしに勝利したからな、わしはお前に逆らえぬ。家来だと思って連れてくれ」
眉をひそめた。なんのつもりだ。逆らえぬとは何のことだ。そもそも、どうやってついてくるつもりだ。おれの小太刀は足の芯を壊した。左足の膝から下は、もう二度と動くことはなかろう。
権兵衛はおれの疑問に一つずつ答えた。
「鬼にも鬼の道がある。鬼は強者には逆らうが、勝者には逆らえぬ。
片足でも問題ない。鬼の筋力と体力は人のそれとは比べものにならぬ。杖でもつけば、山道だろうと走ってみせよう。
何のつもりだ、と言われれば……」
権兵衛は、殊更に真面目な顔で言う。
「その童の鬼のことが気になるからだ」
「なに」
「人の道も鬼の道も、お天道様が定められたものだ。お天道様は、鬼のことも見守ってくださる。だが、鬼の道からすら外れたなら、お天道様から完全に見捨てられるのだ。そうなったなら、鬼や妖怪よりももっと邪悪で、穢らわしいものに成り果ててしまう。
童でありながら鬼になるような奴だ。或いは、鬼の道からも外れてしまうやもしれぬ。同じ鬼として放っておけぬ」
なるほど。だが、おれは童の鬼を討つつもりであるし、奴がどうなろうと知ったことではない。
「おれは童の鬼を討つ。それは同じ鬼として放っておいて良いのか」
「うむ。鬼であるうちに死ねるならばむしろ良い。其奴を殺すことにも協力しよう」
しばし迷う。仇討ちは一人でするつもりであった。だが……家来か。良い響きだ。おれは武家の生まれだが、田舎の小さな武家の七男に家来などいなかった。
「よし、決めたぞ。貴様はこれからおれの家来だ。おれの旅について来い」
おれに初めての家来ができた。それも、自力で勝ち取ったものだ。感無量である。
*
一先ず村へ向かうことにした。鬼がこの地からいなくなることを伝えねばなるまい。ついでに、権兵衛の盗った山羊を返すことにした。
「そういえば、なぜ山羊はまだ無事なのだ。とっくに食われているかと思っていた」
「この林にしばらく居着くつもりであったからな。二頭飼って増やそうと思ったのだ」
はて。こいつは何を言っているのか。
「この山羊、二頭とも雌だぞ。仔はできぬ」
「な」
権兵衛のぽかんとした顔は、なんともまぬけなものであった。
*
「山羊のおらぬところからきたのだから仕方がない。同じ小屋で寄り添っていたから、番いだと思ったのだ」
村に山羊を返してからも、権兵衛はたらたらと言い訳をしていた。適当に聞き流す。
村では歓待はされなかった。大鬼が来たのだから当然である。しかし事情を話し、山羊を返すと、権兵衛に怯えながらも感謝され、干し肉と僅かな銭を貰った。
村を出て、権兵衛のことを聞いた街へと向かう。あの街の宿屋の女将は情報通らしいので、童の絡む大事件を知っているやもしれぬ。
棍棒を杖代わりにした権兵衛とともに、街道をてくてくと歩くのだった。