帝都急襲
1月14日、午前10時24分。
年明け早々に、何でこんな目に合っているのかと魔道技官ローニャ・カルガは天を仰ぎたかった。
しがない研究技官でしかないローニャが、これから話をしなくてはいけない面々は、帝国の中枢を担う者達だ。
はっきり言って、面倒くさい。
それでも、実験中の魔力感知器が感知してしまった物について報告しない訳には行かなかった。
事の発端はローニャの所属する研究班が開発していた魔力感知器の耐久試験中に、異様な結果を感知したのだ。
それは早朝の5時、その前後数分の間に帝都内の東地区で30もの魔道鎧の反応と8つの魔道鎧に似た反応を確認すると言う物だ。
8つの方は信じ難い事に結構な速度で街中を縦断しているのだ。
そんな事は空を飛んでいなければ不可能である。
本来ならば感知器の故障で片付けられる話だが、同時刻に帝都にばら撒かれた物が、その存在を完全に否と言えなくしていた。
大量のビラである。
質の悪い紙に、びっしりと書かれていたのは現体制への不満。
外交の不備を叩き、復興進まぬ現状を嘆き、多くの兵士に立ち上がれと呼びかける檄文が、大量に帝都に降り注いだのだ。
大量のビラは帝都にくまなく降り注いだ。
それ故に空から散布したとしか思えないが、帝都の守備隊は何も感知していない。
守備隊は前線に出ていた者達から選りすぐって集められたエリートである。
彼らの感知に万に一つの漏れもない、その筈である。
だが、開発中とはいえ魔力感知器が何某かの痕跡を捉えていた。
もし、これが感知器の故障でなかったら、今の帝都で何かが起きている。
単なる感知器の故障なのか、否かをローニャは報告せざる得ないのだ。
御前会議の場で。
同日、11時37分。
アマルヒ宮殿に向かう馬車が一台、帝都の街中を走る。
アマルヒ帝国のシンボルである翼を広げたカラスが描かれた馬車は、いわば公用車。
高級軍人か政治家にのみ与えられた物だ。
宮殿では御前会議が行われている最中であれば、退役した軍人ないしは政治家が乗っている公算が高い。
馬車の窓から垣間見る主の姿、禿げた頭に濃緑の帝国軍の装いを纏った老年の男。
8年前の開戦時には大将の位に在ったゴルドウィン・ケラー退役大将である。
彼はしきりに懐中時計を眺めて、御者に急ぐように指示を飛ばしていた。
ケラー退役大将の馬車が帝都の大通りに差し掛かった途端、爆発が起きた。
ドンと言う激しい爆発音が辺りに響き、馬車は粉々に飛び散った。
炎に炙られた車輪が帝都の大通りを転がり、民家に当たり倒れる。
御者もケラー退役大将も即死だ。
馬が哀れにも後ろ半分を吹き飛ばされながらも、未だに生きてもがいている。
そして、その周辺には魔動機馬車や馬車などが倒れて、人々のうめき声と助けを呼ぶ声が響いていた。
そして、再びの爆発。
響き渡る悲鳴と共に、人々の驚愕の声も響いた。
空を見ろ、と。
空には7騎、鈍色の魔道鎧が浮かんでいた。
これが、後の世に初めて航空戦力が投入された戦いとして記録されアマルヒ帝都の大空中戦と呼ばれる戦いの始まりだった。
7騎の魔道鎧は散開しながら、帝都の主だった道路に向けて攻撃を行う。
彼等が手にしているのは、小型野戦砲と呼ばれるガラシス王国の新兵器。
火の魔力を込められた砲弾を射出し、対象を破壊する兵器は主に対魔道鎧や敵のインフラ破壊のために開発された。
その威力は一撃で馬車を破壊し、石畳で覆われた帝都の大通りの流通を止める事で証明できただろう。
無論、人や動物にも甚大な被害を与える兵器を、彼らは帝都の街中で問答無用と言わんばかりにぶっ放している。
帝国にも、魔道鎧で空を飛ぶ研究は行われていたが、到底実用化には至っていない。
今のままでは魔道鎧部隊を差し向けても、空を征く鈍色の騎士に手も足も出ないだろう。
また、数多の主要道路が破壊されているため、迅速な対応が取れなくなりつつあった。
控えめに言っても、帝国は危機的状況に陥った。
たった7騎の魔道鎧の為に。
ある意味快進撃と言える7騎の魔道鎧を睨みつける女がいる。
金の髪を風に靡かせ、口元を歪める女は驚くべき事に、帝都の中央銀行の頑強な建物の屋根に立っているのだ。
しかもガラシス軍の砂色の軍服を纏って。
「バラッジ大尉、これは何だ?! 誰が攻撃命令を発した!」
綿密に立てていた夜間襲撃作戦の準備が水の泡と帰したテレジアは、怒りを隠すこと無く腹心に怒鳴りつけた。
無論、バラッジも与り知らないことだが、テレジアの怒り十分に理解できる。
あまりに無差別な攻撃は、戦場を住処としていた彼等には耐え難い行いだ。
今更、騎士道など語る気は無いが、兵士には兵士の矜持がある。
当初の計画では、協力者の仲間が魔力感知を行う日の深夜や早朝に、軍や政治の要所を狙い、叩く予定だった。
夜間であれば、襲撃者の正体も判別し辛い。
それに、国という奴は民が犠牲になるより、政府の要所を攻撃されることを嫌う傾向にある。
迅速に国家規模で戦時に逆行してくれるだろう。
そうならずとも、正体不明の襲撃者が暗躍することで、政情不安を引き起こし鉄火場に近い空気を作り出せる。
この様に幾重にも意味があり、自身の矜持も傷付けずに、アルグラーフを覚醒させようとしたテレジアの努力は無駄になった。
「ケラーの口封じならば、上空からの狙撃で事足りたはずだ。……畜生めっ! 儂の苦労をなんだと思ってやがるっ?!」
終いには、被っていた軍帽を摑んで中央銀行の屋根に叩き付けていた。
バラッジがその軍帽を拾い上げ、ぜぇ、はぁ、と荒い呼吸を繰り返すテレジアに手渡せば、彼女は漸く落ち着きを取り戻した。
ひとしきり悔しがり、怒りを振りまいた事で、多少はすっきりしたのか呼吸を整えながら、また空を飛ぶ鈍色の騎士を睨んだ。
「伯爵、ケラー退役大将の死亡を確認しました。が、やり過ぎでは?」
第三者の声がテレジアの耳に届く。
其方を見るまでもなく、二人にはその声の主が誰であるかは分かる。
「誉れ高き、無敵、選ばれた戦士様が勝手にやり始めたのだ。」
「家族を戦で亡くした事は同情に値しますが、命令違反ですか。」
呆れた声でテレジアの返答に応えたのは、トゥラである。
御者の装いをしたこの若い女も、戦場ではテレジアの部下であった。
「貴族の死は悲劇、だそうだ。だが、連中は戦場での抗命が如何なる結果をもたらすか分からんらしい。」
下らんと吐き捨て、テレジアは軍帽を被り直した。
視線の先には、愚かにもテレジア等に向けて小型野戦砲を構えた鈍色の騎士が一騎。
最早用済みだと言わんばかりの行いに、テレジアは獰猛な笑みを浮かべ放たれた砲弾を見つめていた。
同日、12時12分。
御前会議の最中に伝令が走り込んできて、一報が齎されてから既に20分は経過していた。
最早、ローニャの感知器の故障を疑う者は無く、一方で守備隊の株は下がる一方だ。
だが、問題はそこではない。
今なお、帝都の空を我が物顔で飛び回る連中が居る事が厄介なのだ。
「重火器を持たせた魔道鎧部隊の展開は出来んのか!」
「帝都の空を我が物で飛び回るとは……!」
外務局や内務局の重鎮、帝国議会の議員等は口々に後手に回る軍部への不満を口にしていた。
一方の軍部の将官は、既に指揮の為に持ち場に戻っている。
残された政治家たちは不安そうな顔をしながらも、今は不満を囁きあうに留めている。
その最中、帝国宰相ダスティー・イズボーンが椅子より立ち上がり、皇帝に一礼して会議室を出ていこうとする。
それを見咎めた議員の一人が声を掛けた。
「宰相閣下は何処に行かれるおつもりか!」
フードを目深にかぶったローブ姿の宰相は、その素顔を人には見せない。
ただ、此方を見たと問い質した議員が感じただけだが、それだけで背筋に汗が噴き出る。
帝国宰相ダスティー・イズボーン、稀代の魔術師、死を超えた者、不死者等と呼ばれる彼は佇んでいるだけで人を圧する。
「アルグラーフ・バンデス中佐を呼びに。こちらは、陛下の側仕えでもあるハースベルト・ベルン近衛大佐が防衛にあたる、ここならば何方も被害を被る事はあるまい。」
言外に逃げるのかと言わんばかりであった議員に、こここそが安全だと返して宰相は会議室を出た。
会議室の外は、一変して緊張感に包まれている。
忙しそうに駆け回っている伝令将校を捉まえて、アルグラーフに執務室まで出向くように伝令を託し、執務室に向かう。
その際に、奇妙な報告を聞き、ダスティーはカクリと骨を鳴らして首を傾いだ。
「中央銀行にて、ガラシス軍が騎士を撃墜? さて、空飛ぶ騎士共こそがガラシスかと思ったが。」
良く分からない情報だ、錯綜しているのかも知れない。
ともあれ、帝都は今まで敵襲を受けた事が無い。
つまり、今は建国以来の未曽有の危機だ。
使える手段は全て使わねばなるまいと、宰相は足早に執務室へと戻った。
同日、12時15分。
憲兵局付近の路上で、アルグラーフの部下の一人であるガラードは、空を飛ぶ騎士の一騎と対峙していた。
周囲は瓦礫と死体が転がり、まるで戦場のようだった。
その惨状を作り上げた騎士が持つ野戦砲は弾切れらしい事だけが、ガラードの取って幸運である。
「……。」
嘲るように周囲を飛ぶ騎士より素早く視線を外して、ガラードは後方を確認する。
同じ隊の後輩であるアリアが、治安維持部隊の女エリートであるネリスに肩を貸して退避している後ろ姿が見えた。
再び空を飛ぶ騎士に視線を移したガラードは、口元を歪めて笑った。
ネリス・シーグは言わば年下の幼馴染だ。
近所のお兄ちゃんとしては、こんな狼藉は見過ごせまい。
「こんな重労働させやがって……。しかし、顔見知りを殺らせる訳には行かねぇよな。」
ネリスは治安維持部隊において『魔法騎士』の称号を得ているエリートだ。
正義感は強かったが、装備劣る相手に無謀な戦いを挑むほど激情型ではない、本来は。
偶々襲撃に出くわして民間人の退避でも誘導していたのだろうが、その民間人を目の前で撃たれたとなったら話は別だ。
「まあ、そうだな。敵う敵わないじゃないよな……。ったくよ、立派な軍人になったもんだぜ。」
そう、自分よりも何倍もまともな軍人になったものだと微かに笑ってから、強い殺気を漲らせた視線で騎士を射抜く。
「ドンパチは軍人同士でやろうぜ、クソ野郎……。」
そう笑って見せれば、やはり嘲るように鈍色の騎士はゆらゆらと上空で揺れた。
そして、腰に吊るした剣を抜けば一気に上昇後に急降下を始めたのだ。
その速度は、銃弾を思わせる速さで、空気を切り裂き異様な音を響かせてガラードの首を刎ねるために迫ってきた。
その判断を見て、ガラードは心底嬉しそうに笑って見せた。
その笑みを騎士が見たかどうかは分からない。
だが、それを生きている者が聞くことは永遠にできない。
恐るべき速度で急降下した騎士は、その剣で獲物を切断はおろか、貫くこともできず、建物の壁に叩き付けられた。
恐るべき速度の一撃をガラードは避けて、上昇しようと速度を緩めた騎士の足を掴んで真横にぶん投げたのだ。
人間の筋力で出来る技ではないが、魔力を組み合わせれば如何にか可能だ。
「わざわざ近づいてくるとは、有難い。」
恐ろしい速度で騎士をぶん投げると言う無茶をしたせいで、右肩が脱臼してしまったがガラードはにんまりと笑って見せた。
そして、体勢を立て直して慌てて飛ぼうとした騎士目掛けて飛び、その首を刈り取らんと回し蹴りを放った。
蹴りは狙いを僅かに逸れてアーメットヘルムに当たり、ヘルムを破壊した。
飛び散るヘルムの破片、露わになった素顔を見てガラードは口元をひん曲げた。
そこにあった顔は、碌に戦いを知らなそうな若い女だった。
「おのれ、下郎が……! よくも私の顔……くっ!」
呆気に取られたガラードに罵詈雑言を浴びせようとした若い女は、不意に響いたシュッと言う音が響くと苦しげに呻きだした。
横合いから鞭が伸びており、女の首に巻き付いていた。
ガラードが慌てて鞭の持ち手を見やると、そこに立っていたの御者の姿をした女だ。
鞭はそのまま騎士の首をへし折り、息絶えさせると御者姿の女は踵を返して走り去る。
「待ちやがれ!」
ガラードが叫ぶと、女は一度だけ振り向いた。
黒を基調とした御者の姿、薄い茶色の髪を肩あたりで切り揃えている。
そして、その瞳の色が鉄の如き覚めた色であり、それだけがやたらとガラードの心に残る。
「アルグラーフに伝えよ、ガラード。此度の襲撃は儂の本意ではない故に、手に余るならば助力しようと。最も、連中程度はお主が如何にかできねばならんと思うが、とな。」
見惚れた訳でもないが、一瞬動きが止まってしまったガラードに背後から第三者の声が響く。
その物言いは何処か、アルグラーフ大隊の副長を思わせて、ガラードをはっとさせた。
驚き振り向くと砂色のガラシス軍の装いをした金色の髪の女が悠然と立っている。
誰何しようとするも、声が出ず、ガラードは女を睨み付ける事しかできなかった。
「そう怒るな、確かに連中はガラシス軍だが、儂とは袂を分かっている。言伝、忘れずにアルグラーフに伝えよ。」
青い双眸に気圧されながらも、ガラードは女を、魔人を睨み付けていたが、女の姿が掻き消えれば、それだけで気が抜けて膝から崩れ落ちた。
「まあ、アルグラーフならば断わるだろうが。」
膝をつき肩を上下させながら荒く呼吸を乱すガラードへ、そんな言葉を残して魔人はその場を離れた。
同日、12時33分
「空を飛ぶ相手にどう戦う?」
「……この帝都において箒を最も早く遠くまで飛ばせる方は何方でしょうか?」
彼らのこの会話が帝都防空作戦の方針を決定づけた。
作戦名『フライング ブルーム』の発動である。