魔人の独白
良く夢を見る。
私の物ではない夢を。
私はその光景を、繰り返し見る。
皆が狂騒から解放され、襲撃の恐怖も消えて泥のような眠りに落ちた夜の出来事。
己の信念に従い行動を起こそうとした女と、その前に立ち塞がった赤い髪の男。
男は、眉根を顰め険しい顔でこちらを見ている。
その両手は夜でなくば気付かないほど、仄かな光を灯らせて。
夜の闇にぼんやりと浮かぶ二つの光、それが『妖光』の名で恐れられている男だ。
二人の間には、最早避けようのない軋轢があった。
問答の時間は終わり、互いに行動を起こすしかない段階だ。
そうだ、互いの信念のために。
恐るべき魔力量の殆どを、身体への防護と付与魔術に割り振った尋常ならざる男の動きは、出鱈目に速い。
瞬く間もなく距離を詰められ、一撃を放たれる。
単なる牽制のジャブ、だが風が唸りを上げて渦巻くような尋常ではない威力と速さを備えている。
ああ、人はここまで速く、力強く動けるのかと私は見るたびに感動する。
女は正確にそのジャブを捌いた。
避けるだけでは駄目だ、男の攻撃を勢いづかせる。
女は迫る男の右拳の脇を、弧を描く軌道で回す右前腕で弾けば、がら空きに見えるその胸元、心臓目掛けて貫手を放つ。
だが、当然そんな攻撃は当たらない。
最初に放たれていたのが勢いのあるストレートであれば、体を崩して一撃を与えられただろうが、生憎と単なるジャブでは体は崩せず、ぼんやりと光る左腕に簡単に払われる。
そして、密着状態を打破するために膝蹴りを男は放つ。
……両腕の攻撃が最も危険と我が軍の兵士達は口々に言っているが、実は違う。
男の攻撃は全てが危険なのだ。
それを知るためか、仕方なく彼女は後方へと飛び退った。
空を切る膝蹴り、ギリギリ避けたその蹴りの巻き起こす風圧に女の髪は揺らぎ、その威力に心が歓喜と恐怖で吼えた。
その歓喜と恐怖が、私には羨ましくてたまらない。
私の視界は女の視界。
言うなれば、私が戦っているようなものだ。
女となりて男と過ごす時間はなんと心楽しい時間である事か。
夜闇に響いているのは衣擦れと、互いの拳を、蹴りを捌く際に発生する微かな打撃音。
天上の音楽とやらも、この静かな、それでいて凄まじい闘志のぶつかり合いが奏でる至上の音楽に比べれば、取るに足らぬ。
全てをぶつけ合う二人の様は、如何なる性愛も凌駕したエロティシズムを感じる。
堪らない高揚を覚えるのだ。
とても、とても充実し、幸せな時間。
しかし、残念ながらそんな時は長くは続かないのが人生だ。
男の部下であり、女の仲間である彼らがやってくる。
黒い髪に無精髭のガラード、褐色の肌の優しい巨漢アイヴァーン、冷徹なスナイパーエルフのカルサ。
彼らは戦う女と男を見て、顔を歪ませたが即座に行動を起こす。
男に口々に声を掛けながらも、相対するように包囲したのだ。
彼らは女の同志であったのだから。
男はそれがショックだったのか顔を僅かに俯かせた。
いや、実際にはショックだから顔を俯かせたのではない、訣別の為に一瞬哀悼をささげたに過ぎない。
誰を殺さねば、この反乱騒ぎが収まらないか一瞬で理解し、煩悶し答えを出した。
指揮官とはかくあるべしと私は思う。
男は不意に、あまりに不意に最も近くにいたアイヴァーンの懐に潜り込みその腹部を殴る。
鍛えられている筈の腹筋を容易く打ち抜いた拳打の衝撃は強烈だったのだろう。
たった一撃で、恐るべきタフネスを誇っていたアイヴァーンは体を九の字に曲げて崩れ落ちた。
アイヴァーンは銃剣で突かれたことも、至近距離から軍用小銃で撃たれた事もあったが、それでも倒れることなく戦い抜いた猛者である。
男の拳はその猛者を一撃で打ち崩したのだ。
傍で、あれほど見ていたのに、誰もが男の恐ろしさに気付いていなかった。
多分、我が軍の兵士の方がその恐ろしさを評価して居た事だろう。
敵とならねば、分らない事はある。
アイヴァーンが大地に臥す前には、カルサの前に躍り出ていた男は、その勢いのまま上段回し蹴りを放った。
空を切り裂く凄まじい威力の蹴りを、歴戦のカルサは黙って受ける事は無く両腕をクロスさせてガードした。
だと言うのに、まったく威力を殺す事が出来ず、クロスした両腕が鈍い嫌な音を響かせ、そればかりではなくエルフとは言え鍛えられた華奢とは言えない体が木の葉のように宙に浮き、暫くして背中から大地に落ちた。
カルサが宙にいる間には、男は既にガラードの前に獣を思わせる前傾姿勢で、正に一陣の風の様に走り寄っていたのだ。
迫る男にガラードは臆することなく、右の拳でカウンターを取ろうとした。
ガラードは3人の中で最も多くの敵兵を殺しており、女を除き最も男の傍で働いていた。
だから、その速度に臆することなく絶好のタイミングでカウンターを放った、筈だった。
そのガラードからして見誤っていたのだ、男の真の実力を。
唐突に速度のギアを上げた男は、その拳を最小限の動きで避ける。
風を切る拳に手応えが返らぬ事に訝しむ間も与えず、男はガラードの顔を右手で頭蓋を砕かん強さで掴み、ミシミシと頭蓋を鳴らしながら地面に叩きつける。
衝撃音と土煙が湧き起る一撃は、地面が土であるとはいえ、ガラードでなくば死んでいたであろう。
その一撃は、お前はこれでは死なないと言う信頼の証と言えた。
きつい信頼だが、その位の信頼に応えてくれるようでなくば戦勤めは叶うまい。
私の部下にも何人かそのような信頼に応えてくれるものは居る。
重々しい衝撃に意識を朦朧とさせたガラードは、男の指の隙間からその顔を見上げる。
消え行く意識の中でガラードは何を見たのだろうか。
それは分からない。
だが、男の声ははっきりと聞こえたはずだ。
「死に急ぐか! この大馬鹿共め……っ! 数多の敵と数多の民の血の上に立ち、今更何を誇る!」
男は知っている、己が作られた英雄であることを。
偶々それなりの戦働きをしただけだと言う事を。
私などは英雄とはそう言うものだと割り切るが。
女は知っていたはずだ、開戦当初、男が家が恋しくて泣いていた兵士に共感を示していたことを。
豆を炒るような軽い音が、一発の弾丸が後にその兵士の命を奪ったことを。
女は知っていた筈なのに、事を起こした。
それ故に、怒りと悲しみと苦悶に満ちた声に、女の胸は急激に締め付ける。
それが何故なのかは、女には分らない。
人ではない女には分らないのだ、そして分からない事がもどかしい。
ただ胸中に後悔、悔恨と言った感情が湧き起り女を苛んだ。
だが、女は直ぐにそれを振り払う。
男を救うための行動である、例え男から否定されようが何を迷う必要があろうかと。
そして、決着を付けるべく、男に向けて剣を抜き放つ。
片刃の剣は当方の島国固有の刀剣にも似ていたが、その剣こそが女の本性……。
それを抜いたと言う事が何を意味するのか、正確に推し量れるものが居るのだろうか。
1800年の長き時を生きた魔神器が、命を賭した行動に出る意味を推し量れるものが。
勝負は着いた。
女の最後の記憶は、女の本性である刃を暗紫色に仄かに灯る手刀が叩き折る所だ。
そして、涙をひとしずくだけ流した男の顔である。
その涙への愛しさと、申し訳なさが女の胸を満たして、そして漸く死への恐れが湧き起る。
だが、無情にも意識は闇に飲まれていくのだ。
死して消滅するはずだった女と、辛うじて生きていた死にかけの私は互いの利益の為に融合を果たした。
それ以来見る夢だ。
この夢が私のものではないことは明白だ。
だが、私は…いや、儂は思うのだ。
この狂おしい程の想いは、我が物でも良い筈だと。
これが女の物であったとしても、私の物でなかったとしても。
何故ならば、今では儂の物であるのだから。
儂と言う存在は女と私、どちらが欠けては存在しえない。
だから、女の物も私の物も等しく儂の物である。
……あの戦からは3年が経った。
そろそろ行動を起こそう。