英雄に至る
士官学校を卒業して7年、アルグラーフは30才を迎えていた。
一昨年には父を、去年は母を続けざまに亡くした。
悲しみが無い訳では無いが、元より老齢であった二人である、その死は大往生と言えた。
そうであるならば、温かく見送ってやるのも息子の務めではないか。
アルグラーフはその様に考え、涙に暮れる事も無く、暖かな陽だまりの様な愛を注いでくれた父母に深い感謝を抱きながら生きていた。
当時のアルグラーフは階級は少佐である。
魔神器保持者であり最高位魔力保持者であれば、むしろ出世は遅いと言えたが彼はまったく気にしていなかった。
魔神器であるパートナーのギルスラと共に魔装化歩兵教導隊の隊長として訓練などに勤しんでいた。
その平和な日々は突如として進軍してきたガラシス王国により呆気なく破壊された。
その日もアルグラーフが目を覚ますと、時計の針はいつも通りの時刻を示している。
本来であれば一日の始まり、日常の始まりであったが、今日からは戦いの始まりだ。
身を起こして、ベッドから降り立ち洗面台へと真っすぐに向かう。
鏡に映るその姿を、暫し薄緑色の瞳で見つめてから、蛇口をひねり水を出す。
手で掬い顔を洗えば、春先とは言えまだ冷たい水はすぐさま意識を覚醒へと導く。
口をゆすぎ終え再び鏡に視線を移して、常用している折り畳み式カミソリを手に取り、僅かに生えている髭を剃る。
これから戦場であろうとも、身だしなみを整えるのは紳士の嗜みだ。
髭を剃り終え、再び顔を洗えば、陶製の器に入った整髪料であるライムクリームを指先で掬い、掌に馴染ませて髪の形を整える。
鏡に映る自身の顔を、その薄緑の双眸をのぞき込みながらアルグラーフは不意に、今では追憶の中にしか存在しない父母の事を思い返す。
今やこの家には今は自分一人と一匹。
……やはり少し寂しいものだ。
彼女が我が家に住んでくれれば、また賑やかになるのだが……等と取り留めも無い事を思う。
そして、彼女こと魔神器のギルスラがそろそろ迎えに来る頃だと気付けば、急ぎ着替えに自室に戻った。
自室に戻ったアルグラーフは、コート掛けのコートを手に取り羽織れば背筋を伸ばして、職場へと向かうために歩きだす。
そして、玄関に行く途中、居間で寛いでいる同居人に声を掛ける。
「行ってくるよ、ルジャ。」
「気をつけてな、アルグラーフ。」
古い家系であるバンデス家には、精霊が住み着いている。
一般的に家に住み着く精霊とは、異なる容姿の精霊が。
家に住み着く精霊の類は、通常小人であったり少女の姿であったりと、人間に近しいのだがルジャと呼ばれた精霊は違った。
潰れたクリーム・パフのような形の体に、短い四肢と尻尾が付いている何か、である。
薄い青色の体毛で覆われているが、何処爬虫類めいている。
その大きさは大人が抱えられる程度、触り心地は柔らかく悪くない。
これでは『何か』としかアルグラーフには形容できない。
その可愛らしい(……?)見た目に反して、非常に博識で人語を解し、理知的で情に厚い素晴らしき同居人である。
その声は低く重々しいのだが、長き時を生きてきた穏やかさが其処にはある。
「ご武運を、アルグラーフ。」
「留守は頼むよ、ルジャ。今まで通りの戦争ならば冬までには戻れるだろう。」
「その口ぶりでは、戦はまた様変わりするようだね。なに、僕は何年でも待てる。百年も戦争が続くわけじゃないのだろう?」
「そんなに続いたら、人類は終わりだね。」
他愛もない会話を続けていると、玄関の呼び鈴が鳴り響いた。
ギルスラが迎えに来たようだと呟けば、アルグラーフは歩きだす。
留守を宜しく、そう再度笑いながら声を掛けて家を出ていくアルグラーフの背を、精霊はつぶらな瞳で見送る。
「汝に魔導王の加護があらんことを……。」
そう祈りをささげて精霊はアルグラーフの出征をいつまでも見送っていた。
戦場は控えめに言っても地獄だった。
上層部が無理な作戦を立てれば、その皺寄せは全て前線に来た。
例えば、アマルヒ帝国第五皇子ローファイが立案したと言う大規模反攻作戦。
この作戦は作戦準備が足らないばかりか兵站にも無理があり、参謀や補給担当者からの反対があったにも関わらず実行された。
継承権争いに一歩先んじたかった第五皇子と、ガラシスの侵攻作戦を許してしまった陸軍大将ケラーが挽回のために強引に押し進めたからだ。
その結果は、初戦で躓き立て直しが効かぬままに更に戦線を押し下げる羽目になった。
第五皇子ローファイの声望は地に落ちたが、即座に皇太子サーライアが下知を飛ばして戦線の押し上げに成功。
その立役者として大胆な用兵を行ったカーソン中将と、彼の要望に応えたアルグラーフ率いる魔装化歩兵教導隊の名が挙がった。
この作戦以降、皇帝継承は皇太子が確実な物とし、第五皇子は更迭されている。
ケラー大将は病気療養のため前線を退き、その穴埋めにカーソン中将が昇進を果たした。
さて、アルグラーフが率いる魔装化教導隊とは如何なる部隊か。
魔力装填可能なボルトアクション小銃を装備したライフル歩兵中隊、『魔道鎧』と支援歩兵からなるアーマー中隊、最新式魔道砲が六門づつ 配備された砲兵小隊が二隊。
それに偵察が主任務の軽騎兵小隊と、補給や通信を主任務とする兵站・通信小隊の計480人が構成人数である。
魔装化歩兵教導隊、後に500人ほど追加されバンデス大隊と呼ばれたこの部隊は、縦横に戦場を駆け巡った。
戦場駆けるだけでは飽きたらず、新兵器の運用まで任されていた。
例えば『魔道鎧』用の連射性能に特化したガトリング砲を始めて運用したのもこの部隊だ。
一分間に40発の魔力装填された銃弾を吐き出すこの砲の直撃を受ければ、並の『魔道鎧』でも風穴があいた。
重さと消費魔力、それに弾薬の関係で『魔道鎧』の中でも特に重装の者以外には運用が難しく、小回りも効かなかったが、待ち伏せ等運用を間違わなければ、相応の戦果を挙げる事は出来た。
だが、この部隊で最も恐れられていたのは、アルグラーフ本人である。
常識を逸脱した魔力を付与魔術に割り振った結果、アルグラーフの手足は仄かに暗紫色に光を放つ。
日中こそ視認されにくかったが、夜間は目立った。
当初、ガラシス軍の良い攻撃の的であったのだが、銃撃も通じず、白兵を挑めば生きて帰って来る者が無い夜闇に浮かぶ光に、ガラシス将兵は恐怖し『妖光』と名付けて恐れた。
日中は日中で、赤毛の指揮官が素手で『魔道鎧』の防護打ち抜き、破壊する様が見えてしまい、相対するガラシス将兵の士気を著しく下げるのに役立た。
そして、『赤毛の化け物』と『妖光』が同一人物だと知れた時の恐慌などは、アマルヒ帝国軍には決して理解できなかっただろう。
運命の悪戯か、『妖光』と『不死身の女』が戦場で顔を合わせる事は無かった。
そう言う意味では、本来は交わる筈のない二人であったと言える。
その二人が初めて顔を合わせるのは、終戦後三年の月日が流れてからである。