魔人への道程
テレジア・ヴァルストームはヴァルストーム家の長子として生まれた。
両親が存命であれば、弟か妹が生まれたかもしれないが、彼女が3才の時に両親揃って他界している。
古い家柄であり、領地や領民は無いが少々の資産と名誉だけがテレジアに残った。
彼女を支えたのは、テレジアの両親に忠実だった執事夫婦であり、彼らの存在なくばテレジアは今頃墓の下だろう。
初代ヴァルストーム伯の遺した教えを忠実に教え込まれたテレジアは、少女と呼ぶには可愛げのない当主であった。
少々の資産でも貴族は貴族、彼女の親族の中にはその資産欲しさに彼女を亡き者にしようと画策する者が現れたのも、可愛げの無さも原因の一つかと当人は冷静に分析していた。
最初の策略は、テレジアからすれば可愛いものでしかない。
食事に招待され、その食事に毒が盛られていただけの話だ。
10才になるテレジアは、食事を食べる直前に一芝居打ってその場にいた者達の気を逸らし、親族の食事と皿をすり替えた。
後は毒を食らって倒れる親族を尻目に、混乱に乗じて屋敷に戻るだけの他愛もない出来事だった。
テレジアが15才になる頃には、策略は暗殺のみならず色男を使った篭絡や求婚と言う絡め手も混じり始めていた。
彼女はその全てを回避して、時には反撃を食らわせて生き延びていたが、プライドを著しく傷つけられた求婚者に力付くで浚われて、監禁された。
性のはけ口とされたが、彼女は全く屈することなく寧ろ、一層そのプライドを傷つけ、ズタズタにした。
終いには浚った男の一物を噛みちぎり、痛みにのたうつ男の頭を潰して後腐れなく殺してから、己の屋敷に戻った。
それ以降も策略と謀略に晒され続けたが、独力で生き残り『不死身の女』と呼ばれ、恐れられた。
19才を超えた頃には、求婚者は絶え、篭絡の手も止み、排斥しようとする試みも潰えた様だった。
彼女は漸くヴァルストーム伯として、平穏に暮らしていけると考えていた。
テレジアが20才になった時、隣国との戦争が始まった。
下らない思想に毒され、難民に対して広く門戸を開いていると言うだけで隣国に攻め入るなど愚の骨頂である。
多くの国民は気付いていた、今のガラシス王家は完全におかしくなっていた。
三代前、僅か30年前までは権謀術数に長けた王が、バランス良く外交を行っていたのに……。
戦争など最後の手段であった筈だ。
だが、先代、今代と平気で戦争に踏み切り、民草の生活を圧迫していく。
こんな馬鹿な話は無い、だが王家に刃向かえる者は誰一人といなかった。
軍事力を一手に集め、軍人に特権を与えるやり方は、クーデターつぶしには効果的である。
その様な状態であれば、刃向かえぬのは、テレジアとて同じことだった。
そのテレジアに出兵命令が下った。
貴族社会に疎まれていた彼女は前線送りにされたのだ。
抗って多くの血で手を染めてまで守った家督を失う事は出来ず、テレジアは仕方なく戦に参加せざる得なかった。
彼女は先祖伝来の鎧を、ガラシス王国に本社があり魔道鎧制作に定評があるシャルマーユ社に預け、『魔道鎧』として生まれ変わらせた。
『魔道鎧』とは魔術的回路が張り巡らされた特大の全身鎧であり、その鈍重そうな見た目とは裏腹に、装着者の軽微な魔道力を用いて駆動し、歩行をアシストするので悪路でも進軍速度は落ちない優れ物である。
自重はかなりの物になるはずだが、水深50センチほどの川なら渡る事すら可能な馬力を誇る。
そして特筆すべきは、軽微な魔力でより高い魔力を必要とする防護術式を常時発動可能な点である。
通常、防護術式の発動を常時行うには相応の魔力の持ち主でなければ出来ないが、『魔道鎧』の内部に張り巡らされた魔力増幅回路があれば、然程魔力の無い一般兵でも防護術式を常時展開可能なのだ。
おかげで鎧は大型に成らざる得ないが、移動ものアシストされるのであれば大きな影響は無かったのだ。
テレジアは高位魔力保持者の為、魔術増幅回路は少なくて良く、先祖から受け継いだ鎧の姿は大きく変わる事も無かった。
しかし、彼女の魔力と魔術回路の複合した力は凄まじく、その白銀の鎧は後にガラシスの英雄として広く知れ渡るようになった。
貴族で、尚且つ女であるテレジアは当初は兵士達に舐められていた。
性的な嫌がらせなどもあったようだ。
だが、日が進めば彼らは認識を改めた。
そして『不死身の女』の噂は本当だったと囁きあい、或いは初代ヴァルストーム伯にして白銀騎士団を率いたエルンストの再来として『白銀の騎士』と称えるようになった。
兵士にとって、命を救ってくれる味方は何よりも変え難いのだから。
一方で、テレジアの声望が兵士達の間で高まれば、高まる程に貴族社会からは疎まれた。
その為テレジアは常に最前線にいた。
戦争一年目に起きたアマルヒ帝国の第五皇子が、皇位継承争いで優位に立つために企てた大規模反攻作戦の出鼻を挫き、作戦自体をとん挫させた。
その手腕が評価され激戦地を転戦している。
帝国の守護騎士『悪夢の壁』バードルフ・ガネスが守るコトゥ要塞を巡る攻防戦を皮切りに、ヘルート湿地での激突、デルック大橋の奪取作戦、そして帝国の皇帝が死に、前線指揮を執っていた皇太子が帝都に戻る所に襲撃を仕掛けたグルム渓谷の追撃戦等々。
数多の戦場を駆け巡った彼女の五年間はあっという間の物であった。
そして、運命の停戦の日がやってくる。