燃える王城
ガラシス王国の王城が燃えている。
これは隣国アマルヒ帝国に侵攻したが押し返され、撤退した国の末路……ではない。
この結末は二五年前に決まって居た事だ。
ある種族を……いや、アルグラーフ・バンデスと言う名の少年を王国から追い払った時に。
或いは、テレジア・ヴァルストームの両親が幼い娘を残して亡くなった時に。
その運命は決してしまったのだ。
燃える王城の前に広がる噴水広場、最早消火活動などする者も無いその場所で対峙する二人。
片や、アマルヒ帝国の英雄、『守護騎士』アルグラーフ・バンデス。
片や、ガラシス王国の貴族社会が生み出した魔人、『不死身の女』テレジア・ヴァルストーム。
赤々と燃え盛る炎が映し出す二人は、ある意味対照的で、そして似た存在であった。
アマルヒ帝国軍の濃緑の軍服、その上に支給されたより暗い緑色のコートを羽織る男は魔人を睨み付け、強い口調で問いただす。
「お前は何をしようとしている! テレジア・ヴァルストーム!」
放たれた言葉は、彼の意思を表すように固く鋭い。
その英雄の詰問に薄く笑みを浮かべ、ガラシス王国軍の砂色の軍服を纏い、濃い茶色の軍用コートを肩に羽織った女は、砂色の軍帽を斜に被りなおして応えた。
「始まりの為の第一歩だ、アルグラーフ・バンデス、我が伴侶よ。儂は決めたのだよ、お主を迎え入れる新たな国家……それを創る事を。」
恋慕の情と呼ぶにはあまりに強い執着を魔人である女は青い双眸に宿らせて、炎に照らされる金色の髪が熱風で揺れ動くままに英雄である男を見た。
対する英雄である男の髪は、炎に照らされるまでもなく赤く、熱風で煽られようと後ろに撫でつけられた髪は乱れる事も無い。
緑色の双眸に浮かぶ色合いは複雑なものであり、好悪のみで語れるほど簡単ではなさそうだ。
不意に、炎が渦を巻き噴水広場を襲った。
全てを赤く染め上げ、火の粉が舞い熱波がことごとくを焼き尽くし灰と化そうとしている中で英雄と魔人は対峙し続けていた。
英雄アルグラーフは肉体ある者が持てる最高位の魔力を持って生まれた傑物である。
とは言え、魔力自体は問題ではない、現に彼と同じレベルの魔力保持者はどの国にも何人かは存在する。
だが、その魔力の割り振り方が異様である。
バンデス家の養子である彼は、バンデス家の家訓に従い、肉体を用いてのみ戦う事に固執している。
その為、その魔力のすべてを身体の防護と付与魔術のみに割り振っているのだ。
如何に軍属以外に道がない魔力量であっても、そんな極端な割り振りをする者は居ない。
過去の英雄には、攻撃に全魔力を割り振った者もいるが、彼らとて攻撃の為の魔術や傷の回復、それに防護と各種の魔術を扱えるようにしてきた。
ましてや、剣と魔法のみならず魔力のこもった銃弾と砲弾が飛び交う現在の戦場で、武器を用いず身体のみを強化して英雄と呼ばれるまで戦った者はアルグラーフのみである。
人の痛みや死を直に感じ、忘れぬために彼は魔力を付与した手足で敵を屠る。
それが帝国紳士の生き様であるとバンデス家の家訓が告げているからだ。
魔人テレジアは高位魔力保持者であったのは間違いない。
ただ、今の彼女は魔神器と呼ばれる魔神の残滓と融合を果たした歴史上類を見ない正に魔人である。
その魔力は他を隔絶し、尋常ならざる力を有していた。
彼女が魔人となるには多くの出来事があった。
ガラシスの伯爵の家に生まれ、三歳で両親を亡くしてからは謀略と暴力が彼女の人生を彩った。
親族の策略も、他貴族の謀略も全て乗り越えて『不死身の女』と呼ばれた彼女が二十歳を迎えた際に起きた隣国との戦争。
貴族社会から疎まれていた彼女は前線に送られるも、戦果を挙げて五年に渡る戦いを生き残った、筈であった。
停戦の日、撤退する軍の殿を務めていた彼女は背後から刺され、死に瀕した。
その際に滅びかけていた魔神器と融合を果たしたのだ。
停戦の日、その日こそ魔人テレジア・ヴァルストームの誕生の日である。
その恐るべき男女が轟々と燃え盛る炎と熱風の中、動き始める。
互いの距離が瞬く間もなく削られ、拳が届く距離となればすかさず初撃を放ったのは、テレジアである。
炎が渦巻くような鋭い貫手。
黒革の、甲には金糸で魔法円が描かれた手袋に覆われたその五指を揃えて、真っすぐにアルグラーフの心臓を狙った一撃。
炎と熱風をやすやすと切り裂き真っすぐに放たれた貫手は、銃弾の如き速さで男の胸板を貫かんと欲した。
その恐るべき一撃を、アルグラーフはそっと右掌を横から押し当て、最低限の動きで軌道をずらす。
テレジアの一撃が剛であるならば、アルグラーフの動きは柔。
のみならず、アルグラーフは軌道を逸らした右腕とクロスさせるように左の拳をテレジアの腹に目掛けて放つ。
これもまた、炎が渦巻くような速度の一撃、しかもカウンターである。
当たれば如何な魔人と言えども相当のダメージが入る。
だが、体中心への打撃であればテレジアは左腕を、己の前腕をアルグラーフの前腕に叩きつけてブロックする。
途端、生じたのは衝撃波。
二人を中心として円を描くように、炎も熱風も退き、再び押し寄せた。
互いの距離は更に近づき、眼前に互いの顔があった。
陶然と笑みを浮かべる魔人、眉根を寄せて己の感情を持て余す英雄。
互いの感情を推し量る間もなく、踏みしめる石畳に亀裂が走る。
肉体と肉体のみならず魔力と魔力のぶつかり合いは、二人の四肢を通して相殺しきれなかった余波が拡散するのだ。
笑みを深めたテレジアが逸らされていた右腕を水平に振るい、アルグラーフの首へと手刀を放つ。
空気が鳴動し炎も熱波も容易く断ち切る一撃を、アルグラーフは後方へと飛んで避けた。
だが、恐るべき手刀は、避け切ったはずのアルグラーフの肩を切り裂き血飛沫を散らす。
「あの日のリフレインか? それではお主が負けるぞ、アルグラーフ!」
テレジアは飛び散った英雄の血が付着した手袋を口元に運び、舐め取る。
それは挑発か、或いは心底欲していたのかは余人には分らない。
だが、青い瞳は恍惚に濡れているかのようだ。
その情景に、或いは嫌悪を抱くべきかもしれないアルグラーフではあったが、何を思ってかゆっくりとただ双眸を閉じた。
「見せてみよ……!」
テレジアは懐から符と思しき紙を取り出して口中で小さく呟く。
符は宙に浮き黒い雷を放つ小さな球体へと変わった。
そこに黒革の手袋に覆われた右腕を突っ込み、取り出したのは片刃の剣。
極東の刀匠が己の命と引き換えに鍛え上げたと言う曰く付きの妖刀。
禍々しき気配が、テレジアの魔力に呼応して吹き上がる。
「さあ、見せてみよ! 儂を凌駕する力を!」
テレジアの言葉を受けて、アルグラーフは静かに双眸を開く。
緑色の双眸に宿るのは……。
炎の中、二人だけの蜜月の時間へ割り込むものが突如現れた。
崩れ落ちんとする王城から響き渡る咆哮、ガラシス王家の最後の生き残りメルレーン・ガラシスが、最後の姫が焼け爛れた体で王城を抜けだして、憎悪漲る双眸で二人を見ていた。
彼女が使役するのは王家の秘法により、無理やり死後の眠りを覚まされた二匹のドラゴン。
炎に焼かれながら腐り蛆這う巨体が飛ぶ!
ドラゴンゾンビ二匹が、最早声も出せぬガラシス最後の姫の憎悪を背負い、咆哮を上げながら二人に迫っていた。
「ええい! なんと空気の読めん奴だ! ……なぁ、アルグラーフ。一時休戦としよう。あれは最早正気ではない、無辜の民をも襲うぞ。」
「……良いだろう。どの国の民であっても力無き者を守るのは私の……いや、紳士の務めだ。」
躊躇なく互いに背を預け合い、迫るドラゴンゾンビへと身構えた二人。
英雄は哀惜をもって、魔人は憤懣をもって死したドラゴンを迎え撃つ……。
炎が届かない上空からは、白い雪が深々と降り注いでいた。