中幕・現れ出たる亡霊公
予想外の証言者は、刺繍が施された絨毯を一歩ずつ踏みしめる。
驚愕する周囲の喧騒をよそに、当人は覚悟を決めているのか無表情を貫いている。
やがて、言葉を失っているクシュナー元老の隣で、前進をピタリと止める。
その刹那である、元老は確かに少年と目が合った。
盤上全体を俯瞰するような、眼前の理不尽を諦観したような、集団外存在が如き深淵の瞳であった。
あぁ、と度肝を抜かれた老人は歯噛みする。
彼は、この小僧の視線がたまらなく嫌いであった。
『光と影』作戦において、クシュナー元老が生贄にこいつを選んだ理由もこの目に起因する。
クシュナーにとって、盤上の駒を操り、その行く末を見届ける権利は、己ただ一人が持つべきであった。
「……貴様は、確か名を「見覚えがあるであろう? クシュナー」
クシュナーの発言に被せるように、国王カイゼルが問うた。
「『光と影』作戦において、そなたが選んだ生贄だ。
勇者コトミネ殿との決闘で瀕死の重傷であったところを、我が保護し治療させたのだ」
「……その……ようですな」
国王は、返す言葉を見つけられない元老を一瞥した後、証人へと視線を向けた。
「国王カイゼル・フォン・ルべリオスが問う。
そもそも勇者との決闘は、そなたが従者を辱めた事に端を発する。
これは事実か?」
「いいえ、国王陛下。
私は、当時の従者であったティファの手に触れたことさえありません。
辱めなど以ての外です」
「お待ちを! お待ちを陛下!」
証人の供述を、狼狽した声が遮った。
国王との会話に勝手に割り込むなど、不敬罪で広間から締め出されてもおかしくない愚行である。しかし、今のクシュナーにしてみれば、それを気にするどころの状況ではない。
「陛下。まさか加害者の言葉を、すべて鵜呑みにするわけではありますまいな!」
元老の発言は正論であった。
容疑者の『それでも僕はやっていない』発言で無罪がまかり通るならば、先人が積み上げてきた秩序の理が一夜にして崩壊する。
現に、広間に集う権力者は何も口を挟まない。
信頼に値する情報が足りず、元老を糾弾するか擁護するか決めかねているのである。
「無論だ、クシュナー元老。
一方の証言だけでは、裁定にはまだ早い」
「おっしゃる通り……一方?」
国王の発言に同調しようとしたクシュナーは、その発言の不自然に気が付いて舌を止めた。
「憲兵。次の証人をここに」
カイゼルの勅命を受けて、入り口の扉が再び開きだす。
まだ潰すべき害虫がいたのかと、クシュナーが振り返ったその先には、
メイド、ティファが立っていた。
「ティ……ファ? ティファなのか?」
勇者言峰の戸惑う声も、今の元老には耳に入らなかった。
「かっ…………あ?」
何故……だ。
何故だ! 何故だ? 何故だ⁉ 何故だ‼
使い古された老人の脳味噌が、何故の白文字で漂白される。
確かに目の前で処分を下したはずである。
確かに処理したと、部下から報告されたはずである。
我が世は並べて事もなし、既に『最悪』からは逃げおおせた。
その『最悪』が、地獄の淵から這いずって、喉元に破滅の刃を突き付けている。
「辱められた、とされた従者。ティファである」
今更行う必要性があるのか分からない紹介を、国王カイゼルが粛々と行う。
名を呼ばれた少女は、緊張した面持ちで前に一歩踏み出す。
これを合図に、一人目の証人である少年が、広間の中心から勇者陣営の列へと下がる。
役目を終えた証言者が法廷から退席する、何も不自然ではない行動であった。
◆◆◆
証言を終えた少年――影山亨は、元クラスメイト達が並ぶ列に向かっていた。
『元老院の策謀に嵌められた勇者の仲間』としてこの場に登場した以上、勇者たちの列に戻ることが適当なためである。
背後でクシュナー元老が、始末した亡霊の登場に泡を食っている。
影山が監獄からナイトハルトのついでに救助し、枢機卿の回復を受けさせ、国王に『第二の切り札』として紹介したわけであるが、予想以上の効果を発揮した。
ティファという予想外の登場人物。
加えて影山が気配を消せば、横を通り過ぎる彼に気が付くクラスメイトなど誰一人いない。
問題なく列の最後尾に辿り着く……
……はずであった。
音も無く、ひとつの握りこぶしが影山の横に差し出される。
それは、クラスのほとんどが影山に疑いの眼差しを向けた時、ただ一人迷いなく信じてくれた盟友ので片手あった。
影山が視線をやると、ただでさえ憎たらしい顔面が、わざとらしくすまし顔になっている。
もしかすると、影山がこの場に登場した意図さえ察しているのではないか、という表情である。
察しているのであろう。
影山は確信した。
こいつに、遠藤秀介のような卓越した頭脳も、中村賢人が持つ鋭い直感は無い。
あるのは長年の友情のみ、それで充分であった。
影山は、目の前の拳に対して、何も言わずに己の拳を合わせる。
盟友の拳は前よりも皮が厚く、頼もしくなっていた。
そして、何事もなかったかのように、列の最後を目指して歩き始める。
一年ぶりの正式な再会であるからといって、両者特別何かをやるつもりはなかった。
二人の間に野暮な言葉は必要なかった。




