序幕・サプライズニンジャ理論
「突然何をおっしゃるか、国王陛下。
元老院側としては到底受け入れられませんな」
貴族の列から一歩踏みだし、国王の発言に異を唱えた者がひとり。元老クシュナー・ド・アルベルトである。
勇者の管理を任されている彼としては、当然の反発であった。
「我々元老院は勇者を問題なく統べております。
管理権を剥奪されるような失態など犯してはおりませぬ」
「そうかな?」
玉座からクシュナーを睥睨した国王カイゼルは、血管の浮き出た右手をおもむろに挙げる。
これに応えるように、勇者陣営から一人の人物が進み出た。
鍛え抜かれた長身と、ガラの悪い目つきは周囲の人間に威圧感を覚えさせる。
先日負った怪我が未だ癒えぬのか、頭部に巻いた白い包帯が実に痛々しい。
炎龍討伐騒動のきっかけとなった問題児、中曽根隆一であった。
「ナカソネ、そなたは無断で立ち位置禁止区域へ侵入し、いたずらに炎龍を刺激した。
受勲者たちの活躍によって討伐できたから良いものを、下手をすれば王都が焦土となりえた危険極まりない行いである。
申し開きはあるか?」
「ございません。
私のような大罪人が、このような栄誉ある場に参列できている幸運を噛みしめている次第です」
中村賢人は、眼前で繰り広げられるやり取りに、口を挟みたくなる気持ちを何とかこらえる。
今の彼は実にしおらしい。己をいじめていた頃の、傲岸不遜な態度がどこにも見当たらなかった。
「普段のそなたは、性格に難あれど線引きは心得ていると、使用人から報告を受けている。
なぜこのような愚行に走ったか、特別に弁明を許そう」
「ありがたき幸せ。
私は打倒炎龍を誓い、日々の鍛錬に勤しんでおりました
これも、先のダンジョン遠征にて我々を守って散った、騎士団の犠牲に報いるためであります」
まるで、事前に書いた反省文を読み上げさせられているような、『それっぽい』だけの理由がつらつらと述べられていく。
「しかし、突如として私に悲報が舞い込みました。
炎龍討伐計画が延期決定……最悪の場合、計画自体が白紙になるかもしれないと連絡を受けたのです。元老院から何の相談も受けず一方的に!」
「それは……」
クシュナーが弁明するより早く、カイゼルの口が動いた。
「……炎龍討伐計画の延期については、我も聞いている。
温厚で知られるムラカミ殿が、元老院の使者を厳しく問い詰めた件などは、諸君らも耳にしておるであろう」
村上綾香の耳が羞恥で真っ赤に染まった。
あの時は、想い人を助けられる唯一の手段を失って、焦燥と憤怒で余裕がなかったのである。
今となっては忘れてほしい過去の痴態を、これほどまでに周知されていた事実に、彼女は思わず両手で赤面を覆った。
「故に私は元老院に失望し、己の力だけで討伐を試みた次第にございます」
「なるほど……『問題なく統べている』というのは失言でした」
クシュナーは、中曽根による言い訳という態の告発を最後まで聞いた後、素直に己の非を認めた。
「ナカソネ様が感じられたご不満は、実に真っ当なもの。このクシュナー、ただ己の不手際を恥じ入るばかりです。
計画延期の件につきましては、改めて元老院より勇者様へ説明を行います。
……しかし!」
一通りの謝罪を述べた後、老人の反論が始まる。
ここで素直に引き下がっていては、元老院の一角は到底務まらない。
「私には過去1年の実績がございます。
それを、一回の失態で管理権剥奪とは、いささか強引かと思いますが」
「……実績と申したな? どのような実績だ」
中曽根を下がらせた国王が問いかける。
勇者、貴族、冒険者、騎士、この場に集う全員が、被告人の次の言葉を待った。
「この場にいる皆様は、一年前に起きた勇者コトミネの決闘はご存じでしょう?
その際に、トラブルを迅速に解決するよう働いたのはこの私です」
「そう、それだ」
「は?」
国王の想定外の反応に、元老は思わず声を漏らす。
これ以上ない証跡を示せたはずである。
しかし、今のクシュナーの腹の内はただならない悪寒を感じていた。まるで飢えた獣の群れへ、生肉を投げ入れた気分である。
「先日憲兵が、興味深い書き物を見つけたそうだ」
「……内容はどのような?」
憲兵隊長アイアタルが、意匠をこらした丸筒を差し出す。
国王カイゼルは、やや大げさな動作で中から書類を取り出した。
「計画名【影と光】。
勇者一行に従属するメイドを利用し、適当な一名に冤罪を着せた後、勇者コトミネにこれを裁かせる。
……提案者、元老院所属クシュナー・ド・アルベルト」
内容を簡潔に読み上げた後、カイゼルは元老をジロリと睨む。
「先ほどそなたが述べた、一年前の決闘騒動の起こりは、とあるメイドを辱めた事件に端を発していたな?」
「納得のいく説明はしていただけるのだろうな? クシュナー元老殿……」
国王の確認に、教皇アンスヘルムの怒気を孕んだ発言が追従した。
彼女からしてみれば、誘拐同然でこの世界に召喚された子供の一人が、眼前の老害によって濡れ衣を着せられて、挙句の果てに命を落とした事になる。
到底容認することは出来ない、言語道断にして鬼畜の所業であった。
「あの一件、確かにそなたの立ち回りは見事であった。
しかし、事件そのものがそなたの計画的なものであったのであれば、話は大きく変わってくる。
弁明はあるか?」
立場を脅かすような証拠を見せつけられているというのに、クシュナー元老の表情は実に涼しげであった。
「その書類の出所を教えていただいてもよろしいですかな?」
「……そなたの息子であるエクムントの屋敷だ。
エクムントの部下に聞いたところ、元老院の書庫より盗み出したそうだ」
回答に光明を見出したのか、クシュナーの口元が醜くゆがむ。
「国王陛下。
私の名の横に印は押されておりますかな?」
「何?」
クシュナーは、懐から四つ折りにした布を取り出して丁寧に開いていく。
中から、重厚な造りの拇印が姿を現した。
「元老という立場上、私を陥れたい者は多くおります。
中には、勝手に私の名を連名にした偽の文書を作られる者もおりました。
頭を悩ました末、このようなものを作らせております」
「白々しい……」
教皇アンスヘルムが、腹から湧き出る怒りに下唇を噛む。
彼女は、元老が書類の危険度によって、拇印を使い分けていたのであろうと推測した。
万が一、我が身を滅ぼしかねない機密書類が露呈しても、今回のように言い逃れできるように。
「つまり、エクムントもそなたを陥れたい者の一人であり、この【影と光】計画とやらも、奴個人による策謀と言いたいのだな?」
「その通りでございます。
適当な書類を作らせ、部下に『盗み出した』と証言させる。
ありきたりな手でしょうな」
「己は全く知らず、関わっておらぬとこの場で断言するわけだな?」
「他の何に受け取れましょうか」
「ふむ……」
国王は計画の書類を丸筒に収める。
その様子に、向かい合う元老は目を細めた。
「国王陛下お聞きください。
ただの紙切に踊らされて、国の大事を決めては後世の人々の笑いの的です。
勇者管理の件、どうかご再考を」
クシュナーはその場に跪き、国王に諌言を吐く。
教皇には、窮地を乗り切った後の、勝利宣言のように聞こえた。
「では紙切れ以外を召喚しようか」
「召喚? 証人がいたというのですか?」
眉を顰めたクシュナーの問いかけを無視し、国王は視線を大広間の入口へと向ける。
「入れ」
命令と同時に、憲兵が勢いよく扉を開け放った。
「あぃっ……えっ⁉」
ここまで余裕をみせていた老人が、分かりやすく取り乱した。
無理もない。
扉の先には、部下のメイドに命令してありもしない濡れ衣を着せた後、言峰の聖剣で裁いたはずの死人が立っていたのであるから。




