仲間三人目
ルべリオスの王都に、夜の暗幕が降り立った。
無数に散らばる街明かりの中に、蝶の羽ばたき亭から漏れる窓明かりが加わる。
照明に照らされた室内では、お盆にのせたコップが湯気を立てていた。
遠藤秀介は、中身をひと匙掬い、火傷をしない温度であることを確認してから、ベッドの上で上半身を起こした黒狐の少女に無言で手渡す。
少女はぎこちなさそうにコップを受け取り、遠藤の顔色を窺いながら一口すすっていた。
言いつけを守らなかった子供が、親を前にして縮こまっているようにも見て取れる。
「遠藤君って台所に立てる男子なんだ! とても家庭的なんだね」
重苦しい空気をぶち壊すように、中村賢人が明るい声色で話し掛けた。
「白湯作った程度で家庭的は、料理する人類すべてへの冒涜的発言だろうが。
リーダーだって、インスタント飯ぐらいは作ったことあるだろ」
「いや……その……」
中村は己の人差し指同士を合わせ、何度か躊躇った後に口を開く。
「……義理の両親が出かけてて……家に誰もいないときは、綾香が……手料理を作りに来てくれてて……」
「絶対彼女のこと幸せにしろよ、お前」
「最善を尽くします……」
不意打ちの惚気に、冷静な参謀が思わずリーダー呼びを忘れて激励を行う。
「さて……」
閑話休題とばかりに、リベリオンズの頭脳は傍の椅子に腰を下ろして、縦に細長い瞳孔と目線を合わせた。
「聞かせてくれないか。
憲兵に保護されてたはずなのに、どうしてあそこに倒れていたのか」
「うん……」
少女は、空になったコップを膝の上に置いて、たどたどしく言葉を紡ぎ始める。
彼女の名は『ヤコ』。
遠藤を殺しかけ、遠藤に殺されかけ、遠藤に保護された黒狐の獣人である。
蝶の羽ばたき亭へ駆け足で戻ってきたリベリオンズが目にしたのは、倒れていたヤコであった。
特徴的な黒い毛並みから、遠藤はもとより中村とエストも覚えていたため、そのまま自分たちが泊っている宿へと運び込んだ。
倒れた原因は、完全復活とは言えない体で急激な運動を行ったことによる過労であり、ベットに寝かせて一時間程で目を覚ました。
「そうか……あと少ししたら孤児院に入るのか」
「うん……だから最後にエンドウお兄ちゃんに会っておきたくて」
そして今、聞き取りが終わった。
この幼い狐の身辺を把握した中村の心に、一つの案が浮かんでくる。
「ねぇ、遠藤君。
この子をパーティに加入させるのはどうかな?」
遠藤は何も言わずに振り返る、狙撃手の視線が提案者を貫いた。
「も、もちろんこの子をただ可哀想だからってだけで、言い出したんじゃないよ?
僕たちのパーティってさ、遠藤君とエストが後衛で、前衛は僕一人だけでしょ?
だから、遠藤君に一太刀入れた実力をもつこの子を前衛に加えて、パーティのバランスを取りたいんだ。
それに……」
慌てた中村は、先ほどの発言が同情からきた浅はかなものではないことを説明するために、根拠のある理由をいくつか並び立てる。
全てを聞き終えた後、遠藤を息を大きく吸った。
「リーダーの意見には一理ある」
「なら」
「しかし憲兵の立場はどうする?」
本心がどうであれ、正論を吐かなけばいけないのが参謀役の辛い所であった。
「ヤコの話を聞く限り、憲兵側も孤児院移送のための手配を行い、もう日取りまで決まっている段階だ。
それを何の権限も持たない俺たちが横から待ったをかけるなど、顰蹙どころの話ではないだろう。
下手すれば後々禍根を残すことになるかもしれない」
「そんな……」
身の程を、改めて自覚した。
龍を討伐して少し名をあげたとはいえ、自分達は一介の冒険者なのである。
「やれること……ない……かな?」
「残念だが……」
自他ともに認める切れ者の諦めの言葉を聞いて、部屋の空気が重苦しくなり始めたその時であった。
「誰か部屋の前に来ます」
室内入口付近にて壁にもたれかかっていたエストが、小声で仲間に注意を促す。
全員の警戒が高まった所で、扉が何度かノックされた。
「Cランク冒険者パーティ、リベリオンズはいるか?」
聞き覚えのある声に、中村はエストに扉を開けるように指示した。
「アイアタルさん! お久しぶりです」
「エクムント逮捕の一件での協力感謝する。
今日は別の用事でここに来た」
服装はローブから憲兵のものへと変わっているが、短い金髪と鋭い目つきは見紛うはずもない。
憲兵隊長アイアタルは、ベットに寝かされるヤコを確認した後、懐に手を突っ込んだ。
「その……用事というのは?」
困惑する中村からの問いを受けて、アイアタルは一枚の便箋を取り出し、これを見せつけるように胸元に掲げた。
「ヤコから聞いたであろう話に、付け加える形で説明する。
彼女には戸籍上の親も登録されていなければ、保護している組織もない、故に三日後に憲兵からゲシェフト枢機卿管理下の孤児院へ移送される運びとなっている」
中身の資料を淡々と説明する憲兵に、ヤコが唾を飲み込む。
彼女の小さな肩に、遠藤は手を置いた。
「本題に移っていただけませんか? アイアタルさん」
「……君と話すと会話が楽で助かる」
アイアタルは書類を便箋に戻した後、懐を探り始める。
「今話したのは最終手段に過ぎない。
彼女の保護者に立候補する者がいれば、そちらを優先したいと思っている」
出てきたのはまた別の便箋であった。
「それも、彼女が心を開いている人物ならば、これ以上は望めぬと思うのだがな」
これを遠藤へと乱暴に放り投げた。
流石というべきか、遠藤も抜群の反射神経にて片手で飛翔物を掴む。
「……そちらにご迷惑をおかけしませんか?」
「この子と君が仲良く話しているのは、前々よりコリンナから聞いている。
その時点でこの状況を予測し、これとそれを同時に進めていた。
片方が潰れたとしても、もう片方が予定通り進行する。何も狂いはない」
アイアタルは、人差し指で遠藤の手元の書類と、己がしまった書類を指し示しながら粛々と説明を勧める。
その様子にエンドウの心中にある感情が浮かんだ。
「……随分と手際が良いですね」
『話がうますぎる』という猜疑心である。
「本当はヤコに、『これから』を説明した時点で、彼女が逃げ出してリベリオンズに来ることも予定内だったのではありませんか?」
「その通りだ」
遠藤の推測を毅然とした態度で肯定する憲兵。
場の空気が分かりやすいほどに張り詰める。
「……俺に冷静さが残っているうちに返答ください。
運よく俺たちが発見できたから良いものの、下手をすればこの子は命を落としていました。
なぜそのような危険な事を」
「常に慎重かつ警戒を怠らぬエンドウという男に、再度自覚させておくべきだと結論付けたからだ」
「何を?」
憤怒が見え隠れする遠藤の質問に、アイアタルは平然と人差し指で眼鏡の位置を直した。
「ヤコという少女は、我々憲兵の監視から抜け出し、王都中を駆け回ってでも君に別れを告げたいと。
それほどまでに君に対して好感を抱いているのだ、と」
遠藤は片眉を上げて、後ろの少女へ振り返る。
ヤコは顔を真っ赤にしながら下げ、彼と視線を合わせることを止めた。
「……もし、もしも俺が引き取ると言ったら。嬉しいか?」
「………………………………うん」
消えてしまいそうなほど小さくはあったが、紛れもない彼女の意思は示された。
「とはいえ、彼女の純真無垢な想いを利用するような真似をしたことについては、完全にこちらに非がある」
憲兵は、革靴で木の床をカツカツと鳴らしながら、過労で倒れた少女へ近づいていく。
「すまなかった」
腰を直角に曲げた見事な謝罪であった。
ヤコは冷めやらぬ頬の熱を感じながら、恐る恐る目の前の憲兵に話しかける。
「……アチキが逃げ出したこと、怒らない?」
「無論だ」
「なら……もういいよ」
『勝手なことをしたけれど、なんだか叱られなくてすんだ。嬉しい』
彼女の世界でこの一件は、それが全てであり、それで完結していた。
「さて話を纏めよう。
憲兵側は引き渡しの準備は出来ており、本人もこれを望んでいる。
後はリベリオンズの回答次第だ」
「でしたら!」
「待て」
リーダーのはやる気持ちを、右腕が制止する。
遠藤は人事権を持つ彼の前に直立した後、深々と頭を下げた。
「お願いします、リーダー。
彼女をリベリオンズに加入させてください」
これは遠藤秀介なりのけじめであった。
周りが許しているから、中村の優しさに甘えて『なあなあ』で加入させることは彼の信念が許さなかった。
彼女を保護した本人だからこそ、メンバーとしてリーダーに嘆願するのが筋だと考えたのである。
中村は深呼吸を行った後、エストに視線を向ける。
彼女は満面の笑みで頷きを返してくれた。
「もちろん大歓迎だよ遠藤君!」
この日、リベリオンズに優秀な前衛と、遠藤の理解者が加入した。




