決着の日
普段見慣れているものであっても、特別な状況ではまた異なる見え方をするものである。
いつも通っていた冒険者ギルドも、試験当日の会場となると、受験者の中村賢人の瞳には全く別の重苦しい建物に見えた。
「……もう、もう少しだけチェックしておこ」
とめどなく湧き上がってくる不安を取り払おうと、村上綾香に作成してもらった暗記カードをポケットから取り出す。
流石は一番近くで彼を見守ってきた人物というべきか、簡潔かつ分かりやすい語呂合わせにてまとめてくれている。
ありきたりな表現ではあるが、震える己の手を傍で握ってくれているようにさえ感じられた。
「先行くぞ、リーダー」
立ち読みし始めた中村の横を、遠藤秀介が試験の重圧など跳ね除けるように、颯爽と通り過ぎていく。
普段はリーダーの言動に対して何かしら嗜める役割であったが、今回は挙動不審な彼を咎めることはしなかった。
もしも仮に、中村がいい加減な態度で勉強会に取り組み、試験当日も『どうせ落ちるだろう』と諦めていたのであれば、彼の心がここまで張り詰めたりはしない。
緊張というものは、ここに至るまでに血反吐を吐いた人間だけが持てる、努力の勲章の表れなのである。
本気たる気構えを、片腕として言外で尊重したのであった。
「今からドキドキしてどうするのさ。
試験中なんか心臓が鼻から飛び出るんじゃないかい?」
「クラマさん!」
独特の茶々を入れた快活な声に振り向くと、自らの心に寄り添ってくれた山伏と、自らの目的地まで道を敷いてくれた師が並んで立っていた。
「……この前は本当にありがとうございました。
ずっと先延ばしにしてきてしまったもの、取り返しがつかなくなるものを、全部取りこぼさずに済みました」
「な~に。あたしがやったことと言えば、ちょいときっかけを作っただけさ。
取りこぼさなかったのは、あんたがその後にちゃんと向き合ったからだよん」
彼女らしい、いつも通りの飄々とした態度は健在であった。
「師匠」
中村は続いて、隣に佇む元クラスメイトへ声を掛ける。
「自分で言うのも何ですけれど。
僕って誰かに尻を叩いてもらわないと、結果を出せない人間だと思うんです。
だから、ちゃんと達成できる目標と、綿密な計画を立ててくださった師匠のおかげで、今の僕がいるんだと思いま……」
過去の自分の行いを思い出したのか、言葉を最後まで言い切る前に止めた。
耳長族の保護や『光と影』計画の発見等、脳裏にいくつもの予定外が思い浮かんだのである。
「……ちゃんと僕、師匠の計画通りに動けてましたよね?」
「無論だ、中村賢人は実に素直な、手間の掛からない良い弟子だったよ」
照れる中村とは対照的に、クラマは仮面の下の目をじっくりと観察する。
その瞳は言葉とは裏腹に、どこか遠くを見つめていた。
「改めて言わせてください。
本当に今日まであり……」
今度は師の右手が、弟子の言葉を制止させた。
「その先は、試験の結果と一緒に聞かせてもらおう。
感謝を伝えて、心が満ち足りてしまったら困る。
まだ君には満足してほしくない」
「……はい、はい! もちろんです!」
頼りになる存在達からの鼓舞によって、緊張が興奮で上書きされた少年は、ギルド入り口に入るまで何度も頭を下げた。
二人もそれに合わせ、こちらも何度も手を振った。
「クロード、後ろの曲がり角」
「分かってる」
烏族の静かではあるが鋭い警報に、横の冒険者は眉一つ動かさずに応える。
彼女が指摘した曲がり角で、黒い猫耳が一瞬ピクリと動いて見えた。
◆◆◆
「フィンケル、間違いない。ヤツだ」
Sランクパーティ『ウォルフ・セイバー』メンバー、黒猫の獣人フェリルが顎で対象を指し示す。
「フェリル、お手柄。行こ」
リーダーのセシリアが、先陣を切って前へ歩き出す。
その背中からは、苦労して見つけた獲物を逃さないという獣の威圧感が漏れ出していた。
「待て」
氷姫の肩を智炎がむんずと掴んだ。
抗議するような少女のジト目に耐えながら、中年はわざとらしく咳ばらいをひとつ。
「これまでの調査で、俺たちはヤツの人となりをそれなりに理解できているはずだ。
病的な程に用心深く、狂信的に他者の耳目を集めることを嫌っている」
リーダーの人格特性分析に、一同は異論なしと首を縦に振る。
「ヤツには、本来俺たちがやるべきだったビルガメスの足止めを、肩代わりしてもらった恩がある。
だってのに、今俺たち全員が押しかけて大事にするってぇのは、相手の性格から考えても、どうも恩を仇で返している気がしてならねぇんだ」
Sランク冒険者、Sランクパーティの知名度を加味したうえでの意見であった。
「話しかける人数は最低限……そうだな、ニーナと俺の二人に絞りたい。
どうだ?」
「なら私、フィンケルの代わりに……」
それでも食い下がるセシリアに、フィンケルは苦笑いを浮かべる。
「お前に無難な会話は絶望的だろう?」
突然突きつけられた事実に、彼女は思わず周囲へ反論を求める目配せを行う。
しかし、返ってきたのは無言の肯定。
苦楽を共にしたパーティメンバーであるはずのフェリルさえ、気まずそうに目を逸らした。
そんな風に思われていたのかと、意気消沈した小さな背中に、優しく手が添えられる。
「まぁ……その、なんだ。
今回はゆずってくれよ。機会は今だけって訳じゃないだろうし……な?」
申し訳なさそうな顔をする精霊師の耳長族の手を引いて、フィンケルは目標へと駆けだした。