断章/談笑 常闇と暴嵐
時は炎龍討伐直後まで遡る。
強大なる厄災を打破し歓喜に湧く討伐部隊を、洞窟天井の裂け目から一対の相貌が瞰視していた。
この騒動を起こした元凶、暴牛王ビルガメスである。
「喜ばしきかな、此の宴」
戦場に集った面子を一瞥し、胸にこみ上げる喜悦に思わず目を細めた。
豪放磊落な気持ちの良い人柄と、見た目に違わぬ重厚な一撃から、教会に『大嶽』ありと称えられた戦闘滅魔神官、アーガーベイン。
春先からメキメキと頭角を現すと、今では勇者陣営内にて知恵袋として活躍し、つい先日にはビルガメスが投擲した斧を防いだ賢者、七瀬葵。
ルべリオス冒険者の憧れたるSランク冒険者であり、武勇見識共に秀でたものを持ち、今日もまた冴えわたる指揮によって仲間に勝利をもたらした智炎、フィンケル。
同じくSランク冒険者であり、磨き抜かれた剣技をいかんなく発揮して、火竜の首を刎ね炎龍の猛攻と渡り合う氷姫、セシリア
そして今、己が力を示して見せた新たな風、中村賢人と遠藤秀介。
まさしく強者の見本市、逸材の博覧会。
これほどの顔ぶれが一同に会する機会など、滅多にお目にかかれるものではない。
「良き死合いであった。しかし……終幕よ」
眼福を堪能したとばかりに、満足そうに修復した相棒たる戦斧を担ぎ上げる。
己が懐をまさぐり何かを取り出そうとした所で、思い出したように視線をとある岩の裂け目へと向けた。
「そう睨むな。
名もなき戦友よ」
研ぎ澄まされたビルガメスの五感は、裂け目の奥に控える赤い光点を捕捉した。
息を殺して常闇に潜み、この暴牛王の動向に気を配っていたのである。
「案ずるな、手出しはせぬ。
これほどの猛者が揃う好機に殴りこめぬのは惜しいが、な」
ビルガメスほどの強さがあれば、炎龍ごと討伐全隊を鏖にすることは容易い。
しかし、彼の誇りがそれを許さない。
万全の相手に威風堂々と名乗りを上げ、正面から挑むのがビルガメスの美学であった。
互いに全身全霊を賭けた死闘に横槍を入れることや、戦いを終えた疲労困憊の勝者を狩ることは、戦士の道に外れた所業と嫌悪していたのである。
「そなたとは、いずれ雌雄を決そうぞ。
それまで壮健であれ」
古の豪傑は、かつてこの場所で衝突した好敵手へ再戦を誓う。
忍ばせていた宝玉が光り、鎧を纏った巨体は跡形もなく消えた。
相手が完全に消失した後、光点の存在した影が急激に盛り上がる。
人ならざる者が、横たわらせていた体を起こすような光景であった。
ふくらみが人の背丈ほどに達すると影が霧散し、内側から黒衣の人物が現れる。
冒険者クロード、もとい影山亨であった。
「申し訳ないが……君が戦う相手は私ではない。
頼りになる弟子が、遠くない未来に相対することになるだろう」
豪傑の一方的な宣誓に律儀に返答した後、眼下に広がる討伐部隊を俯瞰する。
二人の元クラスメイトが、周囲から手荒い祝福を受けていた。
「それはそれとして……だ」
フィンケルから乱暴に撫でられている中村賢人を視認した師は、悩み事でもあるのか首を傾げながら腕を組んだ。
影山の胸中には、一つの懸念点が存在した。
先日の夜、蝶の羽ばたき亭ベランダにて、影山は中村と対話する機会があった。
その際、彼が確かに発した『遊んでくれた』という言葉が、どうにも引っ掛かってしまったのである。
ただの思い過ごしであるのならば、それに越したことは無い。
しかし、これが中村賢人という人間が持つ闇の一片が、表面に漏れだしたのであれば放置しておくことは出来ない。
「もしも……もしも村上綾香との再会が、円満なものにならなかったら……」
他者が抱える心の闇を、全て引き出して解消する。
そんな精神分析の極地のような神業、人生経験の乏しい影山には不可能であった。
「頼む……クラマ」
己の表情をチラリと観察しただけで、心の奥底まで見通す相棒へ全てを託し、ビルガメスの監視役は再び影を纏った。