先駆者からの教え
「急がないと! 売り切れちゃう」
大きなガラス窓から、橙の陽射しが斜めに差し込む夕暮れの校舎。
体育館から教室へと繋がる廊下を、中村賢人は駆け足で急いでいた。
今日は大手ゲーム会社より、人気RPGシリーズの最新作が発売される日である。
部活がない生徒は、廊下を走る彼を注意するべき風紀委員も含めて、みな終業のチャイムと共に下校していた。
無論中村も真っ先にゲームショップに駆け込むはずだったのだが、担任の緒方結子先生より雑用を押し付けられてしまい、他と大きく後れを取ってしまった。
そして今、ようやく全て終わらせて教室に帰ってきたところである。
スライド式の扉を雑に開けて、パイプ椅子の上に置いていた己の荷物を手に取ったところで――
「あ……」
横の席で、机の上の紙に顰め面をするクラスメイトの姿が目に映った。
中曽根隆一。
不良であるものの、そのリーダーシップの高さから野球部のキャプテンを務め、そして中村を虐める張本人でもあった。
普段であれば、絶対に近寄りたくはない相手である。
「……何してるの?」
しかし、夕暮れという特殊な時間帯がそうさせたのであろうか。恐怖心よりも好奇心が勝ってしまい、気がつけば疑問を口にしていた。
それに対する中曽根も、逢魔時の魔力にあてられたのであろうか。
「……夏の大会のレギュラーを決めてんだよ。お前には関係ない話だろうが」
気に喰わない相手からの質問であるはずなのに、舌打ちをしながらも律儀に回答する。
「そう……」
剝き出しの敵意に委縮してしまった中村が、鞄を背負いなおしたその時である。
偶然か必然か、中曽根が睨みつけていた紙の記載が目に留まり、そして大いに驚愕してしまった。
「円偉君を外すの!?」
落ち着きのある中村からは考えられない、素っ頓狂な大声に中曽根が驚いて顔を上げた。
紙面には野球部員一覧が印刷されており、その上から赤ペンで様々な決定が書き込まれている。
そして、円偉幸助の名前にバツが印されており、横に『補欠』と書き添えれていた。
「体育のソフトボールで同じチームになったことがあるけど、ボールが遠くまで飛ばせる頼れる四番だったよ!? 何より君の親友じゃないか!? それなのに……この扱いはあんまりだよ……」
まるで自らが外されたかのように、決定を下したキャプテンへ必死に異を唱える。
部外者の抗議に対して決定者は赤ペンを置き、気だるそうに両手を頭の後ろで組んで、背もたれに身を預けた。
「……確かにあいつの打力は素晴らしい、が」
上履きのまま片足の踵を乱暴に机に乗せる。叩きつけるような不快な音に、中村の肩がびくりと震えた。
怯えるクラスメイトを気にせず、そのままもう片脚を交差させて足を組んだ。
「……クリーンナップには一歩及ばない。
守備や走塁、代打の分野でも、あいつより上手い部員がうじゃうじゃいる。中途半端な奴をベンチに置くぐらいなら下級生に経験を積ませたい。
だから外したんだよ……」
経緯を説明する声は、低く唸るようで、近くの中村にしか聞こえない程に小さかった。
「ま、円偉君から何か言われなかったの?」
「……中学最後の試合に、どうか出させてくれと泣いて頼まれた。
だが、それが足手纏いをレギュラーにする理由にはならない」
「……それで一人の親友を失うとしても?」
「そんなひいき起用してたら、全体に示しがつかねぇだろうが!」
まるで内に秘めた感情を隠すように、強い語気が中村に浴びせられる。
「全国大会にあいつらを連れてってやれるなら、どんな非情な決断をする覚悟も出来ている。
俺……俺達は『身内のなれ合い』や『ごっこ遊び』で、おちゃらけて野球に取り組んではいねぇんだよ!」
聞く方も聞く方であるが、素直に答える方も答える方である。
外見こそ平静を装っているものの、親友を外した事の言い訳を誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
「理解したらさっさと出てけ。
遊び惚けて努力していないてめぇが、何も知らずに横からしゃしゃり出てきてくるんじゃねぇよこのカス!」
「ご、ごめんなさい!」
怒声を背に、逃げるように教室を飛び出した。
校門前まで走って息を整えた所で、先ほどまでの自分を振り返る。
中曽根は随分と悩みぬき、断腸の思いで親友を補欠へと下げたはずなのだ。そんな苦渋の決断に対して、門外漢が気安く口を挟むというのは、腸が煮えくり返って当然である。
中曽根の怒りは間違っていない、軽率であった己に自己嫌悪を抱いた。
「帰ろう……家に」
これから新作ゲームを買いに行くという気分にはならなかった。
大げさな言い方になるが、円偉幸助というひとりの中学生の、夏が終わる瞬間を目撃したのである。
少年の心に深く刻まれた衝撃は、他の事柄で誤魔化せるほど些末なものではなかった。
「これが、キャプテンっていう役職の重みなんだ……」
中村がリーダー役に対して抱いていた、『なんか偉そう』という曖昧なイメージが、鮮明に上書きされたとある日の夕刻であった。
◆◆◆
「ごっこ遊び……か」
朝日を背に感じながら、中村賢人は上半身をベッドから起こしていた。
「そうだよね……みんなをまとめるっていうのは、決していい顔をしているだけじゃ務まらないよね」
遥か昔のように思える、肩書が『学生』だった頃の記憶である。
自身がメンバーを追放した夜に、夢として回想するとは何の因果であろうか。
「ありがとう、中曽根君。生意気かもしれないけれど、ようやくあの時の君の気持ちに追いつけたよ」
昨日が嘘のように身体は実に軽く、跳ねるように布団から起きることが出来る。
ただ、着替える際に防具として身につけていた胸当てが、心なしか前よりも重く感じた。
扉を開けると、パーティメンバーが心配そうな顔で迎えてくれる。
「大丈夫、覚悟は見つけたよ」
皆の不安を払拭するように、拳で胸を軽く叩いた。
「それは何よりです!」
「何が『二年ぐらい引きずる』だ、たった一晩で立ち直れたじゃないか!」
自信を取り戻した声色に、エストは嬉しそうに中村の右腕を掴んで大きく上下に振り、ローザは安心したようにもう片方の腕をパンパンと軽く叩いた。
仲間から手荒い祝福を受けた後、リーダーはこちらに背中を見せて書類を確認している右腕に近寄った。
「遠藤君、言い出しにくいことを切り出してくれてありがとう。君のおかげで目を背けていたことに、ようやく向き合えたよ」
「……気にするな、こういう事も俺の役目だと思っている」
普段と同じく、淡々とした受け答えであった。
ただ中村は見逃さなかった。再びローザ達と会話する直前、彼は背負っていた不安を解消できたかのように、丹念に肩を揉み解していたことを。
罪悪感に押しつぶされそうになっていた中村賢人を救ったのは、意外にもかつて彼を虐めていた男の叱咤であった。
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