正位置『教皇』
控えめな装飾が施された純白の回廊にて、磨かれた大理石の床をふたりの少年が歩く。
「……なんだか忙しそうですね?」
周囲を見回した中村が、抱いた感想を疑問として口にする。
ローザの冒険者登録時に訪れた前回と比べて、事務員が慌ただしく歩き回っているように見えた。
「はい、本日の夜明け前にかなり大口の依頼がございました」
質問へ回答したのは、彼を先導していたお節介焼きの僧侶である。
回復役の保護だけが教会の仕事ではない。
日々の集会や恵まれない人たちへの無償支援、教会の敷地内で凶悪な魔物が発生すれば、戦闘滅魔神官を筆頭とした武力行使など多岐に渡る。
「リーダー。教会でいうところの『依頼』の意味は、ちゃんと理解しているな?」
遠藤からの抜き打ちテストに、中村は心臓が縮み上がる気分を味わった。
「も……ち……ろ……ん、か……回復依頼の事だよね?
依頼人が料金を支払って……教会から回復の奇跡を受けられるんだっけ?」
脳味噌から何とか絞り出したのだと分かる相槌で、リベリオンズのリーダーは正答を言い当てた。
教会に従事する者たちも、霞を食って生きてはいない。
自分たちが飢えないためにいくつも用意された金策、回復依頼もその内の一つであった。
「これだけ職員さんが動き回るってことは、かなりの額だったんですね。アーガーベインさん」
「そうですね、財務を司る枢機卿が顔を綻ばせておいででした」
依頼できる回復に階位が設けられており、怪我の深刻さに比例して金額が高くなっていく。
「枢機卿……最高位の回復依頼は、その人達が直接出向くこともあるんですよね?」
「その通りです、ナカムラ殿。
あの方々が施す奇跡はまさに神の御業、欠損した手足や臓器の再生さえ可能です」
私などまだまだ未熟と言わんばかりに、巌のような頭部を左右に振った。
それなりの人間しか招かれないであろうと察せる重厚な扉をいくつも通り、小市民ならば踏む事すら躊躇いそうな刺繍を凝らした絨毯を歩いて、一行はとある一つの扉の前へ辿り着いた。
「こちらになります。
私は入室を許可されておりません。ここから先はお二方でお進みください」
アーガーベインは入室を促すと、扉の横で直立不動の姿勢をとる。
「……遠藤君、遠藤君」
「どうした? リーダー」
小声のした方へ遠藤が振り返ると、囁いた彼はしきりに自らの服を伸ばしたり叩いたりしていた。
「絶っっっっ対に偉い人に会うから、服装を正しておかないといけないよね。
大丈夫かな、変じゃない?」
遠藤は呆れながら、緊張の極みに達している我らがリーダーの襟元を正してやった。
◆◆◆
室内は見た目より実用性に重きを置いた、さっぱりとした造りであった。
中央に設置された机を挟んで、茶色いなめし革の椅子が合計六脚。
中村はまだ、この世界の品目に対しての深い造詣は持ち合わせていない。それでも、部屋に置かれた家具のひとつひとつが、よく分からないけど高そうであることは理解出来た。
「ようこそ、神秘の宮の最奥へ」
窓際で手を後ろに組んでいた女性が、気配を感じてこちらに振り返った。
年齢は中村達よりも少し年上であろうか、優しそうな目鼻立ちに目元のほくろが印象的である。
そんな人の良さそうな彼女の挨拶に、中村は返答することを躊躇してしまった。
袖を通している豪華な法衣と、頭上に鎮座した三重冠が、ただ者ではないということを十二分に示しているからである。
「急な呼び出しにも関わらずよく来てくれた。嬉しく思う。
立ち話もなんだろう、こちらにかけてくれないか?」
手元の椅子のひとつを片腕で後ろへと引き、もう片方の腕で引いた椅子への着席を促す。
「だ、大丈夫です! 僕はこっちで」
中村は勉強会にて、上座と下座の概念を学習していた。相手に指定された席が上座であると理解し、吸い込まれるように下座の椅子へ座る。
つい一年前まで凡人の生を歩んできた、どこにでもいる普通の少年である。
多少度胸がついたとはいえ、それは戦闘に限定したもの。
相手が絶対に偉い立場の人間だと察していて、上座の席に座る対人の度胸はまだまだであった。
遠藤はパーティメンバーとしてリーダーの面子を潰すわけにもいかず、中村の隣に続いて座る。
女性は仕方なく自分で引いた椅子に腰かけ、落ち着かない少年のぎこちない挙動に、初々しいものを見守るような笑みを浮かべた。
「私は聖アンスヘルム。この教会にて教皇を務めている」
教皇アンスヘルム、三権力『教会』の頂点。すなわちこの国で一番偉い存在の一角である。
相手の自己紹介に中村は絶望した。
別に不快な思いをさせられたからではない。職位に気圧された、という表現が的を得ているであろう。
超偉いだろうと想像していた相手が、超絶偉い偉人だと理解したから絶望したのだ。
うっかり失言でもしようものなら、次の瞬間にはアーガーベインに首を潰されて、胴は市中晒し者にされるかもしれない。そんな恐怖が少年の口を固く結ばせてしまった。
そんな中村に、遠藤は内心でため息を吐いた。
偉い立場の人とよどみなく会話することも、リーダーに求められる資質である。こればかりは場数をこなして、慣れてもらうしかない。
「私は冒険者ギルドに所属する、Cランク冒険者の遠藤秀介と申します。こちらは同じくCランク冒険者、中村賢人でございます」
このような状況で、物怖じしない遠藤の性格は貴重であった。
傍から分かるほど硬直したリーダーの代わりに、右腕である彼が自己紹介を務める。
「ふたりの事は十分に知っているつもりだ。
冒険者としても、そして……冒険者を目指す前についても」
「やはり、今回の話の本題はそちらですか?」
遠藤の推測に、教皇は頷いて静かに肯定した。
そちら――まだ肩書が『勇者コトミネの仲間』であった頃の事を指していた。
「……まず最初に、本当に良かった。
ダンジョンでのビルガメスの件は、現場が地獄のようであったと聞いている。よく無事に生還してくれた」
中村と遠藤の身に起きた悲劇を、嘆いてくれていたのであろう。安心したように頬を緩ませ、両手を合わせた。
しかし、その笑みは満面と形容するには程遠い。伝えたい言葉は安堵だけではないと察した遠藤は、口を開かずに続きの発言を待った。
「次に謝罪を、本当に申し訳ないことをした。ナカムラ殿には特に……」
「はい⁉ 僕は何かやったんですか⁉ ごめんなさい、許してください。これから気を付けますので」
再起動した中村は、まだ謝罪内容をよく聞いていないにも関わらず、何故か土下座する勢いで謝ってしまう。
アーガーベインに指摘されて直す努力はしているものの、完全には克服できていない彼の悪い癖であった。
中村の緊張を察してか、アンスヘルムは頭に乗せていた冠を机の上へと置いた。
「そう硬くならないでくれ。
この場で何か言っても極刑を命じる事はない。だから、もう少しゆったり構えてくれないか?」
この会談において、権力をちらつかせないという彼女なりの意思表示であった。
「が……頑張ります」
「頑張って欲しい」
少年が胸の前で握りこぶしをつくると、教皇も合わせて胸の前で握りこぶしをつくってくれる。茶目っ気のある人柄のようである。
「さて、話を戻そう。君たちを勝手にこの世界へ召喚したことに対して、一度謝らせてほしかった」
「……それは予想外でした。詳細をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
召喚という、自分たちの人生の大きな転換点となった出来事の話題に、思わず冷静な参謀の腰が浮いてしまう。
アンスヘルムは彼の要求に頷き、朱唇をゆっくりと動かす。
「そもそもどうして我ら神聖ルべリオス王国が、君たちを勇者として召喚したのか、その経緯から説明しようか……」
右手の拳を左手で包むその姿は、どこか懺悔を想起させた。
聞き手が話し手の内容に唾を飲むその時、椅子下の影に潜む赤い光点が、静かに彼女を捉えていた。