幕間1 テューイとグリラ
エミリーがトウイッチの森へ入り、人間の冒険者達が双子山のゴブリン女王の巣窟へと攻め入った日の翌日の事。
トウイッチの森から南へ一日ほど下った所にあるラングスタという町の長旅の終わり亭という不吉な名前の宿屋にテューイは投宿していた。
個室で、清潔なシーツが敷かれたベッドがあり、窓からは街壁の外ののんびりとした景色が臨める。そのくらいしか取り柄の無い場所だった。
テューイは、鎧を着込んだままベッドに寝そべり、手元には双剣を抜き身のまま置いて、ここで落ち合う約束をした相手を待っていた。
このまま来てくれなきゃいいんだが。
テューイの儚い願いは、街の中心にある塔の鐘が夜半を告げると共に部屋の扉が開かれた事で砕かれた。
音もなく部屋に入って来たのは、若い女性。長い黒髪はあちこちに色も形も様々な飾りを絡めて形容し難い髪型にまとめ、その上半身はだぶだぶの大きさで袖口もたっぷり開いた黒い半纏を纏い、下半身には膝丈のスカートに黒いタイツ、靴もやはり黒い布靴。白い肌は暗がりの中でも月光の様に輝き、黒い切れ長の瞳は喜びに細められた。
「お待たせ、テューイ」
「待ちたくもなかったってのが正直な気持ちだぜ、グリラ」
「相変わらず冷たいのね、<鉄槌のテューイ>」
「お前が熱すぎるんだよ、<暗器のグリラ>」
「ようやっとあなたと心おきなく殺しあえるんですもの。身も心もとろけそうになってなくてどうするの?」
「そいつは残念だったな」
「どういう意味・・・?」
グリラはテューイの手元に置かれた双剣を見てテューイに詰め寄った。
「あなたの得物はどこなの?今更私の真似事をするの?」
「そんなつもりは無いぜ。この部屋の隅から隅まで探し回ってくれてもいい」
グリラはベッドの下やその周囲だけざっと確かめると嘆息した。
「本気でその武器で私と戦るつもり?」
「そのつもりだが何か?これでも<穀潰し>をトウイッチからもらうまでは、ずっとこいつを使ってたんだが」
「はっ!笑わせないで。あなたが使うべき得物を使わないのであれば、約束は反故にするわ」
「おおっと待てよ。お前の望みは俺との全力の勝負だった筈だ。武器まで指定はされちゃいない」
「負ければあなたの息子は殺されるのに?」
「負けてやるつもりはさらさら無いさ。何せつい最近娘の一人を殺されたばかりなんだからな」
ゆらりと上体を起こしたテューイから殺気が溢れ出たが、グリラはさらりと受け流した。
「ずっと手元に置いてなかった娘なのに愛着なんて沸いてたの?」
「それもこれもお前さんのせいだが、ああ、モーマニーのおかげで、奴さんが殺されるまでの何年かは一緒に過ごせたしな」
「それがあの悲劇を呼び込んでしまったとしても?」
「その悲劇を呼び込んだのも、お前さんだろうが!」
双剣を手にベッドから立ち上がったテューイを前に、グリラは一歩も引かずに相対した。身長で言えば頭一つ分はテューイより低く、体重で言えば半分くらいしかないだろうグリラには、しかし緊張した様子は無かった。
ひゅっ、と風が疾り、グリラの首があった位置をテューイの右手の剣がないでいた。
グリラは上体を刃の届かないぎりぎりの位置にずらしていたのに対し、テューイは下半身から上体へと、左手の剣を振り上げたが、グリラはテューイの左手に自分の手を添え剣撃の勢いを借りて自分の体を天井へと振り上げ、その途中で袖から引き出した鋼鉄の細糸で輪を描き、テューイの首を絞め上げ切り落とそうとした。
テューイは焦らずに双剣を首の両脇と鋼鉄糸の合間に差し入れ、切れぬにしろその糸を強引に押し開けて首を守った。
グリラは防がれて当然といった体で天井を蹴りベッドへとふわりと着地して言った。
「初見で今のを防いだのはあなただけだったわね」
「やっぱり、ガーポを殺したのはお前だったのか」
「<二枚大盾のガーポ>、魔法を完全に無効化するって売りの盾だし、あなたが全力で<穀潰し>を打ち込んでも傷一つ付かなかったって逸話まで残ってたけど、だからこそ殺すのは簡単だったわ。盾に頼り過ぎなんだもの」
「仮にも同僚だった奴だろうに、情けはかけなかったのか?」
「かけたわよ。いたぶらずに速攻で首を落とすだなんて、私らしくもない。命乞いの間さえあげなかったわ。それだけに間抜けな死に顔は見物だったけどね」
「まさか本当に殺されるとは思わなかったんだろう。何年もモーマニー商王戦士団の三枚看板を務めた仲間だったんだからな」
「私が戦士団にいたのは、あなたと一緒にいる為だったんだけどね」
「懲りもせずに方々から送られてくる暗殺者達を半殺しで捕らえてから死ぬまで拷問するのが大好きなだけだったろうに」
「あなたが私と本気で戦りあってくれないのがいけないのよ?」
「お前を殺せば、息子も、妻も失うと分かっていてか?」
「そして愛娘の一人も失ってしまったあなたはお間抜けさんね」
テューイは双剣を同時に左下と右下からグリラへと振るったが、グリラはだぶだぶの袖に剣を巻き込み、どうやってだか布にくるまれたテューイの指先の親指をあらぬ方向に極めてしまい、両腕をグリラの袖から抜くに抜けなくなったテューイに言った。
「双剣なら勝てるとでも思ったの?」
「<穀潰し>よりはやり易いんじゃないかと思ってたんだけどな」
「だめよ、ダメダメ。そんなありきたりな考えで私に挑んで返り討ちにされてきた愚か者が今まで何人いたと思ってるの?やっぱりダメ。こんなあなたじゃ私を満足させてくれない。分かって事たけど、がっかりだわ」
「正直言って、<穀潰し>を使ってもお前に勝てる気はあまりしないんだが」
「でも負ける気もしないんでしょう?私に十二の暗器全てを使い切らせても唯一殺されなかったあなたに弱気な台詞なんて許さない」
「そのくせお前を殺せば取り戻したい家族は死ぬなんて無理難題を突きつけておいて、お前を愛せとか、狂ってるにしても限度があるぜ」
「いいの。あなたが私を愛せないのは分かってる。だからいっそ忘れられない存在になれればいいの。あなたの愛する妻よりも子供達よりも誰よりもね!」
「いっそ俺を殺せよ。そして妻や息子を解放してくれ」
「興冷めだわ。それは禁句だって何度も言ってるでしょ」
「お前は俺にとっての禁句を何度だって言う癖に勝手なもんだ」
「あなたと私の立場を同じに見ないで。あなたの大切な子供達を助けたいなら、その条件は最初から提示しているわ」
「妻を自分の手で殺すくらいなら、俺は自分で自分を殺す」
「くすっ。だからあなたに自殺も禁じているのだけどね。あなたが私に殺されても、あなたの大切な人達は全員殺すけど」
テューイは怒りに任せて両親指を極められたまま両腕を左右に思い切り開いた。親指の骨はひどい折れ方をしたが構わなかった。グリラも両手が自由にならない状態で彼女の体を引き寄せ、頭突きを食らわせようとした。
が、テューイの視界はがつんという顎下からの衝撃で跳ね上がり、ぐらぐらと揺れながら両膝を床についた。
「バカね。あの状態からあなたに出来る事くらい予測してたに決まってるじゃないの」
グリラは固定された両腕を支点に両膝をテューイの顎先に打ち込んで昏倒させ、その課程で極めていたテューイの親指もねじ折っていた。
グリラはテューイの両腕を解放し、テューイの頭部を抱えて口づけすると、唇を離して言った。
「意識は朦朧としてるだろうけど聞きなさい。あなたが<穀潰し>を誰に預けたのか、その誰かさんが今どこにいるのか、私には分かってるの。せいぜい腕の良い治療師を見つけて親指を治しておきなさい。<穀潰し>は私が取ってきてあげるから。あ、追ってきたりしたら彼女も殺すから忘れないでね」
定まらない視界と思考と激痛の最中、テューイは言葉を絞り出した。
「よ、せ・・・。お前、でも、あの森には・・、<最大の災厄>の関係者は、特に・・・」
「トウイッチ本人がそこにいればそうかもね。でもいなければたぶん入れると思うわ。それじゃまた会いましょう。私の愛しい人」
「ふ、ざけ、ろ・・・」
「ふざけてなんかないわ。私はずっとずっと本気で、あなた一人だけを愛してるの。あなたじゃなきゃダメなの。だからあなたは私を満足させないといけないの」
「く、そ、が・・」
嗜虐の表情を浮かべてグリラはもう一度テューイの唇の感触を舌で舐めて楽しむと、テューイの後頭部を強打して意識を刈り取り、部屋に置き去りにして、長旅の終わり亭を後にした。
「さーて、トウイッチその人がいなかったとしても、帰ってくれば私でも手出し出来ないしなー。さくっと追い出されておしまいなんてのは悔しいし、どうしようかな。ま、現地向かいながら情報集めて策練ればいいか。待っててね、エミリーちゃん」
グリラはふんふんとご機嫌な鼻歌を口ずさみスキップしながらトウイッチの森へと向かって行った。