第七章 ゴブリン女王候補イージャとの出会いと、冒険者達との戦闘
三人組の冒険者達は、もう何度目か分からないゴブリン達の待ち伏せを撃退し、ずっと北の双子山から追ってきたゴブリン女王候補とその護衛達がトウイッチの森へと逃げ込む姿を遠目に見ながら小休止を取っていた。
「女、臭いはまだ続いているのか?」
「あたしにゃあミミシュって名前があるんですがね、はい続いてますよ。ただしこの先も追い続けます?」
「トウイッチの森か。厄介な場所に逃げ込んでくれたものだが、やはりこの一団が当たりでもあったという事か」
「もちろん追う。別にトウイッチに敵対しようとしているわけでもなし。かの森への侵入者を我々で討ち取ろうというのだから感謝して欲しいくらいだ」
掌の先を炎でくるんだ魔法使いガルドゥムを見て訊くだけ無駄だと思った狩人ミミシュは、もう一人の戦士クルトに尋ねた。
「追うっていうなら追加料金弾んでもらいますからね」
「無論。前代のゴブリン女王は討ち取ったが、我々のパーティーの要でもあった癒し手を殺されてしまった。代償として釣り合っていないのでな」
「似たような小集団にいくつか分かれて逃げた所まで小賢しい。ひとまとまりになってれば一度に焼き尽くしてやったものを」
内心ため息をつきながら、ミミシュは森の地面に入り乱れた足跡の数を読みとって言った。
「残ったゴブリンの数は十匹。旦那達なら苦にもしない数だろうけど、油断されないように」
「ゴブリン女王は危険な存在だ。まだ子供であってさえ、その能力はすでに開花し、何人もの冒険者が犠牲になっている。その首をはねるまで油断はせん」
三人がトウイッチの森に足を踏み入れると、犬とも狼ともつかない遠吠えが何度も響きわたった。
「あれはトウイッチの警告かい?邪魔するなら一緒に焼き尽くしてやるけど」
「いいえ。コボルトでしょうね。少なくとも二匹以上」
「我々の目的はあくまでもゴブリン女王候補を仕留める事。速やかに達成し、この森から抜ける。いいな」
「はいさ、旦那様」
「了解したよ、リーダー。だけど邪魔してきた奴らは全部焼き尽くすからね。くくく、焼け焦げたゴブリン女王幼生はどんな香りを漂わせてくれるのだろうね」
殺戮狂め。ミミシュはガルドゥムを内心罵ったが、双子山に築かれたゴブリン女王の巣窟の百匹以上の手勢の大半を一人で葬ったその猛威が、間違っても自分には向かないように口には出さなかった。
襲撃そのものは成功しゴブリン女王も殺したが、後継者候補と囮達が別々の方向に逃げた為、冒険者達も分散して後を追い、クルト達の一行が当たりくじを引き、目的の完遂まで残す所後半歩という所だった。
フーメルの案内でザギ達はグーゴルルと合流した。
「あなた、無事で良かった」
「この後も無事でいられるかは分からんがな」
「それで、ゴブリンの一団と冒険者達はどこにいる?」
「ここから少し離れたところでゴブリン達は小休止している。冒険者達は間もなく追いついて彼らを、いや彼女らを滅ぼそうとするだろう」
「彼女って、雌のゴブリンて事か?」
「ああ、それもただのゴブリンの雌ではない。こんな異様な臭いは初めてだ」
フーメルもくんくんと辺りの臭いを嗅ぎ、顔をしかめた。
「普通の雌もいるみたいだけど、これは、もしかして女王?」
「遠目で見たところ、まだ幼かったから候補だろうがな。さて、どうする?」
「どうするも何も、人間の冒険者達を倒してゴブリン達を助けるに決まってるじゃん」
「ザギ、そんな簡単な話じゃないよ。ゴブリンの女王は、その個体が発生する特殊な臭い、フェロモンとか呼ばれるらしいんだけど、それで周りのゴブリン達を支配下に置いてしまうんだ」
「それで?」
「それでって、そしたらリーやファボだけでなく、グーゴルルさん達の一家だって危ない目にあうだろ」
「冒険者達がゴブリン達を討ち取るのを静観すれば良い。討ちもらしがあったとしても、女王以外であれば受け入れる余地はまだある」
「女王の繁殖力はすさまじいらしいですからね。この森はしばらくすればその配下のゴブリン達に埋め尽くされてしまうでしょう」
「いいから、とりあえずおれに任せろよ」
「何をどう任せろっての、ぱしり一号?」
「冒険者達は撃退する。ゴブリンの女王だかには会ってみたいけど、トウイッチの森から出てってもらう。それで問題無いだろ」
「ザギ、言うのは簡単だけど、そううまくはいかないんじゃない?誰か死んじゃうかも知れないんだよ?」
「やってみないと分かんないじゃん。グーゴルルさん、冒険者達はどんな構成でした?」
「剣と盾を携えた戦士が一人、弓矢を構えた狩人が一人、炎をまとった魔法使いが一人。こいつが一番危険そうだった」
「そしたらさ、グーゴルルさんとフーメルさんで狩人を、リーとビブで魔法使いの相手して」
「ザギとファボは?」
「加勢があって、人間の魔法使い同士が対決しだしたら、まず間違いなくゴブリン女王とその取り巻きは戦士から片付けようとするだろ。だからファボにはその戦士を牽制してもらって、その間に俺がその女王候補に話つけてやる。そしたら取り巻き連中も何とかなるだろ」
「ザギ様、信頼してくれるのはもちろん嬉しいのですががが、その戦士ってたぶん相当お強いのでははは?」
「ああ、おそらく君やザギよりも強いだろう」
「無理です無理無理無理絶対死にます死んじゃいます~!」
「牽制だけしてくれればいいよ。剣と口の両方で時間稼いでくれ」
「えーでもー、ばっさり切られてはいおしまいなんてことになったらイヤです~」
「ファボ、うまくやったらまた手を握ってあげる」
「やります是非ともやりとげますそして手を握る以上の関係へのステップを踏んでいくであります!」
「じゃ、あとは臨機応変にやろうぜ。作戦倒れになって混乱しても俺らが負けるだけだろーし」
「てきとーだなー、ザギは。いつものことだけど」
苦笑するビブに、エミリーは尋ねた。
「ね、痺れ薬とかって持ってきてる?」
「うん。他のいろんなのもね」
「じゃあさ、こんなのはある?」
ビブとエミリーは小声で相談し、エミリーはビブから二つの小袋を受け取って中身を確かめてから返し、ザギに言った。
「相手の魔法使い、何とかなると思うわ」
「ビブの毒で?リーの魔法で?」
「こんな時の為にトウイッチがビブ君に持たせててくれた物と、私と炎の魔法使いとの相性で、かな」
どおん、と少し離れた所からの大きな爆裂音が届き、一同は立ち上がった。
「始まったようだ。森と生き物が燃える臭いもする」
「じゃあ、みんなよろしく頼むぜ!ビブとリーが相手の魔法使い、グーゴルルさんとフーメルさんが狩人、ファボが戦士、んで俺がゴブリン女王とその取り巻きの相手だ!」
「幸運を」
フーメルの一言に、皆も唱和して、戦いの現場へと向かった。
戦闘の火蓋が切って落とされる少し前の事。
ゴブリン女王候補、イージャは、自分と共に逃げ延びてきたゴブリン達を見渡して言った。
「よくぞここまでわらわを守り抜いてくれた。しかし追っ手は我らよりも強く、倒すことも逃げることも叶わぬかも知れない。だがここはもうトウイッチの森。最期まで足掻けば、トウイッチなりその手の者達から助けが入るかも知れぬ。だからわらわは敢えて言おう。わらわの為に死んでおくれ」
ゴブリン達は揃って膝を着き頭を下げ、恭順の意思を示した。
「あの炎の魔法使いは何としても弱体化するなり倒すなりしないといかん。あれはこの森ごと我らを焼き尽くすことも厭わないであろう。もしそうなればトウイッチの森に住まう者達から我らは災いをもたらした者として助けられる謂われも無くなる。同時に、おそらくわらわの発する香りを辿っているだろう狩人も無力化する。戦士は手練ではあるがただの人間だ。行方さえくらませば追われる事もない」
「して、策は如何しますか?」
湾曲した剣を備えたゴブリンのウルベが尋ねた。
「あの魔法使いの炎の結界は非常に厄介じゃ。円く結ばれた炎が奴の体を包み、前後左右頭上のどこから襲いかかっても奴を守ってしまう。だから、狙いは奴の足下じゃな」
「地面の下からという事ですね。幸いここは土の柔らかな森の中。穴を掘るのも表面を覆うのも容易でしょう」
「しかし勝機はたった一度。その為のお膳立てに我らの過半の命が失われるだろう」
「承知しました。丁度良い場所を探し、待ち伏せしましょう。オルベ、ゾルベ、お前達は横から、ズルベとザルベは頭上から。ドルベとガルベとルルベは、エルベとイージャ様を守り、冒険者達の視線を引きつけよ。イージャ様、私は地の下から好機を伺いますので、合図を」
「承知した。皆の者、命を賭けよ。されば我らゴブリンにも逆襲の機会は生まれよう」
「仰せのままに」
そうしてゴブリン達が選定し、迎え討つ準備を終えた森の小道に、冒険者達は足を踏み入れた。
鬱蒼と茂った木々の間の視界はほとんど効かない。獣道程度の小道は並んで歩くほどの幅は無く、その先の空き地には大きな岩が鎮座し、武装したゴブリン三匹が、岩の上にいる雌のエルベと、エルベに抱えられたイージャを守っていた。
「ここで決着をつける気か」
クルトは剣を抜き、油断なく盾を構えて警戒した。
「十匹って言ってたのに数が足りないって事は、そこら辺で待ち伏せしてるんだろうけど、無駄さ」
ガルドゥムは炎の縄で円く自身を囲むと、挨拶代わりの火玉を生成して、岩の周りにいるゴブリン達へと叩き込んだ。
ゴブリン達はすばやく岩に隠れて炎を避けた。
「私が切り込む。ガルドゥムは待ち伏せてるだろう連中を頼む。ミミシュは後方の警戒を」
「ぼく一人でも十分なんだけどねぇ」
「慢心するな。もう何人も犠牲は出ているんだぞ」
「わかったよ、リーダー。でもぼくの魔法には巻き込まれないようにしてね」
ミミシュはクルトに対してだけうなずいてみせた。
クルトは前方の岩へと注意を向けつつ、足下に剣をかざして罠を警戒した。
岩までの距離が100メートルから50メートル、30メートルまで近づいた時だった。
三人の冒険者の内、中央を歩いていたガルドゥムの左右の木の背後からゴブリンが二匹挟撃してきた。
「無駄だ」
クルトやミミシュが手助けするまでもなく、ガルドゥムの体を囲んでいた炎の縄が左右へと膨らみ、その体を上下に両断して炎に包んだ。
「ギキーッ!」
奇声を上げたゴブリンがガルドゥムの頭上から襲いかかってきたが、炎の縄が上方へと伸びる事で縦に両断されて瞬時に燃え尽きた。
「ゴブリンごとき、何度何匹でかかってきても、うぐっ!?」
足下の激痛にガルドゥムが下を向くと、地中から伸びた剣に足の甲が貫かれていた。剣はいったん地中へと引っ込んだが、精悍なゴブリンが地面から体を起こすとガルドゥムと炎の内側に入り込み、剣をガルドゥムの脇腹に突き込んだ。
「なめるな下等生物が!」
ウルベの剣はガルドゥムのローブを貫通したが、ガルドゥムが体を捻った事で脇腹を切りつけた程度に止まり、炎の縄が迫る気配を感じたウルベはとっさにしゃがみこみ、後ろ向きに飛び跳ねる事で難を逃れた。
ミミシュは弓矢の狙いをつけようとしたが、頭上から自分の背後に一匹のゴブリンが飛び降りてきて、足裏に剣を振るってきた。
「痛っ!」
右足の膝裏を切られたミミシュは前転して追撃を逃れ、トドメを刺しにきたゴブリンの眉間に矢を放って絶命させた。
「ゴブリンごときがこのぼくに傷を負わせただと?その償い、すぐにでも払ってもらおうか!」
ガルドゥムが特大の火玉を生成して女王達の隠れた岩へと放つと、岩は粉々に砕け、隠れていたゴブリン達はつぶてを浴びて身動き出来なくなった。
「イージャ様!」
ウルベはすぐに駆けつけようとしたが、行く手をクルトに阻まれてしまった。
「どけっ、人間!」
「どかぬ。お前達はここで全員死ぬのだ」
「そそそそれはどうかな!?」
その場にいた全員の視線が、クルトの背後に唐突に現れたファボに注がれた。
「なんだ貴様は。ゴブリンともども焼き殺されたいのか?」
ガルドゥムの両手に現れた火球を目にして、ファボは真っ青になり、膝をがくがくと震わせたがその場に踏み留まった。
「こここここ怖ぇぇぇーっ!逃げ出しそうちびりそうですすってかもう漏らしです降参してもいいですかって言いそうだけどリー様の為に踏ん張る!」
「死ね」
ガルドゥムは両手の火球を一つはファボに、もう一つをウルベに投げつけようとしたが、球は手を離れたところで見えない壁に当たったように弾かれ、自分の方に戻ってきたタイミングで、脇から突然現れた紫色のゴブリンが小袋を開いて投げつけてきた。
ガルドゥムは、その袋から黒い粉末がまき散らされるのを見て反射的に顔を背け両腕で顔を庇い炎の縄を解除した。
火球が黒い粉末、火薬に触れた途端、ドカドカンと連続した爆発が起き、ガルドゥムの体は爆風に弾き飛ばされた。
「やった?!」
腕の先が吹き飛び全身に酷い火傷を負ったガルドゥムは、
「よくもよくもよくもおおおおっ!」
と絶叫しながら、特大の火玉を生成し始めた。
「ビブ君、もう一つのを!」
ビブがもう一つの小袋の口を開いてガルドゥムの顔の方に放り投げると、その粉末は見えない空気の玉の中に充満し、空気の玉は宙を滑ってガルドゥムの頭部をすっぽりと覆った。
「空気の魔法使い、かっ!??」
慌てて呼吸を止めようとしたが遅かった。痺れ薬の粉末を吸い込んでしまったガルドゥムは全身を痙攣させて気絶し、生成しようとしていた火玉も消失した。
ミミシュは弓に矢をつがえて、ビブとその側に姿を現したエミリーを狙おうとしたが、顔の近くの幹に矢が突き立ち、
「動くな。動こうとすれば射る」
と警告され、弓矢を声のした方に向けて矢を放とうとしたが、その寸前で矢は弓に腕ごと木の蔦に絡められてしまった。
「なるほど、魔法使いと狩人から無力化されたか。私が最も危険度が低いと判断されたのは残念だが、後悔させてやろう」
クルトはゴブリン女王への行く手を塞いでいたファボの剣を一閃で弾き飛ばし、鳩尾に盾を叩き込んで昏倒させると、破砕された岩へと駆け抜けた。
ウルベも後を追ったが、歩幅の違いからか追いつけない。焦る内にもクルトは弾け飛んだ岩陰にいて気絶しているエルベと、その腕の中に匿われたイージャを見つけると、無言でその頭部へと剣を振り下ろした。
「イージャ様!」
ウルベの目には誰も何も守る者のいなかったイージャの背後から、見知らぬゴブリンが飛び出して来て、その白いハンマーで人間の戦士の一撃を受け止めた。
「ちょーっち予定とは違ったけど、お前で最後だ。こいつは殺させない」
クルトは無言のまま剣を引き、イージャに向けて突き出した。ザギはその剣先を横から弾こうとしたが、クルトの剣はハンマーと接触する寸前に停止。その軌道をザギの首筋へと振り替えた。
フェイントかよ!
もちろん口に出していう余裕など無い。体のバランスを崩す事で強制的に剣の軌道から首筋を外し、体勢を完全に崩されながらも桃色の皮膚と赤い瞳を持つゴブリンの幼女を背後に庇った。
しかし安堵する間は一瞬も与えられず、自分の首筋の皮を浅く抉っていった剣先はすぐに反転し、その切っ先がザギごと背後の存在を貫かんと繰り出された。
ここか?!
背中から倒れ込みながらもハンマーを剣の軌跡の先へと振り上げ、自分の心臓に突き立った筈の切っ先を肩口の辺りへと逸らす事に成功した。
「ぐあああ、いってえぇぇ!」
初めて受けた実剣の痛み。弾かれた剣はザギの左肩口に食い込みながらもすぐに引かれた。おそらくそのままでは背後の存在を傷付けられないと判断した為だろう。
ザギは倒れながらも右肘を地面に張って背後の存在を自分の体で強打しないように気を使ったが、次の一撃をハンマーで防ぐ事は出来なくなった。
「終わりだ」
「させん!」
クルトの剣を横合いから割って入ったウルベの剣が弾き、続く二撃、三撃と剣を振るってもウルベを仕留められなかったクルトは引き下がったが、背後からファボとエミリーとビブが追いついてきたのを見て、深いため息をついたものの、まだ剣を納めなかった。
クルトは、自分を取り囲んだ者達に問いかけた。
「トウイッチの森に住まう方々とお見受けする。我らはトウイッチ殿を害する者に在らず。このゴブリンの女王、今はまだ幼いが、放置すればいずれこの森にも災いをもたらす故、我らに討ち取らさせ給え」
ザギは傷を押さえながら立ち上がって答えた。
「おれはザギだ。こいつらはこの森には置かないと思うけど、今お前達に殺させるつもりもない。仲間が生きてる内にあきらめて引き上げな」
「すでに討ち取られた仲間もいる。その者は私の仇でもある」
「あんたらが討ち取ったゴブリンの数のがだいぶ多いだろうよ。それともゴブリンの命の価値は人間と等しくないなんて言うなら、あんたとお仲間には死体になってもらうけど?」
話している間に、フーメルとグーゴルルもやってきて、フーメルがザギの傷をヒールする姿を見て、クルトはあきらめたように剣を鞘に納めた。
「この場は剣を引こう。その代わり、我々の仲間も癒してはもらえまいか?」
「かまいませんが、あの魔法使いの方の傷は私では到底癒せません。止血と傷口を塞ぐのが精一杯でしょう」
「それでも構わぬ。私と狩人の二人が動けるようにしてもらえれば、あの魔法使いを連れて帰れる故」
ゴブリン女王候補の幼女は立ち上がり、ザギを見上げて名乗り、礼を述べた。その容姿は魔物のゴブリンというよりはだいぶ人間のものに近かった。
「ザギ殿と言ったか。我はイージャ。いずれ母の後を継ぎ、次代のゴブリン女王となる者。助けてくれた事には感謝するが、なぜこの者を殺さぬ?あの魔法使いを追い込むまでに我々の同胞が何人命を落としたと思われる?この者らは我が母にして先代のゴブリン女王を討ち取った大悪人、大罪を犯した者達じゃ。なぜ許す?有り得ぬ!」
イージャはピンク色の肌を怒りに朱に染めてザギを睨みつけたが、ザギは彼女の意思に従わなかった。
「おれはゴブリンだけど、ゴブリンの女王なんて会った事無いしな。俺はお前を助けてやった側で、助けられた訳じゃないから、お前の命令を聞かなきゃいけない理由は無い」
驚きに口をぽかんと開けたままのイージャとザギの間にウルべは割って入った。
「我が名はウルベ。前女王から次代の女王候補を守る使命を受けた者だ。女王となる方に無礼な口を利くな。確かにお前はイージャ様を救ってくれたが、俺が助けねばお前もまた人間の戦士によって殺されていた。だから、俺がお前の命令を聞かなくてはいけない理由も無い」
「んー、まぁそうなるのか?むずかしい事ぁよくわかんねぇけどよ、イージャ達は見逃させる。人間達には引き上げさせる。その間にどこへとでも逃げきれるだろ」
「愚かな。見所のある者ではあるが甘過ぎるの。あの炎の魔法使い一人とっても、その両腕を吹き飛ばし顔や全身に酷い傷跡を刻み込んだそなたらを許すと思うか?そなたらの四肢を焼き尽くしてからじわじわと全身を炭へと焦がしていくじゃろう。その復讐をあきらめる事なぞ有り得ん」
ザギはガルドゥムの負った傷の程度を見ていなかったので、イージャの抗議が正しいのか周囲に尋ねた。
「そうなのか、ビブ、リー?」
「かもね。両腕の肘から先が消し炭になって」
「顔も体もあちこちが酷い状態になってたから」
ザギは一応クルトにも視線を向けてみたが、
「とくと言い聞かせよう。確かにあいつは執念深いが、しばらくの間は一人で行動する事さえ出来まい。その間に、ゴブリンの女王達はどこぞへと逃げるがいい。それで我々の側は義理を果たした事としてもらいたい」
「悪くない提案だと思うよ、ザギ」
「お前がそう言うならそうなのかもな、ビブ」
まとまりかけた話を、イージャは再度覆そうとした。
「我らはそれで逃げおおせたとしよう。だが、そなたらはこの森に住み続けるのであろう?であればあの魔法使いの復讐の炎に焼かれるのはそなたらでありこの森となる。命の恩人達をそんな復讐に会わせるわけにはいかん!」
「お前、まだちいせーのに、そんな堅苦しい事言って責任負おうとしてくれねーでいいぜ」
ザギがイージャの頭をなでようとした手を、イージャは払いのけた。
「無礼な!」
「どっちがだよ。俺はお前の命の恩人なんだろ?」
「くっ、なんと破廉恥な要求をするのか!?」
「いやそんなつもりは無ぇーけどよ」
ザギはイージャの片手をつかみ、もう片方の手でその頭をぐりぐりと撫でつけた。
「お前らを見殺しにするつもりなら、何もしてなかったさ。絶対に勝てる保証なんてのも無かったし」
「そなたはゴブリンの女王に敬意を払わぬ癖に、なぜ助けようとした」
「何となくだよ。同じゴブリンだしな。でもそのなんとなくな理由で、この人間達を今殺さなきゃいけないとも思わないんだ」
イージャが驚いた事に、ザギの周りの者達は彼の意見に呆れながらも誰も否定しようとはしなかった。
「訳の分からん奴じゃの。そなたは」
「そうだな、人間になろうとしてるくらいだし」
今度こそイージャは驚きに目を限界まで見開いてザギに詰め寄った。
「なぜじゃ?そなたの様に見所のあるゴブリンがなぜ人間などになりたがるのじゃ?!」
「ゴブリンよか強くて、カッコイイから」
驚きで口をあんぐりと開け、目を何度もしばたたかせてから、イージャは言った。
「確かにゴブリンは弱い。群れれば人にも対抗出来ようが」
「そんなみみっちい差じゃないんだよ」
「一対一でも、例えばここにいるウルベはそこの人間の戦士にもそう遅れはとるまい」
「そんな近い差じゃないんだよ。俺が憧れた人間の戦士はな、たった一人で俺の二倍以上は背丈のあるオーガ達の攻撃を受け止めながら、そのハンマーで連中の頭を叩き潰していったんだ!俺の顎先くらいまであるでかい長いハンマーピックで!俺とビブのいたゴブリンの村はオーガに奴隷にされてた。その人間の戦士達にオーガもゴブリン達も滅ぼされて、俺とビブは何とか逃げ延びて、トウイッチに拾ってもらったんだ。でも、だから俺は人間を恨んでないし、人間の戦士に、いやそれ以上の存在になりたいとも思ってるんだ」
「君が憧れた人間の戦士とはテューイ殿の事か」
「知ってるのかおっさん!?」
「知らぬ戦士の方が少ないだろう。トウイッチの手による<穀潰し>、皮肉なあだ名だが、その銘を辱めぬ使い手。君が言ったその戦場に私もいたのだよ」
「な、あれすごかっただろ!おっさんとは悪いけど比べられないくらいに!いやおっさんが弱いって言ってるんじゃ無いけどさ」
「あれは確かに人間技の領域を越えていた。<穀潰し>という魔法の武器の特性を最大限に活かし、自分の何倍も大きく重く力強いオーガ達を手玉に取り粉砕していた。あれに憧れ追い越すなぞ、この私でも口にするのをためらうほどだ」
「言わねーと本当にも出来ねーだろ」
「そうかも知れんな。しかしこれで、私は君に二重に借りがある事が判明した。一度は今ここで、もう一度は君とビブ君とが住んでいた村を滅ぼした一員であった事だ。故に、私は女王を取り逃がしたと報告しよう。その行方についても言及しない。ガルドゥムも出来る限り行動を制約する事を約束する。あの狩人については私の付き人だ。私の命令には従う故、心配は無用だ」
「そっか。おれはおっさんを信用するぜ」
「ありがとう、ザギ君。私の名はクルト。クルト・アイゼンマイヤーだ」
「クルト、ね。覚えた。あんたならこの森に歓迎するぜ!俺に戦い方を教えてくれよ!」
「はは。私にも立場というものがあるのでね。ゴブリン達と親しくしていると噂でも流れたら不味いものがあるかも知れない。ゴブリンに対してあまり情が沸いてしまうと、今後の仕事にも差し支える事もあるだろう」
「ちぇー。おっさんなら頼りに出来ると思ったのによ」
「私の攻撃を三度も止めたそこのウルベ殿にでも習うがいい。後は実戦を重ねればものになっていく筈だ」
「俺はお前に対して貸し借りは無いからな」
「そう言うなよ、ウルベ・・師匠」
「誰がお前の師匠だ。だいたいにおいてこの森から出てどこかへ行ってしまえと言ってたのはお前自身だろうが」
「あれ、そうだっけ?」
「そうじゃ。なんと適当な輩よの」
場の雰囲気が和んだところで、クルトはフーメルに頭を下げて頼んだ。
「では、私の仲間達への癒しをお願いする」
「わかりました、行きましょう」
「魔法は使えないよう、拘束させてもらうぞ」
「それは仕方あるまい。こちらとて暴れられれば連れて帰る事も難しいだろうからな」
そして一同はガルドゥムとミミシュのいる場所へと移動し、フーメルは気の遠くなるほどヒールを重ねたが、ミミシュは何とか一人で歩けるようにはなったものの、ガルドゥムは傷跡を塞ぎ出血を止めるところまでが限界だった。
クルトは木の枝や蔦などを組み合わせて即席の担架を作り、フーメルの助けも借りてガルドゥムの体を拘束した。ミミシュには杖も作り移動の準備を終えると、クルトはザギ達に言った。
「それではな、ザギ君。ガルドゥム達を然るべき医療施設に預けた後、君達に一度はお礼をかねた挨拶に来よう」
「期待して待ってるぜ!そん時くらいは稽古つけてくれよ!」
「気が向けばな」
トウイッチの森の外側まで彼らを見送り、戻ってきたザギ達が見たのは、イージャを守る為に死んだゴブリン達を埋葬するウルベ達の姿だった。
イージャの側にいて気絶していた三匹のゴブリン達も今では立ち上がり、ウルベと共に穴を深め拡張し、あっという間に五体の躯を埋め、その上に砕けた岩つぶてを乗せて小山の様に積んで墓標とした。
「死んだのはこの者達だけではない。北の双子山で母上が討ち取られて以降、ここに至るまでにわらわを助ける為に、何十もの同胞達が命を捨てた。だから、わらわには責任がある。彼らが命を捨てた理由に応えるというな」
墓標の前で誓いを立てるイージャにザギは問いかけた。
「どんな理由なんだ?」
「ゴブリンの女王が産んだ子供の中からは、ゴブリンの王が産まれると伝えられている。全てのゴブリンを統べ、個体としても通常のゴブリンとは比較にならぬ存在になると」
「でもオーガを一対一で倒せるほどじゃないんだろ?」
「それは、そうかも知れぬが、しかし」
「別に俺はお前を止めようともしないよ。ま、がんばれ」
イージャは呆気に取られ、そして諦めたように、ふてくされたように、やはり起きあがっていた雌のエルベに仕草だけで自分を抱き上げさせると、ザギの前に立たせ、指先を舐め、ザギの鼻頭に唾を付けた。
「な、何しやがるんだコイツ!?」
「我らの一族に、いやゴブリンの代々の女王に伝わる風習じゃ」
じっとザギの様子を観察していたが、特に変化が起きない事にやはりといった感じで納得したイージャは言った。
「また会おうぞ、ザギとやら」
「俺はお前に用事なんて無いんだけどな」
「森からは出ていこう。しかしお主には会いに来るぞ」
イージャを抱えたエルベを先頭に、三匹の雄ゴブリンが続き、ウルベが最後にザギに教えた。
「ゴブリンの雄は、普通、女王候補の体に触れる事を許されない。そもそも、その香りの支配下に置かれて、抗う事すら許されない」
「あー、手を握ったり頭撫でたりとかまずかったのか。あいつに謝っといてくれ」
「その必要は無いようだがな」
「なんで?」
「俺もまたお前に会うだろう。イージャ様がお前に会いに来る時に護衛は必要だろうから」
そうしてウルベもイージャの後を追っていき、森の梢の合間に彼女達の姿は見えなくなっていった。
トウイッチの森から西に出た際の辺りにイージャ達は手頃な水場を見つけ、その付近の斜面に即席の洞窟をこしらえると、イージャは最後まで生き残ってくれた家来を労った。
「よくぞ生き残ってくれた。これから我らは再興を図る。ただし、先代女王や先々代女王の犯した愚は犯さぬ」
「先代様や先々代様の犯した愚とは一体?」
「母上や祖母上は、おそらくその先の祖先達も皆、手当たり次第につがい、子を成していたのだろう。それでも普通のオスメスの間から産まれるよりは高い確率で能力の高い者は産まれていただろうが、王候補と思われる子は一匹も産まれなかった。一匹もじゃ」
「つがうオスの側に欠落があったと?」
「わらわはそう考える。故にエルベ、そなたに命じる。この群を支える母体となれ」
「承知致しました。身を粉にして励みましょう」
「いや、急激に群を大きくする必要は無い。群が大きくなればなるほど人間達に察知されやすくなる故、そうだな、二、三十匹もいれば当面は充分だろう」
「わかりました。相手は、ウルベ様を含むという事でよろしいですか」
「構わぬ。そうだな、ウルベ?」
「仰せのままに」
「そしてわらわの身体が成長し、そしてあの妙なゴブリンもまた成長を遂げた頃、わらわはあの者とつがい、そして王を産む。全ては、王を成し、王を育て、王の第一の部下となる群を育てる為の準備と心得よ。良いな?」
「ははっ」
そうしてイージャ達は再興への道を辿り始めた。
2015/9/25 ザギの台詞(人物)指定の間違いなどを訂正