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第三十九章 決戦

 目的地が近づくにつれ、ロザルはキーブーに飛空船の速度を落とさせた。

「ザギ達の体調を少しでも戻さねばならんからな」

「戻ったとして、勝てると思うか?」

「分からん。だが、無抵抗で殺されるよりは足掻いた方が勝ち目は生まれるだろう」

「ノーム達が手を出せなかったスライムを倒し、王族用の戦闘機械は外側から壊さずに行動不能にせしめた。あんなゴブリンが増えたら怖いな」

「ザギの様な特質がそのまま受け継がれるとも思えないが。そんな心配も気が早すぎるだろう」

「そうだったな。ザギやビブ達が生き残れるかどうか、この飛空船がたどり着く先の島で、今日中には決まるか」

「だな・・・」

 太陽が中天にさしかかる頃には、ザギはよろめきながら歩けるくらいには回復した。目的地の島は視界の彼方に捉えられるほどに近づいていたが、日没ぎりぎりまで待ってから島に降りるとビブが決めていた。

 最大の懸案だったクルトとガルドゥムの立ち会いについては、

「そんなの、やらせるにしろ止めるにしろ、決められるのはミミシュしかいねぇだろ」

 というザギの一言で方向性は定まった。

 日が水平線の彼方に沈み始めると、飛空船は渚へと降下。島にある唯一の建物の前に広がる砂浜にザギ、ビブ、エミリー、テューイ、クルコ、ファボ、そしてクルトを降ろすと遙か上空へと退避した。

 ザギはビブに肩を借り、エミリーは自分の魔法で身体を支えながら建物へと近づいていった。そんなザギ達が建物の目の前にたどり着く前に正面の扉が開き、グリラと、ガルドゥムとミミシュが出てきた。

「ようこそ。最果ての島の一つへ」

「よう、グリラ・・お、いや、グリラってまんま呼んだ方がいいか。ぎりぎりだったけど、何とか来たぜ」

「いろいろ準備はしてきたみたいだけど、ぼろぼろじゃない。戦えるの?」

「たぶん、何とかな」

「そう、楽しみにしておくわ。それじゃ、先に済ませるべき事を済ませましょうか」

 グリラはそう言って脇に退き、背後の二人に道を空けたが、テューイはクルトの肩を掴んでいた手を放さなかった。

「放して下さい、テューイ殿」

「ミミシュとのやり取りが終わってからだな」

「く、ミミシュ。私は来たぞ!」

 ガルドゥムはミミシュを引き留める素振りは見せず、ミミシュもそれを当然の物とクルトへと数歩歩み寄り、クルトはもがくのをいったん止めた。

「ミミシュ、助けに来た!」

「それは、どうかしら・・・」

「何を言う?ガルドゥムの子を宿し、<管理者>にも認められる誓いを立てさせられたとは聞いた。だがもう」

「いいえ。決めるのは、あなた次第です、クルト」

「なぜ、何をだ?」

「あなたとガルドゥムにこれ以上争ってほしくないから誓いを立てた事は耳にされてますね?」

「ああ。だが・・・」

「最後まで聞いて下さい。私は自分から誓いを破ればその場で<管理者>により即死させられるでしょう。例え、あなたがガルドゥムを殺せたとしてもです」

「・・・」

「一度しかお尋ねしません。よく考えてお答え下さいな、旦那様。あなたがレウゾ様とその間に出来た御子を捨てられて私と一緒になるというのなら、私はあなたに助けを求めるでしょう」

「そ、それは・・・・・」

「私は彼女やその御子の死は望みません。しかし私を尚この場で望んで下さるのなら、その証を立てて下さい。でなければ、ガルドゥムも私の事も放っておいて下さい。旦那様」

 クルトは顔を歪ませて唸った。天を仰ぎ、地に目を伏せ、海原の彼方、空の向こうまで視線を巡らせても、ミミシュを、そして自分を説き伏せられる答えを見い出せなかった。

「私は、どちらも、捨てられぬのだ」

「少なくとも、ガルドゥムは私だけを、そして私との間に出来た子だけを望んでくれています。その一点だけにおいては、あなたは彼に劣っているでしょうね。さようならです、旦那様」

 ミミシュはクルトに浅く頭を下げてみせると、建物の内へと戻っていった。

 ガルドゥムは、勝ち誇ったり哄笑したりはしなかったが、クルトを蔑んだ。

「元リーダー。あんたならミミシュを選ぶと言ってくれるものと思ってたのに残念だよ。結局あんたが愛して大事にしてたのは自分だけだったんだな」

「何を若造が!」

「聞いてるよ。あんたの奥さんはミミシュと縁を切るか、あんたとの間に子が出来るようなら死を願っていたと。そして今あんたはミミシュの願いも聞き届けなかった。つまりあんたが愛していると言った二人よりも、あんたは自分を愛してるって事だろ?」

「ミミシュを力ずくで手込めにして、私との関係を人質に孕ませ誓いまで立てさせた男に言われる筋合いは無い」

「そうかもね。だけど、ぼくはミミシュと、二人の間の子供さえいればいいさ。あなたとは違う」

 そうしてガルドゥムも建物へと去り、扉が閉まると、クルトは両膝を砂浜について動けなくなった。

「それで、これで終わりって訳じゃないわよね?」

 グリラがザギ達に問いかけると、クルトを除いた面々はうなずいた。

「じゃ、誰から始めるの?ザギ君はまだ出番じゃ無さそうだし、やっぱり馴染みのあなたからかしら、テューイ?」

「いいえ、ぼくからです」

 ビブがグリラの目の前に進み出ると、グリラは優しく微笑んだ。

「あら、あなたは一番最後くらいのとっておきで出てくるものだと思ったのだけど」

「出し惜しみしてる場合じゃ無さそうですし、二度目の挑戦は無いでしょうからね」

「そう。それじゃ私も最初から付けさせてもらうわね」

 グリラが振り袖の内側から大きな宝石が取り付けられたサックを両手に握り込んだその時、ビブは叫んだ。

「みんな、ぼくを見ないでおいて!見ればたぶん即死する!」

「な、に、を・・・?!」

 見るなと言われても、ビブは魔法を唱えるでも武器を構えるでもなく、ただその全身を光に包んで、姿を変えつつあった。

 ザギや他の仲間達は皆ビブから視線をそらし瞳を固く閉じていたが、グリラはそうはいかなかった。むしろビブが取りつつある姿に、何故か見覚えを感じた。それは自分ではなく、自分と契約している相手の記憶によるものだったが、それと知らされる事も無いまま、よろめきすがりつくように、グリラは無防備にビブへと近づき、抱きついた。

「まさか、あなたに、また会えるだなんて!」

 グリラより少し背が高い青年の姿になっていたビブは、抱きついてきたグリラの腰裏に片手を添え、もう片方の手に握り込んだポートオープナーをグリラの後頭部に押し当てると、脊椎に沿って腰までに至る裂け目を作った。

「ごめんなさい。ぼくは、あなたがずっと待ちこがれている<創造主>その人では無いんです」

「そんなぁぁぁああああっ!?でも、あなたは、あなたでは、だって、あなたの姿は・・・、どうやって」

 ビブが悲しげに顔を左右に振る間にもグリラはゆっくりと砂浜へと崩れ落ち、動けなくなったが、ビブやザギの目には見えていたし、サラとつながっているエミリーにも感じ取れていた。グリラの背中に作られた裂け目から、怒りに満ちた存在が現れたのを。またそれとは別の、とてつもなく危険な存在も現れたのを。

「来るよ、みんな!」

 ビブの身体を取り巻いていた光は今では消失し、元の姿に戻っていたが、その頭上には、テューイやエミリーには見覚えのある姿が現出していた。

「出やがったか、<最悪の災厄>!」

「あ、れ、が・・・。伝説の」

「感心してる場合じゃないよ、ファボ」

 クルコはそう言いながらも、初めて見るその存在の異質さに戦慄し、全身が泡立つような悪寒と恐怖を味わっていた。

 それは人型をしていた。まるで木製の人形のようなのっぺりとした顔立ちに道化の様な派手な服を着込み、武器の様な物は一切持っていなかったが、クルコの経験と直感が告げていた。あの半透明の浮遊する代物には、どんな攻撃も通じはしないと。

 だが、ビブ達は怯んではいなかった。

「ザギ、サラ、今だよ!」

 ザギの身体は砂浜の上にうずくまったままだったが、ビブに向けて手を差し伸ばされていた<最悪の災厄>の手が打ち払われ、続いてその顎先に何かが打ち込まれたように頭部が背中側へとのけぞった。

 そのわずかな間隙にエミリーとビブは砂浜に倒れているグリラへと接近。その背中から現出し純粋な怒りを放っている何者かの傍らに立つと、ビブは魂を分岐させつなげる道具で、サラの魂とその何者かを接続させた。

「サラ、<管理者(アドミン)>と<最悪の災厄>の間の接続を断って!」

 サラは、ビブがつなげてくれたアドミンの魂へと接触、浸透し、アドミンから<最悪の災厄>との間につながっている経路の蓋を閉じた。

 サラは、アドミンと向こう側とをつなげている経路のさらに先へと遡りつつ、エミリーを通じて状況をビブ達に届けた。

「ビブ君、うまくいったみたい!姉さんはその先へと急いでる!」

「みたいだね。もうここにいるみんなはとりあえずの標的から外れたみたいだけど、ザギ、決めて!」

「おうよ!」

 ザギは砂浜に膝立ちになって身体を支えていたが、立ち上がり、<最悪の災厄>めがけて駆け寄った。

 <最悪の災厄>は炎や嵐や雷を振りまきザギを遠ざけようとしたが、ザギは<親指潰し>の重力制御で加速してかわし、頭上数メートルの高さにいる<最悪の災厄>へと、<親指潰し>を振りかざした。

「たかがゴブリン風情が!」

 <最悪の災厄>は魔法をめくらましにザギの魂の緒を断とうとしたが、ザギはもう一つの身体でその腕の動きを打ち払って防ぎ、その間にザギの振り下ろしたハンマーピックは<最悪の災厄>の眉間を穿った。

 ザギから見て、やはり<最悪の災厄>に魂は無かった。目の前に降りてきているのは、依り代に宿った意識体のみで、その本体はあちら側にいるようだった。

「お前がどんな存在だったとしても、存在してる事には変わらねーだろ。だったら呪いも通じる筈だ!」

 ザギはどんな存在であろうと消滅させる願いを、呪いとして依り代に打ち込み、呪いは接続経路を辿って本体へと達した。

 数百年以上、どんな強者も賢者も等しく無力な存在として退け、天災以上の災厄として恐れられてきた<最悪の災厄>の姿が端々から崩れ始めた。

「っし、あっち行ったぞ!」

「ご苦労様、ザギ。次は、サラの出番だね」

 そのサラは、アドミンの本体とあちら側のさらに先、全てが生ずる根元(こんげん)との接続経路へと急いでいた。

 それはあちら側にあっても特異な場所で、果ての見えない地平と平坦な天井しか無い様な空間にあって、魂が床側からしか接続していないとすれば、天井側で唯一、あちら側のさらに向こう側へと、魂の緒よりもずっと強固で太い経路でつながれていた。

 サラは、自分の背後から猛追してくる気配を感じ、脇へ退き、<最悪の災厄>に前を空けた。

 何者も根元からの接続経路を断たれては存在し続けられない。<管理者(アドミン)>からの経路を閉じられ断たれ呪いに蝕まれた<最悪の災厄>の本体は崩壊しつつあった。

 <最悪の災厄>は最後の力を振り絞り、両腕を鎌の刃の様に振るい、根元への経路に切りつけた。<管理者>につながっていればこそ、魂の緒であれば指先を振るだけでも断てていた。だが今は接続を断たれ存在の消失が間近に迫っているせいか、根元への経路は少しずつしか切れ目が入らなかった。それでも、執念で<最悪の災厄>は両腕を振るい切りつけ続け、何本もの太い縄を結わえたような経路の最後の一筋が断ち切られる瞬間が訪れた。

「これで、我も我自身の存在とな・・」

「れないわ、残念だったわね」

 思念がそのまま言葉として伝わる空間で、物理的な存在が入り込めない筈の世界で、<最悪の災厄>の存在に噛みつき、最後の一撃を空振りさせた存在がいた。

「お前は・・・!?」

 サラは、<最悪の災厄>が犬の様な姿をした何者かに噛み付かれ引き留められている間に、根元とアドミンをつなぐ経路の最後の一筋の両側に手をかけて誓った。

「私は、ここに新たな<管理者>となることを宣告します」

「止めろぉおおおっ!」

 <最悪の災厄>からの絶叫を聞き流し、サラは自分の存在を根元への経路へと馴染ませ溶け込ませ、アドミンへとつながっていた最後の一筋を新たな<管理者>として断ち切ると同時に、片手でアドミンへの経路を持ち、その存在が喪われないよう保った。

「私にはあなたは不要です。この世界から退きなさい。<最悪の災厄>よ」

 サラの新たな<管理者>としての最初の宣告で、<最悪の災厄>は魂達の集うあちら側の世界から弾き出され、崩壊寸前の依り代へと逆戻りさせられた。

「おおおおおぅぅおっ、よくもよくもよくもよくもおおお!この私が私自身の為だけの何者かになれる最後の機会を良くも奪ってくれたなぁああああっ!許さない許さん許すまじいいいっ!」

 怒りに浸りきるだけの猶予は残されていなかった<最悪の災厄>は、あちら側へも干渉し得るザギのもう一つの身体に目を付け、奪おうとした。

「よこせよこせよこせええええ!私が私である為に私が私だけの私になる為にいいいっ!」

「わけわかんねーよ、お前。きっちり死んどけ」

 放っておいても自滅寸前の相手を前に、ザギは逃げなかった。

 ザギは、もう一つの身体を肉体に重ねた。

 <最悪の災厄>はザギの真正面から掴みかかり、頭からザギの内側へと飛び込もうとした。

「させねーって!あばよ、<最悪の災厄>!」

 ザギはハンマーピックで依り代の頭部を完全に打ち壊し、その勢いのまま<最悪の災厄>を二つに引き裂いた。

 <最悪の災厄>はなおもザギの身体にすがりついて溶け込もうとしたが肩を震わせるだけでその指先は滑り落ち、虚空を掴みながら消滅していった。


「終わった、の?」

「たぶんね、エミリー。山はまだもう一つ残っているけれど」

 ザギ達が自然と、倒れているグリラの周りに集まると、その中心に留まっていた存在がグリラの背中を撫でて、そこに出来ていた裂け目を消し、呼びかけた。

「グリラ、起きなさい」

「・・・う、あ・・・・。<管理者>様?なぜここに?どうやって」

「ここにいる者達が、そしてサラが私をこの世界の頚木(くびき)から解き放ってくれました。これで私はこの世界を離れて、あのお方(創造主)を捜しに行けます」

「・・・・そうですか。お別れなのですね。あなたの行く先に幸運が待ちかまえている事をお祈りしております」

「ありがとう。あなたにも」

 アドミンは光の玉となってグリラを包むと、その場から消失し、つながっているサラの手助けを借りてあちら側から根元へ、さらにその先へと旅立って行った。

「てー事は、つまり、何がどうなったんだよ?」

 ザギの問いかけにはエミリーが答えた。

「え、と、姉さんからの、新しい<管理者>からの伝言だけど、今までに立てられた誓いの数々はほぼ全部そのまま。ただ一つ、グリラに関する物を除いては・・・」

「という事は、テューイとの間の約定も」

「そういう事でしょうね、ビブ君。どうするの、テューイ?今なら私を殺しても、姉さんもあなたの子供(アトール)も死にはしないわ。これだけの相手を前にして、私も無事には済まないだろうし」

「お前は、俺を殺したいか?」

 テューイの真正面からの問いかけに、グリラは答えを一瞬躊躇った。

「・・・殺したいと言えば、どうなるの?」

「俺の命をやってもいい。その代わり、妻や子供達の事はあきらめてくれ」

「残念ね。そのお願いは聞いてあげられない」

「我が儘だな。それじゃお前は俺にどうしろって言うんだ?お前を愛するのは無理だって言ってるのに」

「私を、あなたの手で殺して」

「・・・・・本気なのか?」

「もちろん。姉さんにもその子にも、もちろんあなたにもサラにもエミリーにも、私は酷い事をしてきてしまった。あなたが私にした事は、あなたの手で終わりにして」

「それは・・」

「出来ないというなら、私はここにいる無関係な誰かから殺していく。私を止めたいのなら、私を殺しなさい」

 テューイの表情からその答えが否と受け取ったグリラは、次の瞬間には、クルトの頭を粉砕すべく拳を打ち込んでいたが、ザギのハンマーがぎりぎりで間に合ってグリラのサックを弾き、狙いを逸らした。

「みんな散って!」

 ビブはグリラから放たれていた凶悪な強度のドレインを防ぎながら後退。テューイはエミリーを背後に庇った為、グリラは波打ち際の方へと後退したファボとクルコに狙いを定め、弓矢よりも速い速度で踏み込んだ。

 ファボはグリラに背中を向けながら雷の双剣の片方で後方の水面を弾いて、薄い水の壁に電撃を通わせた。

 グリラは落ち着いてサックの宝石で魔法を無効化。単なる水の壁を突破すると、もう片方の剣から放たれるであろう雷撃へともう片方のサックで無効化しようと打ち付けたが、そこに雷撃は宿っていなかった。

「なっ・!?」

「もらい!」

 グリラの背後に回り込んだクルコの双剣の片方の束には、キーブーに作ってもらった電気を誘導する極細の鋼線が雷の双剣の片方の束へとつながれていた。

 ファボはグリラのサックに打ち付けられた方の剣に雷撃を発生させながら水面へと落としつつ、空いた手でグリラの手を掴んだ。

 グリラは、ファボが自滅覚悟で足止めに来ている事を察知。片手のサックを背後からの電撃に向けて振り、受け止め、ファボが水面に落とした剣は蹴り飛ばそうとしたが、それでも、身体がほんの一瞬でも電撃に触れ痺れさせられるのは避けられなかった。

 一秒にも満たない間隙の後、ファボは水面へと崩れ落ちつつあったが、勝ち誇った表情をしていた。グリラはその理由を、クルコにではなく、両手を振り回し、片足を浮かせ不安定な体勢になっていた自分の傍らに踏み込んできた馴染みの気配に感じて微笑んだ。

「頭を冷やしてこい、グリラ」

 <穀潰し>の槌をくるむように展開された空気の固まりにグリラは鳩尾を強打され、その一撃だけで二、三十メートル先の沖合へとグリラは弾き飛ばされた。

 波間へと墜落し、海中へと没しながら、グリラは思った。

(槌そのもので打ち抜いてくれてたら、逝けてたのに)

 それでも身体の内側に無視できないダメージを負ってはいたが、反射的にグリラは癒してしまっていた。

(死にたがっていたくせに、こういう身についた習性はどうにもならないわね。でも、このまま海の底に沈んでいれば、さすがに、逝けそう・・・)

 身につけていた半纏や武器や数々の暗器の重みで、グリラは海面からは十メートル以上の海底へとたどり着いた。

 グリラは、口も瞳も閉じ、テューイの恋人だった頃に海で遊んだ記憶を呼び起こし浸ろうとした。全てが明るく楽しく希望だけに包まれていた筈だったのに、自分の何が悪かったのだろうか。自分に非が一切無い事だとはテューイから何度と無く言われていたが受け入れられず、だからといって姉を恨む気にもなれなかった。二人を祝福する気にもなれなかったが。

 海底に横たわりながら、グリラは泣いた。自分の想いを貫いた挙げ句、その報いとして暗い海の底で溺れ死ぬのはふさわしい終わり方にも思えた。

 泣きながら、そろそろ息が苦しくなって終わりを迎えられるかとグリラが期待していると、唐突に自分の手が誰かに握られた。

「テューイ?」

「グリママ。どうしてまた泣いているの?」

 アトールの声だった。

「あなた、どうやってここへ?」

 驚き慌てて起き上がってみると、自分の傍らからだけ海が退いていた。暗い海面と水中は周囲に広がっていた。そして自分の側にはアトールだけでなく、その母であるオルクレイア()もいた。

「姉さん、どうしてここへ」

「新しく管理者になった誰かさんからね、あなたが死のうとしてるから止めて欲しいって頼まれたの」

「そんな・・・」

「あなたがどうしても死にたいのなら、今は退かせている海に私達を呑ませるそうよ」

「それでも、私がその気になれば」

「そうね。あなたなら私達を助けるのも容易だろうし、その後で勝手にどこかで死んでしまうかも知れないわよね」

「・・・・」

「だからね、新しい<管理者>さんにお願いしたの。もしあなたが自殺を選ぶようなら、私達も死なせてちょうだいって」

「そんな!それじゃアトールが」

「それでも、今までよりはマシになったのではなくて?」

 グリラにも、どこからどこまでを狙ってサラが動いたのか、何もかもその読み通り狙い通り動かされるのは癪ではあったが、自分の手を心配そうに握り続けてくれるアトールの手の温もりとその表情とに、心を動かされた。

「わかったわ。あなた達やテューイが私の死を望まない限り、私も私自身を殺さないし、無用に傷つけたりはしない」

「よろしい」

「でもね、姉さん。さんざ敵を作ってきた私が、<管理者>の補助を喪えば、いつどこで誰に寝首をかかれるかなんて」

「その時はその時よ。あなたならせいぜい元気に返り討ちにしてあげるだろうし、今みたいな奇天烈な髪型とか服装じゃなくして、昔みたいにフードに顔を隠すようにしてれば、そうそう正体も割られないんじゃない?」

「・・・かもね・・・」

「グリママ、もう、死のうとしない?」

「しないしない。もうパパとも喧嘩しようとしない」

「本当?」

「本当に。誓ってもいいわよ?」

「それは、いらない」

「そっか。アトールがそれでいいって言うなら」

 いつの間にか、砂浜に向けて海が割れていた。そこには、心配そうな顔をしたテューイが立っていて、グリラ達に近づいて良いものかどうか判断しかねていた。が、

「あ、パパだー!」

 アトールがテューイの方へ走っていってしまうと、オルクレイアがグリラに向かって手を差し伸べて言った。

「ほら、あなたも行きましょう」

「でも、エミリーやサラやアトール達と、姉さんとテューイとの間を裂いたのは私だったのに、その再会の場に私が混じって」

「それを罪滅ぼしって言うのよ。何が罰に相応しいかは、エミリーと、それからサラが決めるでしょうね」

「なるほど・・・、ではその裁きには従わないとね」

 グリラに手を握られたオルクレイアはグリラの腕を引いて抱き起こし、固く抱擁しながら言った。

「お帰り、私の妹」

「・・・・ただいま、姉さん」


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