幕間4 レゥゾとグリラ、アトールとグリラとオルクレイア
モーマニー商王国のあった土地の北西の外れに、アイゼンマイヤー家の邸宅はあった。
整然とした荘園内に建てられた邸宅は周囲を高い外壁と美しい庭で囲われていた。植え込まれた草木も、白壁の三階建ての母屋にも離れにも、そこに働く人々にも、快活な清潔さしか感じられなかったグリラは逆に息苦しさを感じた。
面会の約束も取らずに訪問したグリラを、現当主でクルトの姉であるエレルは、クルトの妻のレゥゾに会いに来たという目的を特に疑いもせずに招き入れた。
辺境の小領主にしては充分に装飾された応接室で、エレルはグリラと対面すると、時候の挨拶もそこそこに本題に入った。
「弟から、手紙を受け取っております」
「ほう。彼はなんと?」
「あなたが、弟やミミシュの属していたギルドを壊滅させたと」
「それで?」
「くれぐれも警戒するよう申し伝えられております」
「にしては、特に警備がものものしい様子は無かったけれど?レゥゾもここにいるみたいだし」
「滅んでしまいましたが、モーマニー商王国で副団長を務め、団長のテューイを含めた他の誰よりも多くの敵を、それも暗殺者達を葬ってきたあなたの噂は私にも届いております」
「逃げても無駄だとあきらめてくれたの?」
「いえ、あなたは、理由無く相手を殺す方とは聞いておりませんので、逃げる必要を感じませんでした」
「物騒な異名がいくつもついて回っているのに?」
「その中には、<貞淑な女性の味方>という、男性の方々は気にされないか忌避されるものもあるのを存じております」
「それは、ありがとうと言っておくわ」
「ですから、あなたがどんな用件でいらっしゃったのか想像はついております。ここから先は当人同士でお話を。私は席を外しましょう」
グリラは、自分と相対しても怯む様子の無いエレルと会釈を交わし、彼女と入れ違いに、まだ二十代後半に見える貴族の女性が入ってきて、再び会釈を交わした。
「レゥゾです。クルトの妻です」
「グリラです。聞きたい事があって来ました」
エレルと同様、レゥゾもグリラに対して恐怖も軽蔑も感じさせなかったが、続いた言葉はわずかばかりグリラの想像を越えた。
「それで、ミミシュは殺されたのですか?」
わずかに眉をひそめたグリラに、レゥゾは落胆の色を隠さなかった。
「残念です」
グリラは、レゥゾを訪れた理由を明かした。
「ミミシュは、彼女を軽蔑し続けていた相手に陵辱され続けていますが、未だ屈服していません」
穏やかでない言葉に今度はレゥゾが眉をひそめたが、
「でしょうね」
と残念そうな言葉をもらした。
「興味を持った私は彼女を喋れる状態に戻して尋ねてみました。そこで聞いた言葉が真実なのかどうか、あなたに訊きたいのです」
「どんな言葉か想像はつきますが、言ってみて下さい」
「ミミシュいわく、彼女の方が、あなたよりも先にクルトと出会い、先に彼を想っていたのだと」
「おそらくは事実です。ミミシュは、アイゼンマイヤー家の狩猟方の使用人の子供でしたから。野山を駆け回るのが好きなクルトについて回る内にでも慕い始めたのでしょう」
「では、二人の間に割り込んだのはあなたの方だと?」
「これが貴族でない家柄同士でしたら、そうでしたでしょうね。しかし、彼が成人するずっと前から、私がまだ幼い頃から、彼の許嫁と定められていたのは私でした。ミミシュが私より先に彼を想っていたのは、事実なのかも知れません。しかし横やりを入れたのがどちらかと問われれば、やはり彼女となるのではないでしょうか」
グリラは少し考えてから次の問いを発した。
「あなたは、夫となるクルトに、ミミシュと別れるよう求めなかったのですか?」
「あの人は、籠の中に収まっていては死んでしまう小鳥と同じです。私は冒険者としてあの方の行き先に付き添っていける技量も度量も持ち合わせてはおりません。ですから、あの使用人の娘を認める代わりに、他に愛人などを求めない事を条件にしました」
「それだけ?」
「いいえ。あの娘には、子供を作らない事。もし出来ても残さない事を条件としました。その条件を彼女は受け入れました」
「もしも彼女が約束を破り、身ごもった子供とどこかへと姿を消していたら?」
「私が誰かを雇い、彼女とその子供を殺すよう差し向けていたでしょうね」
「なるほど。あなたは、ミミシュの立場も想いも知った上で、利用していたのですね」
「犬に首輪はつけられても、一人でどこにでも出ていってしまう犬に合う長さの縄はありませんから」
押し黙り、自分を計るように見据えているグリラに、レゥゾは尋ねた。
「あなたは私を軽蔑しますか?」
「いいえ」
「あなたは、あの女を殺して下さいますか?」
「いいえ。あの女はある男に約束の対価として与えたので。殺すも生かすもその男次第でしょう」
「では、彼女があなたに助けを求めても応えない?」
「助けを求める相手が違います」
「では、その男が彼女を許し、クルトの元へ返すこともありうるのですか?」
「それは、おそらく無いでしょう。あるとすれば、ミミシュの前でクルトを殺す時くらいしか考えられません」
「そうですか。その男はずいぶんと深くミミシュに想い入れているのですね」
「そうとも言えます」
「クルトは、妻以外の妾を持つ事が貴族の男として当然の務めでもあると私に言った事がありました。婚儀を終え、正式な夫婦となった後の事です。その時、夫がミミシュの事をも指しているのは知っていましたが、私はこう言いました。では私もあなた以外に男を持たないと釣り合いが取れませんね、と」
「お話は分かりました」
立ち上がったグリラを見上げ、いくぶん緊張してレゥゾは問いかけた。
「あなたは、私を殺しますか?」
「いいえ。あなたは不義を働いた事は無い。産んだ子もクルトとの間に成したもの。違いますか?」
「違いありません」
「では、あなたが私を恐れる理由はありません。お時間、ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました」
グリラは、部屋から退出する間際に、引っかかっていた疑問を尋ねた。
「あなたは、クルトが殺されるかも知れないと聞いても動じなかったのはなぜです?」
「妻よりも愛人を重んじる夫など、死んで当然です。幸い、跡取りはもう生まれて健やかに育っておりますし」
「あなたとその御子に創造主の加護があらん事を」
「ありがとうございます。<貞節の守り手>よ」
グリラはレゥゾ達の住まう邸宅を後にして離れると、<管理者>から、今回の訪問結果に対する判断が通知された。
「妻も子供も、クルトの姉も、対象外ね。了解。手は出しません」
それ以上の指示が無い事に、かすかな不安を覚えたグリラは問いかけた。
「ミミシュは、あのままで、いいの?いいのね、了解」
即答だった。少し苛立ったようなアドミンの声音に、グリラは緊張したが、彼女の意識が自分から離れたのを感じて安堵の息をもらした。
グリラが<管理者>の契約者となった時に課せられた数々の制約が誰にも教えられなかったように、アドミンから教えられた創造主の言葉の数々も誰にも伝えられなかった。
特にその最後の言葉で、アドミンの心は切り裂かれ、<最悪の災厄>という分身を生み出す事につながってしまった事も、おそらくはトウイッチ以外の誰も知らない秘密だった。
グリラ自身も、彼女以前の<管理者>の契約者達も、胸に秘したまま死んでいっただろう創造主の別れ際の一言を思い起こした。
『他の世界もまわらないといけない』
アドミンにとって、世界はこの一つだけだった。創造主は彼女にとって唯一の存在だった。しかし彼にとっては違った。
アドミンが様々な想いや疑問をぶつける前に、創造主は去ってしまった。
『後は任せた』
とだけ最期に言い残して。
アドミンがミミシュを許せない理由は明らかだった。彼女は外の存在だったのだから。
<管理者>が<最悪の災厄>を放置している理由も、契約者だからこそ知っていた。創造主から託されたこの世界の秘密を守る為、そして反対に、この世界を破壊するような事が出来れば、創造主が戻ってきてくれるのではないかという儚い期待の為だった。
ガルドゥムとミミシュを残してきた場所に戻る事にためらいを感じたグリラは、自分でも理由はわからないままに、オルクレイアとアトールを閉じこめてある絶海の孤島へと転移していった。
透き通った瑪瑙色の海と白く輝く砂浜が目に映り込んでくるのと同時に、グリラの背後から抱きついてくる者があった。
「グリラおばちゃんだー!やっほー!今日は何を持ってきてくれたのー?!」
「おばちゃんて言わない約束でしょ。アトール」
「そだったね、グリママ」
「姉さんは?」
「んー、さっきまで一緒に遊んでたけど今はお昼寝してるよー。それでお土産はお土産はー?」
わくわくして小鼻を膨らませているアトールは今年で十歳。背丈はザギやビブと同じくらいだった。
グリラは、入り江から少し離れたコテージまで自分達以外誰もいない事を確かめてから、振り向いて砂浜に膝を着き、アトールを抱きしめて言った。
「ごめんね、お土産は無いの。急にあなたの顔が見たくなっただけだから」
「グリママ、泣いてるのか?なんかヤな事あったのか?」
「そうね。あったのかもね」
「そっか。したらしょーがないよな」
アトールはグリラをぎゅっと抱きしめ返して、背中をさすってくれた。
グリラはアトールの肩に顔を埋めて泣いた。
砂浜についたグリラの膝とアトールのくるぶしが波に洗われるようになり、二人の影がだいぶ伸びてもグリラは泣き続け、アトールはグリラの背中をさすり続けた。
子供を持たない約束をさせられたミミシュと、<管理者>の契約者となる為に子供を持てない制約をかけられた自分の境遇とを重ね合わせたせいだとはグリラは心の中でも認めなかったが、
「グリラ?どうしたの?」
いつの間にか起きてきていたオルクレイアに情けない姿を見られた気恥ずかしさには耐えられず、アトールを今一度ぎゅっと抱きしめてから別のどこかへと転移していった。
2015/11/30 一部記述修正