咲けない桜
四月も半ばになった頃です。
小学一年生になったばかりの女の子ツネコちゃんは、おろしたてのランドセルで家に帰ってきました。
家の隣には公園があります。
公園は、昔からの人たちから大事にされていた、ほんの少しだけ歴史のある場所です。
桜の木は、そんな場所に、一人で立っています。
家の二階のツネコちゃんの部屋から見れば、ちょうど良い高さで桜の花を見ることができます。
ツネコちゃんは部屋に入ると、お母さんに少し大きな声で言いました。
「桜、また咲かなかったね」
学校や通学路の桜は、当たり前のようにきれいに咲いて、当たり前のように散っています。
ですが、ここの桜だけは、咲くことがないのです。骨のような枝の先には、つぼみもありません。
ツネコちゃんは「つまんない」と言うと、木のそばにいる男の子に気がつきました。
男の子も、こちらに気がついています。
男の子が小さく手を振り、女の子が大きく手を振ると、お母さんに「遊びに行ってくる」と言って、出ていきました。
男の子は、ナエちゃんと呼びます。ツネコちゃんとは、ものごころがついた頃からのお友達です。
ずっと前に、「女の子の名前みたーい」と言われて、顔が赤くなったことがあります。
ツネコちゃんは、公園に着くと話しかけました。
「この桜、全然咲かないよね」
「そうなんだよね…ちょっとさびしいんだよね」
「なんか、私のおばあちゃんが生まれる前から、ずっと咲いたことがないんだって。
もうこのまんまなのかな」
ナエちゃんは、少し言葉につまってしまいました。
「咲けないよ…だって、枯れちゃってるもん」
「そうなの…」
ツネコちゃんは、木を見つめていました。
ですが、ナエちゃんには、本当は違う光景を想っているようにも見えました。
-
夕方、ツネコちゃんとナエちゃんは、また明日遊ぶ約束をすると、またお互い手を振りました。
ナエちゃんは、ひとり歩きだすと、歩道の掲示板に気がつきました。
その中にある、お知らせのひとつを見つけると、ひどく驚いてしまいました。
お知らせによると、公園の桜が枯れてしまい、そのままにしておくと、折れてしまう恐れがあるので、切り倒してしまうことが載せてありました。
「切り倒す…?」
思わず、声に出てしまいました。お知らせには、さらに、その日も分かりました。
「五月六日…」
残りも、もう二週間しかありません。
ナエちゃんは、どうしたらいいのか分からないような顔で、家に駆けて行きました。
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翌日、ツネコちゃんは、ナエちゃんに会いました。
「どうしたの?ナエちゃん」
「うん…ツネコちゃん…僕、どうしよう…」
「どうしたの?」
「僕がもしいなくなったら、さびしい?」
「いなくなったら?…引っ越すの?」
ナエちゃんは、うまく答えることができないまま、下を向いています。
ツネコちゃんは「そう…」と返しました。いつも遊んでいるツネコちゃんが、お姉さんに見えました。
そして、今日も「遊ぼう」と声をかけてくれました。
次の日から、ツネコちゃんは、長い間、熱を出してしまいました。
昨日も「また明日ね」と約束したのに、守ることができませんでした。
いつか、ナエちゃんが玄関まで、お別れのご挨拶に来たことがありましたけど、ツネコちゃんは会うことができないまま、それっきりになってしまいました。
五月五日の朝。
桜を切り倒す前日です。ツネコちゃんは、まだ少し熱が残っていましたが、だいぶ治ってきました。
「ああ、今日は、桜の木が見られる最後の日なんだな…」
今まで花を見ることもできませんでしたけど、今度は幹や枝でさえも叶えません。
「ナエちゃんとも、ちゃんと挨拶できないで、お別れになっちゃったし…」
目の前のカーテンを開けたら、本当は、枯れているはずの桜が、たった一回だけの花を咲かせて、その下にはナエちゃんが立っているかもしれません。
そして、最後の挨拶ができるかもしれないと、熱の中で何度も思っていました。
ですが、今朝、カーテンを開けても、やはり桜はいつもの枯れた木のままです。
ツネコちゃんの想像の中では、満開なのに。
ふと、お母さんが部屋に入ってきて、何かを渡してくれました。
「はいこれ。朝、ポストに入ってたの。ツネコちゃんにお手紙よ」
開けて見ると、目を見張ってしまいました。ツネコちゃんは、それを持って、外へ駆けて行きました。
公園の桜の前で、それをかざして重ねてみました。
「咲いたあ…」
それは、写真です。幼い頃に撮ったことのある写真です。
公園でふたり仲良く隣り合って、おさめられた大事なものでした。
ふたりの後ろには、あの枯れている桜も写っていました。枯れているはずなのに…。
今、手にしている写真は、ナエちゃんのものでしょう。
「ナエちゃんが、写真の中だけでも桜を咲かせてくれたのかな…」
となぜか素直に信じられます。まだ少し熱があるせいかな…はは…。
五月六日。
桜は切られました。その跡には桜の苗が植えられました。