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梅雨明け前の夕暮れに   作者: 伊達と酔狂
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梅雨明け前の夕暮れに 第40話

 蒸し暑いなか、そこかしこに咲く紫陽花を見ながら、蘭は学校へと向かった。途中、いつもの公園を通ったが、洋介と竹青には会えなかった。

 学校が近づいてくると、正門のところに誰かが立っているのが視えた。


 ……美夏?


 約束の時間にはまだ早い。彼は五分前には着くように家を出ている。だが、そこにはすでに私服姿の美夏が来ていて、彼のことを待っていた。

 不安げに蘭のことを待っていた美夏は、彼の姿を見つけると、安堵の息をついた。彼がほんとうに来てくれるか不安だった。もちろん、彼が約束を破るとはおもっていなかったが、それでも無理やり誘ってしまったという自覚があるので、彼が来なくてもしかたがない、というおもいもあった。


 約束の時間より三十分以上早く着いてしまった彼女は、彼を待つあいだ、不安に堪え、胸を焦がした。彼を見つけた瞬間、不安は消え、彼が来てくれたことに安心し、よろこびを感じた。が、すぐにそのよろこびは、自分よりも遅く来た彼に対する不満と、わずかな怒りに変わった。


「遅い」

「……遅刻はしてないよ」


 朝の挨拶をする間もなく、いきなり文句をいわれ、彼は苦笑した。


「女の子より遅く来るなんて失礼でしょう。男として失格じゃないの?」

「あー、たしかにそうかもねー……」

「あんた、私のこと、なんだとおもってるのよ?」

 

 わかっていたことだが、女として意識されていないことに怒りを覚える。


「なにって……」


 頭にいくつかの言葉がおもい浮ぶが、


「友達、でしょ?」


 どれもいえば怒られそうなので無難な言葉を選び、抵抗を感じながらも彼はいった。

 その貌を視て、


「どうして、そんな貌でいうの……!」


 とはいえず、彼女は彼を睨んだ。

 

 ……私は友達としてさえ見てもらえないの?


 悔しい。

 そして、それ以上に、困ったようにほほ笑む蘭が、美夏にはかなしかった。

 蘭がクラスの男子と話すところをよく見るが、彼には特別仲の良い友人はいない。彼は必要以上に他人には近づかない。そして、他人を近づけさせないようにもしている。現に彼は、いまも、自分と距離をとっているのがわかる。


 ――友達すらいらないっていうの?


 しかし、それならばなぜ、彼は足繁く司書室に通っているのだろう。さゆりがいるからだろうか。だが、さゆりといまのような関係なる以前から、彼は司書室に通っている。では、志摩子がいるからだろうか。それもちがう気がする。口では異性に興味があるようなことをいってはいるが、彼がそこまで異性に興味をもっているとはおもえない。少なくとも恋人をつくろうという気はないだろう。そうなると、目的は翼だろうか。しかし、なぜ……。


 翼には惹かれるものがあるというのだろうか。求めるものがあるのだろうか。翼にはあって、自分にはないもの。それはなんだろうか……。

 ほとんど話したことがないので、翼のことはよくわからない。わかることといえば……、ふたりがいっしょにいるのを視ていると、なぜか、かなしい気持ちになる……ということだ。そういえば、ふたりの雰囲気はどこか似ているような気がする。


 かなしみ、なのだろうか? ふたりを引き合わせているものは……。だとしたら、それはどのような、かなしみなのだろうか。他人にはいえないほど深く、大きな、かなしみ。苦しげに痛みを堪えながら、いまにも消えてしまいそな貌で、ただ、ほほ笑むことしかないできない、かなしみ。それはいったい、どんなものなのだろうか。そして、それは他人が踏み込んでいいものなのだろうか。踏み込めるものなのだろうか。それがわからなければ、彼には近づけないのだろうか。


 ――私は、そんなかなしみなんて、しらない。


 そんなかなしみなど、いまの自分にはわからない。彼らはそれほど大切なもを失ってしまったのだろうか……。だとしたら、そんなかなしみを抱える彼に、自分はなにができるのだろう。どうすればいいのだろう。


 わからない。わかるわけがない。だが、それでも、彼といっしょにいたいとおもう。どうすればいい。どうすれば、いまよりももっと、彼のそばへ行ける。どうすれば、そのかなしみを、痛みを、彼は自分にわけてくれるのだろうか。そして、どうすれば……、彼は笑ってくれるのだろうか……。


 ――ああ、遠い……。


 目の前にいる彼が、とても遠くにいるように、美夏には感じられた。

 それでも、いや、それゆえに彼女は一歩踏み出し、


「そうよ。私は蘭の友達よ。ねえ? 私は、友達は大切にするものだとおもうの。あんたは、そう、おもわない?」

 

 彼の眸を力強く見つめ、


 ――私は蘭が大切なのよ!!


 胸のうちで叫んだ。

 考えたところで、彼のかなしみはわからない。もしかしたら、自分には一生わからないのかもしれない。だが、それでも、彼のことをおもっている。そばにいたいと、強く願っている。できることなら、いますぐ彼を抱きしめて、そのかなしみを少しでもやわらげたい。


「……そうだね。遅れて、ごめん。今度からは気をつけるよ」

「っ……」 

 

 どこへ消えてしまいそうな彼の貌を視て、彼女は手を握り締める。

 そして、


「……今度、私より遅くきたら承知しないわよ」

 

 その手で彼の手を掴み、彼女は歩き出す。


「ちょ?! 美夏?!」

「行くわよ。時間がもったいないわ」

「それはいいけど、手を放し――」

 

 抗議する蘭を無視して、美夏は強引に歩きつづける。

 まっすぐに、歩きつづける。

 その手を、しっかりと、にぎって。

 いまはまだ、彼のなかにある、かなしみが、なんなのかわからない。けれども、いつの日にか、必ず、そこまで辿りついてみせる、と彼女はおもった。





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