梅雨明け前の夕暮れに 第39話
美夏と約束した日曜の朝。
不快な目覚まし時計を止め、蘭は煙草に火を点けた。
時刻は午前六時五十五分。
カーテン越しに見える光が今日の天気は晴れであることを教えている。
暗澹と煙を吐き出す。
……気持ち悪い……。
美夏としたくもない約束をしたことと、それを断れない自分の不甲斐なさで、内臓をめちゃくちゃに掻き回されたような気分だった。さらに、待ち合わせの時間が午前八時なので、ピアノを弾く時間がない。そのことも彼をいっそう不快にさせていた。
腹を押さえ、顔を蒲団にうずめる。
――いきたくない。
しばらくの間、そのままの姿勢でいたが、
……断れない自分が悪いんだよね……。
力なく嘆息をこぼし、彼は緩慢な動きで蒲団を片づけ始めた。
蒲団を片づけ終えた彼は下におりると、朝食の準備をしながら、
「パン焼くけど、いっしょに焼く?」
普段より少し堅い声で、まだ寝ていた恵理に声をかけた。
「……あら、今日は日曜よね? また、どこか出かけるの?」
「うん。ちょっとね……」
「そのようすだと、デートではなさそうね」
疲れたように苦笑する彼を見て理恵はつまらなそうに嘆息をこぼす。
「ピアノを弾いたり本を読んだりするのもいいけど、彼女でも作って、たまにはデートでもしたら?」
「そうだね……」
どうでもいい、とおもいながらパンを二枚焼く。
彼女がいたら、なにかが変わるのだろうか。
自分は救われるのだろうか。
――馬鹿馬鹿しい。
彼女がいたからといってどうなるものでもない。
望む救いなど、どこにもない。
虚しさに侵されながら、機械的に食事を摂る。
「……ごちそうさまでした」
舌が麻痺しているわけではないが、なにを食べているのかわからなかった。
部屋に戻り、リストのラ・カンパネラを聴きながら煙草を吸う。
曲が終わると彼は、なぜ、自分は生きているのだろう、と不思議におもいながら、洒落っ気のない簡素な服に着替えた。
玄関を出て、すぐ横にある梅の木を見上げる。
淡い緑色をした、可愛らしい、小さな実が生っていた。
すでに散ってしまっているが彼は可憐な梅の花も好きだった。
……また、見られるかな……。
そんなことをおもう自分がおかしくて、彼はかなしく笑った。




