梅雨明け前の夕暮れに 第34話
公園から移動した、三人は貸しスタジオの近くにある喫茶店にはいった。スタジオに近いこの店を奏と四葉はよく利用していた。シックな内装で統一された店内には、ビル・エバンス・トリオのアルバム、『ワルツ・フォー・デビー』が静かに流れ、数人の客がおもいおもいにすごしている。
「? なあに、美夏ちゃん。わたしの顔になにかついてる?」
スペシャルイチゴパフェを頬張りながら四葉が美夏に尋ねた。
「いえ、べつになにもついてませんよ」
いつの間にか彼女の顔を視ていた美夏はそういって微笑した。
「あ、わかった! 一口食べたいんでしょ? いいよ~。そのかわり美夏ちゃんのケーキも一口ちょうだい」
スプーンでパフェをすくい、身を乗り出して彼女にさしだす。
「はい、美夏ちゃん。アーン」
さしだされたスプーンを見て美夏は苦笑。
パフェが食べたくて彼女を視ていたわけではないのだが、笑顔でさしだされたそれを断るのも悪いとおもい、パフェを食べ、自分も桃のケーキを切り取って彼女にさしだした。
「美味しいー! 美夏ちゃんのケーキも美味しいね!」
「イチゴパフェも美味しかったです」
「奏くんも食べる?」
不機嫌そうな貌で隣に坐る奏に四葉は尋ねた。
「いらねーよ」
「遠慮しなくていいんだよ?」
「遠慮するのはおまえだ!」
「すみません、奏先輩。私までおごっていただいて」
冗談のつもりだったのだが、ほんとうにおごってもらうことになったので、美夏はすまなそうな貌をした。
「まあ、美夏はいいんだよ。たまにしかいっしょに飯食わねえから」
「あー、美夏ちゃんだけズル~イ」
「おまえは俺にたかりすぎだろ!」
「えへへー。いつも、ありがとう、奏くん。大好きだよ」
「……いつもいってるけどな、俺はべつに、おまえのことなんてなんともおもってねーよ」
とろけるような笑顔とまっすぐ自分に向けられる好意に、奏は眸をそらし、飲みかけのアイスミントティーを飲んだ。
「うん。それでも、大好き」
「……」
奏では氷を噛み砕き、
……クソッ。
胸のうちで悪態をついた。
「知るか。いいから黙って食ってろ」
「はーい」
そっけない態度にもめげず、四葉は笑顔でパフェを食べる。
ふたりのやりとりを視ていた美夏が、
「四葉先輩って、強いですよね……」
パフェを頬張る彼女を視ながら感心するようにいった。
「どうして? わたし強くなんてないよ?」
「いえ、四葉先輩は強いです」
彼女の凄いところは、以前、彼に告白したとき、断られているにもかかわらず、いまだに彼のことをおもいつづけ、そばにいるということだ。なぜ、彼女はこうも揺らぐことなく彼のことおもえるのだろう。なぜ、そっけない態度をとられても、好きでいつづけることができるのだろう?
それに、彼はバンドをしているせいか、一部の女子たちに人気がある。彼は誰とも付き合う気はないらしいが、不安になったり、あきらめて他の人を好きになったりしないのだろうか。もし、彼が誰かと付き合っても好きでいられるのだろうか?
……四葉先輩なら、きっと、奏先輩のことをおもいつづける……。
それだけ強く、彼女は彼のことおもっている。
おもいつづけている。
ゆえに、彼女のことを強いとおもった。
だが、自分はどうだろうか。もし仮に、蘭がさゆりと(またはべつの誰かと)付き合うようなことになっても、彼のことを好きでいられるのだろうか。四葉が奏をおもうように、自分は彼をおもいつづけることができるだろうか。……わからない。そんなときのことなど考えたくもない……。
好きになるとはどういうことなのだろうか?
蘭が自分ではない誰かを好きになってしまったら、この、どうしようもない、激しいおもいは消えてなくなってしまうのだろうか。消えてしまうようなら、そのていどのおもいだったということなのだろうか。このおもいはそのていどのものなのだろうか……?
恋とはいったいなんなのだろう?
もし、もし仮に、このおもいが消えてしまったら自分はいつか、他の人たちのように、彼ではない誰かに恋をするのだろうか。そんなことができるのだろうか。このおもいが消え、過去の思い出になってしまうのだろうか。そんなことを繰り返してゆくのだろうか……?
わからない。
いまは、まだ、わからない。
だが、好きというおもいも、恋というものも、自分があきらめてしまえば、それで終わってしまうということだけはわかる。
――私は絶対あきらめない。
そもそも、彼が他の誰かを好きになったときのことなど考えてもしかたがないではないか。消極的な考えなど自分らしくない。
蘭をしあわせにできるのは私だけよ、と美夏は強気な笑みをうかべる。
「……いまにみてなさい」
「なにを見てればいいんだ? おまえの百面相か?」
無意識に呟いた美夏に、頬杖をついた奏が苦笑しながらいった。
「美夏ちゃん、気持ち悪いよう~」
「え? 私、百面相してましたか?」
「ああ。なかなかおもしろかったぞ」
「えー。わたしはコワかったよー」
「四葉先輩、さっきから失礼です……」
照れ隠しに少し怒ったような貌をしてスパークリングティーを飲む。
「えへへ。ごめんね、美夏ちゃん。お詫びにもう一皿ケーキ頼んでもいいよ!」
「よくねーよ。誰が金を払うとおもってんだ」
「奏くーん――イタッ」
「で? なにかあったのか、美夏?」
四葉の額を軽く突いてから、羞恥で頬をうっすらと染める美夏に奏が尋ねた。
「ありました。でも――大丈夫です」
一度、四葉の顔を視て、それから容を端、凛とした声でいった。
「そっか。なら、べつにいいけどな」
やさしくほほ笑む奏に、美夏は笑みを返す。
「心配してくれて、ありがとうございます。奏先輩」
「べつに心配なんかしてねーよ」
「ふふ。四葉先輩。奏先輩ってやさしいですよね」
「うん! 奏くんはやさしいよ!」
「おだてたってこれ以上、おごらねーからな」
「えー」
「ばれちゃいましたか」
さゆりが蘭と親しく話すようになってから、不安や焦り、一方的な嫉妬や怒りなどで、胸が苦しくなるときがある。これからも、この苦しみはつづくのだろう。だからこそ、四葉のように強くなりたいとおもう。彼女も、きっと、この苦しさと闘っている。闘いながら、奏ことをおもいつづけているのだ。
どんなことがあっても蘭のことをおもっていたい。
彼のそばにいたい。
邪険にされながらも奏にじゃれつく四葉を視て、美夏は強く、そうおもった。




